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 例えば兎は。性成熟が早く、生まれて半年もすれば繁殖を行うことが出来る。犬や猫といった愛玩動物も一年ほどで生殖能力が完成する。ハムスターなんて一か月半だ。人間の赤ん坊がようやく猿から人間へと変貌を遂げる頃、自然界では動物たちが新たな営みを始めている。

 愛くるしい動物たちは赤ん坊のようなあどけなさを抱えたまま親になるのだ。いつまでも赤ちゃんみたいでカワイイ、なんてのは所詮人間の主観でエゴに他ならない。生き物は成長する。こちらに認識があろうと無かろうと、青い果物が熟し芳香を放ち始めるように、若いと思っていた生き物もいつか食べ頃のご馳走になる日が来る。
 
 そんなことを、フロイドは己に跨る梶を見上げてただ考えていた。

「は、はは……フロイド、ビックリしてる……変な顔……」

 梶が喉を震わせながら言う。フロイドの胸元に添えられた手は小刻みに揺れ、こちらにまで緊張が伝わってくるようだった。真っ赤な顔をした梶は、やってやった、とでも言いたげな表情でフロイドを見下ろしている。乗っただけでそんな顔してる奴に何が出来るだろうかと円熟したフロイドは思うが、梶はふんふんと鼻を鳴らし、高揚した頬を得意げに釣り上げた。

「こんなことするなんて思ってなかったでしょ。僕はガキで、フロイドが今まで相手にしてきた女の人みたいに色気も育ってない。いやあの、女の人の色気は成長しても僕にはないけど……」

 徐々に尻すぼみになっていく声は梶らしいが、いきなり男に跨ってきた人間が発するには少々勢いが心許ない。一体コイツは大胆なのか奥ゆかしいのか。よく分からない奴だとフロイドは考え、『奥ゆかしい奴が懸命に大胆にしているのだ』の結論に至って思わず口元をニヤつかせた。

 ベッドに寝そべっていたらおもむろに梶が跨ってきた。フロイドと梶はいわゆる「そういった」仲ではあるが、首から下、お互いの粘膜が絡み合うような行為は今まで一度もしたことが無かった。したくないわけではないが、フロイドからすると梶は「手足が生えたオタマジャクシ」といった感じで、まだまだ自分と同じフィールドに居る人間に見ることが出来ないのだ。とっくの昔に成人しているし、手を出したところで“恋人同士が次のステップに移った”以上の変化はないと分かっていたが、それでもフロイドは手を出せなかった。何故? だって、だ。いくらデータで説明されたところで、事実フロイドの目に梶は青い。若いのだ。幼いと言い換えることが出来るほどに。

 そんな訳で初々しいティーンエイジャーを相手にしているように、フロイドは軽いキスで親愛を示すだけに数カ月留まってきた。梶にとっては屈辱的な思いだったのだろう。そりゃそうだ。フロイドがどんな御託を並べ立てたところで、データとして梶の成熟度は証明されている。遵守される倫理は貴いものだが、偶像を守るための倫理などそれこそエゴだ。

「フロイドが僕を子供扱いするの、嫌いなわけじゃないんだ。大切にしてくれてるんだと思うし、実際僕はまだまだ未熟者で、フロイドにとっては子供同然だと思う……でも、でもさフロイド。僕だってディープキスくらいは出来るんだ」

 跨ってはいるが、よく見ると梶は膝立ちの姿勢だった。通りで重くないはずだ、と身じろぎしやすい身体でフロイドは思う。こういったスタイルはしっかり自重をかけるからこそ相手の動きが制限出来るのだが、柔らかいベッドの上は安定が悪いのか、梶はフロイドの上でもぞもぞと忙しなく動き、身体がフロイドに触れるたび慌てて腰を持ち上げていた。
 時々擦れる梶の下半身が、スラックスの上からでも分かるほどはっきりと兆している。乗って興奮したか、擦れる内に興奮したか。どちらにしても手練れの反応とは言い難かった。フロイドは自由の利く両手を胸の前で組み、いま梶の腰を捕まえたらコイツはどんな顔をするだろうと思案する。

「僕さぁ、成人してんだよ。フロイドと同じ。フロイドが、この手で触って、喘がしてきた人たちと、僕は同じ大人だ。貴方の目にそう映っていないとしても」

 梶が組んだばかりのフロイドの手をそっと解く。男盛りの分厚い手のひらを、梶の両手が掬い上げ、尊いもののように自身に引き寄せた。黒いシャツの隙間に梶はフロイドの手を招く。いつもは腹が冷えるとかで下にタンクトップを着込んでいる梶が、カーテンのように掛かったシャツの下、今日は素肌だった。フロイドの手が肌に触れる。ハリのある肌だ。普段はさぞツルツルとしているのだろうが、緊張からか今は体中がぶわりと粟立っていて、鳥肌がフロイドの皮膚に引っかかった。

 鍛えているというより、単に痩せぎすだから腹の筋がはっきりしている。胃下垂気味で、肋骨が少し浮いていた。貧相な身体だった。だがしっかりと骨を感じるその体は、子供の柔らかで愛らしい身体には程遠かった。

「幻滅した? 僕がフロイドの望むような年下の子じゃなかったから。嫌われたくない。でもこのまま自分がフロイドの何だったのか、もしかしてただの庇護対象でしかなかったのかとか、疑って自信をなくす方が、僕はずっと嫌だ」

 まだ自分でも腹の中に何が詰め込めるか分かっていないだろう無垢さが梶の身体には残っている。フロイドの夜にお決まりの、謎や手練手管の小細工など探すまでもなかった。未熟で、無知で、けれど確かに育っていた身体を、もう食べられるはずだからと梶は自ら差し出してくる。まだ生後半年の赤ん坊だと思っていた子ウサギに求愛行動を取られた飼い主は多分こんな気持ちになるのだろうか。いたたまれなさとそれに勝る倒錯感に、フロイドの腹に添えられていた手が動き出した。

 梶が息を吐き出す。熱にうなされて濡れた声は、もう夜を孕んでいる。

 おねがい、フロイド。
 
「僕を暴いて」