狭く曲がりくねった道を抜けて、開いた場所に出たような、そんな感覚だった。
ぐぽ、と梶の体内が鳴いた気がする。今まで轢死するカエルの断末魔ような声を繰り返し上げていた梶が、一点を越えてから「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」としか言わなくなった。虚ろな目をして、けれど快感はあるらしい。予告なく吐き出された精液が自分の手にかかったので、弥鱈はベロリとそれを舐め、飲み下すと同時に責めを再開した。
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
「……ッ、はっ、やば……!」
単調に腰を振るだけで嘘みたいに気持ちが良い。自分がいま梶のどこを暴いているのかも分からないまま、弥鱈は満足いくまで梶の中を堪能することにした。突くたびに角度を変えてみたり、かと思えば体重をかけて梶を押し潰し、密着した腰をゆさゆさと揺らしてみたりもする。「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」と梶の鳴き声は相変わらず代り映えのしないものだったが、うごめく梶の体内はねっとりと弥鱈に纏わりつき、先端のくびれまできゅうきゅうと締めてくれた。
「っぅ、ぁ……かじ、さま……」
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
「ハハッ……笑える……くら、い……ッぁ、気持ち、いいな……ん、ぅ、……ん、ン、」
弥鱈の口からも自然と声が漏れる。梶の上擦った声にはいくらでも聞いていたい甘さがあるのに、自分の声はただ腑抜けているだけというか、随分聴くに堪えないな、と弥鱈は思った。
普段なら梶がきゃうきゃうと喘いだり、嬌声の合間におしゃべりをするから自分の声なんて気にもならないが、今日はいやに快楽に溺れた馬鹿な雄の声が耳に障る。我ながら興醒めだ。どうにか止めたいが、如何せん下半身がぶるりと震えるたび、ぞくぞくと背筋を快楽がせり上がって来て「ッ……ッあ゛……!」と声が飛び出してくるのでどうしようも無かった。
普段刺激を受けずにいると、快感が薄いと言われる竿や根本でも十分快楽を拾えるらしい。
刺激に慣れた性器でさえこうなのだから、誰にも、自分自身でさえ触ることのないナカの快感はいかほどなのか──弥鱈はふと好奇心が沸いて、シーツを握りしめる梶にぐっと顔を近付けた。触れ合いそうな距離だ。かかる息がくすぐったかったのか、梶がふい、と顔を外す。
「かじさまっ……ン、いかが、です?」
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
梶の横顔がまた絶頂に達する。精液の量には限りがあるので、先程よりも更に射精する量は減っていた。
「また出ましたか」
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
「かわいい、可愛い、なぁ。ちょっと俺の声が気になるかもしれませんが、もう少し付き合ってくださいね」
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
焦点の合わない眼が、弥鱈の言葉にまた一枚、上から布を被せられたようにどんよりと濁った。弥鱈は気付かないまま腰を振る。梶が顔を背けていたから───いや、多分目と目を付き合わせたところで。今の弥鱈が止まることはおそらく無かった。熱暴走しているのだ。高いスペックを誇る弥鱈の脳みそが、度を越えて興奮した結果様々な部分で不具合を起こしている。
