梶とてそれなりに考えていたのだ。頭が切れ独自の哲学を持つ斑目のこと、きっと告白だからと張り切って映画のワンシーンを再現したところで、彼は費やした労力に最低限の敬意を払ったのち、「梶ちゃんって映画のセンス無いよね」と梶を一蹴するに決まっている。
斑目は梶が嫌いじゃない。むしろ総合的な視点から察するに、梶隆臣という人間をひどく好ましく思っている。だが、斑目も憎からず思っているから梶の告白が成功するかといえば、それはとんだ思い違いなのである。
斑目は梶を好んでいるが、それ以上に梶が困惑し、瞠目し、慌てふためいて同じ場所をぐるぐる歩き回る姿を愛している。告白自体はやぶさかでもないが、それよりも告白を断られてオロオロと狼狽える梶が見たい。そんな欲求が湧き上がってしまうと、斑目貘という人間はとても厄介だった。
梶が想像する斑目はこうだ。彼は自分の所有物たる「梶ちゃん」を困らせたい一心で、梶の告白をこの告白はどれそれの映画のあれこれのシーンだとソムリエがワインの知識を引け散らかすように語り、オードリー・ヘップバーンがジャケットに描かれたDVDを片手に茫然と立ちすくむ梶に「俺、恋愛映画ならクエンティン・タランティーノが好きだなぁ」とのたまう。
「いや、タランティーノの手掛けた恋愛映画ってどれですか。まさかジャンゴのこと恋愛映画って言ってます? 冗談でしょ、貘さん」
当然だが梶はその様に口にする。賭け師は勝敗を決するため常にフラットで絶対の答えを求めており、血肉になった経験は彼らに普遍的な価値観を植え付ける。どこの世界に生き別れた妻を取り戻すため一家惨殺に踏み出す黒人奴隷のストーリーを恋愛映画と括る前提があるだろうか。梶は斑目が己をおちょくっているのだと決めつけ「貘さん、僕は本気なんです」と場合によっては苛立ちを感じるかもしれない。
けれど、そんなことを言おうものなら斑目の思う壺なのだ。彼は普段従順で控えめな腹心を務めあげる梶が、予想外の事態に動転して、感情をぐわんと乱す瞬間を特に気に入っている。だから下手に梶が苛立ったりすると、斑目は切れ長の目をスゥと細め、わずかに口角の上がった口元を手で隠して言うのである。「あー価値観の相違が出ちゃったね。残念だけど梶ちゃん、付き合うのはまた今度にしよっか」
畏れ多くも遅かれ早かれ自分と斑目は付き合うだろうという確信が梶にはある。だから斑目の機嫌を損ねないよう、彼の人生設計に梶の存在がピタリと合う瞬間をのんびり待つ選択肢も本来梶にはあった。
だがこの弱弱しく、けれど鉄火場の最前線に靴の裏が張り付いているギャンブラーは、全く逆の方向に舵(ジョークではない)を切ることにした。
どうせ付き合うのなら早いに越したことはない。スタートが早ければそれだけイベントごとの時期も繰り上がるし、息をするように息の根を止めるための勝負に繰り出していく斑目を眺め、このまま貘さんに気持ちを伝えられないまま終わったらどうしようと恐怖で眠れない夜を過ごすこともなくなるのだ。
平素の温和な立ち振る舞いにより誤解されがちだが、梶隆臣の根本に埋まっているのは愛情に飢えた子供と勝負に狂うギャンブラーの性だ。勝てる勝負は何でも勝ちたいし、欲しいものは全部早く手に入れたい。己の努力次第で斑目との距離が変わってくるのなら、斑目の艶やかな唇が己に触れてくれるその瞬間まで、梶には手を緩める理由が思いつかなかった。
梶は斑目に触れたい。肌同士が触れ合う感触にドギマギしながら、「あは。梶ちゃんの心臓、人工心肺みたいだね」という、微妙に分かりにくい例えをされて苦笑したいのだ。
多分両思いだと気づいてから、梶はずっと考えてきた。どうすれば実るか。どうすれば斑目を尊重したまま斑目の心に辿り着けるか。斑目は梶と違い、恋が実るまでの過程を傍観するタイプだ。生まれてから実るまでも恋だから、今しかない心の疼痛や淡い飢餓感も愛おしい、そう考える人種である。