仮に梶の瞳を覗き込んだところで、今の弥鱈は「梶様今日は目が真っ黒ですね。この前見た赤ちゃんアザラシに似てる。可愛いものって似るんですね」などと二人の思い出を歪に引っ張り出して腰を振ったのだろう。アザラシに似ている梶の瞳を見つめながら、『アザラシって案外虚無な目をしてますね。常に悲壮感がある』と水槽越しに二人で話したことなど忘れたまま、感情の立ち消えた梶の瞳を見つめてどうせ腰を振った。
可愛い、気持ち良い、カワイイ。弥鱈の頭の中はそれらの単純な言葉だけが駆け回っており、既に何百回と咀嚼されたその感情たちが、ドロドロのペースト状になっても一向に反芻され続けていた。勿論現物的な快楽要素が増えたということもある。だが弥鱈の場合、結腸までぶち抜いて得た快楽には、直接的な刺激よりも視覚的な刺激が大いに関係していた。
覆いかぶさっている弥鱈が視線を落とすと、そこには自分を粛々と受け入れる素直で愛らしい梶が居る。弥鱈の下で、全身が弛緩した体でシーツを精一杯握りしめる梶は、脚を言いつけ通り限界まで開き、弥鱈の動きを絶対に邪魔しよう踏ん張っているようにも見えた。スラストを深くしてぷちゅんぷちゅんと何度も結腸を抜き差しすると、そのたびシーツの上で大きく跳ねては「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」と力なく叫んで絶頂する。梶の健気な姿は弥鱈の所有欲や征服欲を急速に満たし、体をおかしくしてまで弥鱈が気持ち良くなるようにと自身の身体を差し出してくる梶が、弥鱈は愛しくて可愛くてたまらなかった。
「んっ、……は、ァ、……ん、気持ち良いですね、かじさま……」
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
「ね。そうですね。アーアーって、声、出ちゃいますね」
可愛い。口も食べたい。開きっぱなしの口に齧りつこうとする弥鱈を、梶が胡乱な目で見た。舌をだらりと外に出し、『噛みたければどうぞ』という顔をする。別に舌が食べたかったわけじゃないけど、と思いながら、訂正も面倒だったので弥鱈はそのまま差し出された柔い肉を食んだ。
結腸を越えると、人間は壮絶な快感を覚えるらしい。
残念ながらそれは精神的な幸福感に依るものではなく、内臓破壊の恐怖を紛らわせるため脳が興奮物質を分泌するからだそうだ。合理的で少しだけ興醒めな身体のメカニズムを弥鱈に教えてくれたのは、広大なネットの海に漂う情報たちであった。
もともと知的好奇心の強い弥鱈は、お手製のゲーミングPCが生臭い検索履歴で埋まり、YouTubeのおすすめ動画をゲーム実況に成り代わって現役ゲイビデオ俳優のチャンネルや肛門科の悲痛な注意喚起動画が占拠しても特に気にすることはなかった。必要な知識だと思ったし、相手を思えば詳しくなるに越したことはない。『優しく、無理をせず、時間をかけて開発を行って』と繰り返す各チャンネルに『了解』の意を込めてグッドボタンを押していた時の弥鱈は、ただ梶と心身ともに深く繋がりたくて、そうしたらもっと梶と仲良くなれる気がして、ただそんな風に、梶を追い詰めようなんて気持ちは微塵も持ってはいなかったのだ。
勿論、現在梶を抱いている弥鱈にもその意識はある。追い詰めたいわけじゃない。傷つけたいわけでもない。二人とも気持ちが良いなら最良。そう思って抱いている。抱いているの、だが。
「ア゛ッ、あ゛ーぁ、あ゛ー……」
「ッ、───……………………ア゛?」
何かがおかしい、と。
はたとして弥鱈が動きを止めたのは、梶の瞳がどんより濁っていたからでも、彼がまったく同じ喘ぎ声を十回続けて上げていたからでもなかった。
弥鱈が気付いた時には、梶は枕に顔を埋めて荒い呼吸を繰り返していた。
指先に血の気を失うほど力を入れ、凄まじい快感の連続だったのだろう、萎えた性器からはとろとろと透明に近い精液が垂れ流されている。
「あ……え、っと……? か、梶様……?」
撫でた肩が想像より冷たく、思わず梶を抱き起こす。梶は抵抗なく弥鱈の身体にしだれかかった。
ハッハッと犬のような息継ぎをしていた梶が、弥鱈にもたれ掛かった途端呼吸を耳に触りが少ない浅いものに切り替える。きつく瞑られた目には涙が滲み、そろそろ流れるだろうというほど涙の粒が膨らんだところで、「あん、」悶えているかのような動きをわざと見せつけながら、梶はさっとシーツで涙を拭った。
染み込んでいった涙とシーツに弥鱈は目を見開く。絶頂の余韻から体は断続的に震え、火照った身体からはそそくさと情事の熱が逃げだしていった。寒さが皮膚の内側から湧き上がってくる。梶が涙を拭う仕草には躊躇いが無く、手慣れていて、涙を「鬱陶しい」で片付けられてきた人間だとすぐに分かる所作をしていた。
「…………んン」
梶が喉を鳴らし、弥鱈の身体に擦り寄る。媚びるような動きをする梶の目がやっぱり赤ちゃんアザラシのように見えて、ようやく頭が冷めてきた弥鱈はヒュッ、と息を呑んだ。
弥鱈が梶の異変に気付いたのは、梶の瞳がどんより濁っていたからでも、彼がまったく同じ喘ぎ声を十回続けて上げていたからでもなかった。
彼が梶の異変に気付いたのは───もう誰か俺を殴ってくれ、と弥鱈は思う───なんということはない、腹の奥で射精して、賢者タイムに突入したからというそれはそれは即物的な理由からだった。
「あ……あの、梶、様……」
「…………んン」
行為が始まる前『僕が痛くて泣き叫んだらどうしますか』と尋ねてきた青年は、今はロクな発語も止めて、自分に無体を強いた男に体重を乗せている。
甘えられていると梶を知らない人間なら思うかもしれない。けれど実際は違う。むしろ真逆だ。弥鱈は梶隆臣という人物を一定以上知っていて、また梶が一定以上『この人になら甘えても良い』と認識する間柄にある。なので今、正しく痛感している。弥鱈は一番梶にやってはいけないことを、一番やってはいけない立場で行ったのだ。
たぶん日頃の二人を知る人々には想像もつかない話だが、騒がしさを嫌う弥鱈と性経験の乏しい梶のセックスは、案外、普段はちょっとビックリするくらい元気でにぎやかである。
というのも、梶の喘ぎ声が大きいことに加え、二人は行為中もしょっちゅう互いの名前を呼び合ったり、どうでも良い話題にすぐ頭が飛んで与太話を始めるのだ。年齢が近く、出会ってまだ日が浅いからかもしれない。友人としても恋人としても二人はまだまだ距離を縮めることに夢中で、関係をより深いものにするためには、時間や感情はいくら注ぎ込んでも足りなかった。
セックスの最中であっても笑いが起きるような調子なので、案の定というか、二人はピロートークの場も打ち上げ会場か何かと勘違いしている節があった。さすがに性行為のフィードバックをする無粋さはないが、気持ち良かった、またしよう、蛍光コンドームってやつ見つけたんで今度買ってきてブラックライトの下でえっちしましょうよ、何ですかそれゲーミングちんこですかやってやろうじゃないですか、など。ベッドの中で素足を絡め、甘ったるい台詞やくだらない会話などをいつも延々と交わし合った。
セックス後の二人は喋るかキスをしているかだ。口元は常に忙しく、やっぱり弥鱈は「顔に似合わずですいませんねぇ」と自虐して言うし、梶は呆れ顔で「言っときますけど、僕だって顔には似合ってないですよ。成人の男ですもん」と返す。えぇっ、そうなんですかぁ? そりゃぁ、そうですよ。そうして笑ってまたキスをする。そんなことばかりして時間を消費するので、沈黙している暇もなかった。
梶と居る時の自分は、気付いたらずっと喋っていたし、ずっと話を聞いていた。
だから弥鱈は、今日のような沈黙の消し方をもう思い出せない。擦り寄ってくる梶の口がぴったり閉じられて、何も言うことはないと門前払いをくらった時に、元来コミュニケーション能力の低い弥鱈にはぎこちない解決策しか頭に浮かんでこなかった。
「梶様……あの、キス、しませんか。そういえばさっきは舌噛んでただけなんで、まともにキスしてないですよね。まぁ、ずっと私が断ってたんですが……」