それは常に斑目貘が求められる側の人間だったからこその傲慢だった。勿論この姿勢に梶の告白を拒絶するほどの頑なさはないが、気に入らなかったら先延ばしにする、くらいの余裕は常時視界にチラついていた。
告白が斑目のお気に召せば、その瞬間斑目は梶の恋に指を絡ませてくれる。
だが彼の哲学に著しく反したり、梶が的外れな告白を仕掛けて場を白けさせてしまった場合には、斑目貘は容赦なく悪ふざけという名の牙を剥き、恋愛関係の無期限延期を提案してくるのだ。
梶が迅速に完全勝利を収める為には、告白の準備を念入りに済ませ、斑目が付け入る隙のない状況下でラショナリズムとロマンチズムで彼を制圧するしかなかった。未だ斑目に教えを乞う立場にある梶が、自身に一番経験の浅い恋愛方面において斑目に完封しなければならないのである。出来るだろうか。うるさい、やるしかないのだ。
梶は考える。告白はきっと雨の日が良い。カラッと晴れた日に恋が実ればきっと気分は良いだろうが、晴天の斑目は機嫌が良いので梶で遊びたがる。その点陰鬱な雨空は斑目の朗らかな気質をどんよりとさせてくれるし、人恋しさにも一役買ってくれるだろう。更に雨の日は、斑目の湿気に弱い癖っ毛を制御不能にしてくれる。ワックスやアイロンでも抑えきれない髪のうねりは、斑目から毎度自信と活力を僅かに奪うのだ。
斑目は基本的に隙の無い完璧な人物である。ならば無い隙を探すより、作った弱みに付け込むのが一番だった。(どこからか『ズルい』という声が聞こえそうだが知ったことではない。ギャンブルは殴り合いだし恋は戦争である。某所のバイキンだって宿敵のアンパンの顔が濡れた折にはこれ幸いと特攻をかけるのだ。赤ん坊に推奨されるアニメのキャラクターが雨の日を狙うのは良くて、梶隆臣が湿気でしょんぼりした斑目貘を狙ってはいけない理由はない)
天候は雨。
それも叩きつけるような大雨ではなく、斑目のしなやかな美貌が映えるような、傘を差しても雨の粒子が纏わりつく音も無い霧雨が良い。
天候は決めた。次に告白する場所だが、こちらは考えるまでもない。十中八九、梶が勝利を収めた勝負の場だ。逆に絶対に避けなくてはいけないのが、マルコ不在の二人きりの家の中である。
ギャンブルに関しては思慮深く狡猾な斑目だが、安息の場にしている定住ホテルにおいては元々の性格が顔を出し、賑やかで楽しいことが大好きな、少し悪ふざけが過ぎる男子高校生もどきに変貌する。梶を茶化したり、思わせぶりな態度で翻弄するのも大抵がホテルに居る時だ。
ギャンブラー斑目貘は知性と賭け事への矜持を持ち合わせ、特に他人の勝負の場では行儀よく振舞う。梶が支配した鉄火場という極上の私的空間であれば、斑目も勝者の梶に敬意を表し、対等な物言いを心がけるだろうと推測出来た。(先ほどと同じ方向から『犯罪者の思考』という声が聞こえてきそうだがやはり知ったことではない。ユニセフ親善大使の徹子さんだって気になった人物は執拗に自分の部屋に招待するではないか。己のテリトリーで円滑な会話を展開したいという考えは別段糾弾されるものではない。あと梶隆臣、彼はもう既に犯罪者である)
時期は上記の条件が満たされたら即日に。時刻は、大体賭郎勝負が終わる時間帯は深夜なので難しいが、本当なら斑目の色素の薄い髪が幻想的に赤く染まる夕方が良かった。明朝でも良い。斑目の髪がキラキラと輝いて、まるで存在そのものが世界に祝福されているように見えるその瞬間が梶は好きなのだ。
梶は考え、一つずつ丁寧に案を固めていった。そうして出来上がった対斑目の攻略プランを胸に、彼が気に入りそうな気の利いた文言を様々研究し、何度も本番さながらに告白の練習を繰り返した。
全ては霧雨が降る日、己が勝利を掴んだその場で斑目に告白するためだった。
何度も繰り返すが、梶は決めていた。事前に、告白にまつわる様々なことをだ。斑目貘という複雑怪奇な人物から寵愛を獲得するために、梶隆臣の努力は途方もなかった。それは今後どのようなアクシデントが起きようと消えることのない事実なので、せめてその努力を肯定してやりたいという一心で、この場を借りて強い言葉で書き残しておきたい。