先ほど退けた提案を今度は弥鱈側からしてみる。視線だけを向け身じろぎしない梶に代わり、弥鱈は自分が顔を近付けた。
唇が触れそうな距離まで近付くと、つい、と梶の視線が横にズレる。口の中で「わああああ」と悲鳴を押し殺し、弥鱈は焦って梶の唇に吸い付いた。
唇を舐めると、今まで噛みしめられていた梶のソレからはじんわり血の味がする。罪悪感が弥鱈の頭を横から殴りつけ、例え自分の腹に穴が空いたって、ここまで出血の深刻さを感じることは無いだろうと弥鱈は思った。
「梶様、口空けてください」
「……………」
「梶様、かじさま。ごめんなさい。あぁなんてかわい……そう、な、ことをした」
「……今可愛いって言いかけた」
かぱりと口が開き、真っ暗な洞穴から音が這い出てくる。ゾッとするほど察しが良い。視線は合わないのに、梶の目は弥鱈の図星には焦点が合うらしかった。
「うぐ」と弥鱈が言い淀み、次の言葉を考えあぐねる。俯くと埋め込まれたままの自身が目に入ってきた。
あっやばい、まだ梶様の中に性器突っ込んだままだ。まずコレをゆっくりぬいて、それから謝って、それから──
「コレが可愛いなら、それでも良いですよ、ボクは」
ぐるぐると堂々巡りをする弥鱈の頭に梶の言葉が直撃する。
抑揚のない声が脳みそに突き刺さり、『あ。俺。本当にやらかしたな』と、簡潔な感想が弥鱈の思考を占めた。
本日ずっとシーツを握りしめていた梶の手は、何時もだったら途中から必ず弥鱈の首に回り、ひしと彼にしがみ付いていた。
弥鱈の舌を口の中に招き入れることが本来梶は好きだったし、欲で潤んだ瞳をつやつやと輝かせて、弥鱈の一挙一動を熱っぽい視線で追いかけることも日頃の行為における梶の癖だった。ベッドの上で触れる梶の体はいつも熱く、舐めると砂糖菓子のように甘い。セックスしている間、どうして梶が溶けずに人の形を保っていられるのか不思議に思うくらいだ。熱っぽくて甘ったるくて幸せなセックスを弥鱈はずっと梶と重ねてきて、慣れ親しんで、それが二人の当たり前だった。今日とは似ても似つかないセックスを何度も繰り返してきたはずなのに、それでも弥鱈が梶の異変に気付けなかったのは何故か。簡単である。弥鱈の頭がお花畑だったからだ。
この短時間に何度弥鱈は自分を馬鹿だと思うだろう。ちょっと性感帯が普段より気持ち良いだけで、人はこうも我を忘れられるものなのか。
雄なんてみんな馬鹿で、つまり俺は今それはそれは馬鹿。そう自分を謗りながら、これまでの人生で最も自分を馬鹿だと感じる三〇分を過ごした弥鱈は頭を掻きむしった。
ぬぽっと音を立てて弥鱈の性器が引き抜かれる。梶は僅かに体を震えたが、決して声には出さなかった。
散々抜き差しされたアナルはすぐには閉じ切らず、くぱくぱと開閉してはローションを体外に排出していく。コンドームをしていなかったら自分の精液もこうして外に出てきたのだろうかと考えはじめたところで、弥鱈の下半身がまたじく、と疼いた。
出来れば見止めたくない事実だが、痛々しい姿の恋人を前に、弥鱈の性器は今もなお───というか、本当に吐き出して来たのか疑わしくなるくらいハッキリと膨張している。
梶の目がぼんやりと弥鱈の性器を見下ろし、『それでも良いですよ』といった具合に僅かに足を開きかけた。アナルはいまだくぱくぱと開閉している。奥を傷つけたのか、ローションに少し赤が混じっていた。
「………足を、閉じてください」
「………」
「……そうですね。説得力無いですね、これでは」
同じように弥鱈も自分の下半身を見下ろした。
冷え切った頭と熱を帯びた下半身がどうにも一致せず、これは本当に自分の身体だろうか、と弥鱈は他人事のように考える。無論自分の身体だ。現実逃避は許されない。己をひどく浅ましい人間に感じて、弥鱈は膝を立てると自身の性器を梶の視界から隠した。
(何でこの状況で興奮してるんだ?)
立てた膝と腹筋の間、直立したままの己の性器を見て弥鱈は思う。可哀相という気持ちも、こんなことをしたくないという思いも間違いなく本心なはずなのに、どうしてか自分の身体は梶を加虐する方向へと進んでいく。痛々しい梶は可哀相なのに、可哀相な梶は可愛いのだ。吐き気がする。梶にやってあげたいことと、実際に自分の体がやろうとすることに大きな開きがある。早急に対処しなければ、このままではまた梶に甘えて、彼の心も体も食い散らしてしまうかもしれない。
弥鱈はぐるりと部屋の中を見回した。条件に合うものを探し、視線を方々に飛ばす。
手に持てる程度の大きさで硬いもの。電話は壊れる。卓上ゲーム機も壊れる。ふと手元にあるローションボトルが目に入った。硬質プラスチック容器に入ったボトルは多少なり硬さがあり、角の当たり所が悪ければそれなりに痛そうだ。
「梶様、すこし、お手をお借りしますね」
反応がない梶にどうにかローションボトルを握らせて、弥鱈は脱力する梶の体を支え、彼の筋肉を傷めない程度に大きく振りかぶる。
角度を調節し、自身の頭をローションボトルの軌道上に差し出す。
ピッチャーは梶、補助は弥鱈。振りかぶって、投げずにそのままダイレクトにぶつけた。
ゴッ。
プラスチックとは思えない音が鳴った。霞がかった思考の中にいた梶が、身に覚えのない衝撃にパチンと意識をハッキリさせる。
己に痛みはない。
何故だかローションボトルを握りしめている。
梶の手には覆いかぶさるように弥鱈の手が添えられていて、ローションボトルの角が、えっそんな入る? ってくらいに弥鱈の頭にめり込んでいた。
「……はい? ……え、……え゛え゛ええええええ゛えええ!?」
ここのところずっと地べたに這いつくばっていた内心の梶がパッと顔を上げた。
精神的に立ち直ったとかそんな話では無く、何が起きたのか全然分からないのでとりあえず状況把握に辺りを見回しただけだったが、どんよりと重い曇天の空の下、脈略のないローションボトルの出現に梶は空気の重さなんて些細なものは最早どうでも良くなり早々に現実世界への帰還を果たした。
カチンと頭の中でスイッチが再び切り替わる音がした。途端に下半身の鈍痛が増したが、そんなことはいま問題ではない。梶は手にあったローションボトルを放り投げ、弥鱈の頭部を確認した。わりと衝撃的なくらいめり込んでいたが、幸いにして出血は無かった。良かった。いや待て。そもそもなんで弥鱈の頭にローションボトルがめり込んでいたんだ。
「えっなになになに!? 何したんですかえっ!? えっ何したんですか僕!? ていうか弥鱈さん!?」
「大丈夫です、粛清です」
至極落ち着いた口調で弥鱈が言う。梶はあわあわしながら「何もかも大丈夫じゃない一言!」と真っ当な返答をした。
「待って!? あの、僕ちょっとボンヤリしてたんでアレなんですけど、えっ? 殴ったの僕が? ……弥鱈さんを!? ごごご、ごめんなさい!」
「梶様が謝ることはありません。私の自主的な粛清に梶様のお手を拝借しただけです」
「自主的な粛清って何ですか!? 聞き慣れない言葉です!」
「ところでもう一度お手をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「何に使うの!? 何に使うとしても嫌です!」
「確信を得たので反復作業に移ろうと思うのです。ローションボトルでも殴り続ければ人は死ぬ」
「そんな死因で良いのぉ!?」
のっそりと起き上がった弥鱈はやけに晴れ晴れした顔をしている。ローションボトルで殴られて何故彼は晴れ晴れしているのか。当たり所が悪かったのだろうか。こんなことで立会人職を廃業させることになったら梶はどうしたら良いのだろう。
「止めてくださいよ! 僕、加害側は慣れてないんです!」
叫ぶように乞われ、『まぁそうでしょうね』と弥鱈は声に出さないで頷く。
性根の優しい梶なので、痛めつけられることには慣れていても人を痛めつける趣味は無いだろうと弥鱈は考えた。なんだったら『人を傷つけること自体がトリガーとなって正気に戻ってくれるのでは』と強制殴打に参加させたわけだが、見事に功を奏したようで、梶は表面上普段の彼に戻ってあたふたしている。
問題のローションボトルは梶が投げ捨てた為ベッド下に転がっており、わざわざ取りに行くのも面倒なので、弥鱈は再び手元で凶器に成り得そうなものを物色する。ここはやはり壊れても良いからゲーム機にするべきかと視線を機体に定着させたところ、弥鱈の行動を予見したらしい梶が弥鱈の腕にしがみ付き「何したいのか分かんないけどやめてぇ!」と惨劇を阻止した。一気に騒がしくなった室内だがショック治療も良いところだ。弥鱈はゲーム機を諦め、頭にクエスチョンマークを浮かべている梶に向き直った。
「なに……? 今まで僕たちえっちしてたんじゃなかったですっけ? いきなりどうしたんですか弥鱈さん」
「それですよ」
「へ?」
「“えっち”をしてるだけなら別に良かったんですけど、レイプはほら、犯罪じゃないですか」
だから私刑を受けて当然なんです、と弥鱈は続ける。
単語が青天の霹靂すぎたのか、梶は一転キョトンとした。
「れいぷ」
梶が繰り返す。聞き慣れないというより、なぜ今そんな単語が飛び出たのかが分からない、といった顔だった。発言の意図と弥鱈の思考回路を計り損ねているのか、梶は首を四五度に傾け「何の話ですか?」と尋ねる。
「何の話って、たった今まで私が貴方に行っていた所業の数々ですよ。本当にすいませんでした。お体に不調は?」
対して弥鱈はあっけらかんとしている。体操座りのような格好で、容姿に反して逞しい脚の間からは勃起した性器が見えた。何だか色々とちぐはぐな男である。普段ならミステリアスで片付けられる弥鱈も、服を剥いでしまえばその統一性の無さが梶を混乱させた。
「えっ? いや、ちょっと足がダルいかなぁって……って、違う違う!」
梶がぶんぶんと頭を振る。弥鱈のペースに呑まれそうになった梶は、弥鱈の立膝に手をつき、「何ですかレイプって!」と顔をズイッと近付けた。
「レイプはレイプです。性的暴行。強制性交。唾棄すべき犯罪行為ですよ」
「言葉の意味を聞いてるんじゃなくて!」
弥鱈の三白眼と視線が合って、大袈裟に身体を揺らした梶はそのまま身体を後ろに引いた。急速に脈打ち始めた心臓を上から抑え、呼吸が浅くなった自分に気付かない素振りで梶は弥鱈に笑いかける。
「ちょっともう、大袈裟過ぎますよ言い方が! 僕と弥鱈さん付き合ってるんですよ? レイプなんてそんな、そんなんじゃないですっ」
アハハと乾いた声で梶が笑う。怯えるように去っていった身体と、恐怖で速くなる心拍。今だってロクに弥鱈と視線を合わせられないくせに、梶は気付いていないのか、気付かないでいたいのか、努めて明るい表情を顔面に張り付けていた。
弥鱈は先ほどまで梶が手を乗せていた膝に顔を埋め、梶の笑い声を耳で聞く。ひどい大根役者だった。笑い声は記号的で棒読みで、聞いてるだけで虚しさが募る。
呪いがかかっている、と思った。梶には誰かにかけられた呪いが根強く残っていて、今日のような状況下になるとその呪いが発動してしまう。加害を拒まず、自己を殺す。なんて惨くて悪趣味な呪いだろう。
弥鱈は俯いてる間に眉を寄せきり、同情を払い落した顔で梶を見る。
「大袈裟なもんですか。相手を無理やり力でねじ伏せて行うセックスなんてレイプ以外の何物でもないでしょう」
梶はやはりアハハと笑った。
「いやいや、弥鱈さん僕と初対面でしたっけ? 違うでしょ。恋人ですよ、恋人。ちゃんと付き合ってる二人。それが、ちょっと普段と違うえっちしたって、それだけじゃないですか。怖く考えすぎですよ弥鱈さん。あ、ていうかあれですか? 僕がマグロすぎたから、面白くなかったとか、そういうこと? わーだったらごめんなさい! 頑張れると思ったんですけど意外とキツくって……あはは、なんか今日の僕、調子乗りすぎてましたかね? 生意気だったかな? だからレイプなんて、弥鱈さんに言わせちゃった? あはは……なんか全部申し訳ないなぁ。ごめんなさい。弥鱈さんが優しいからって、ダメですねぇ僕。いっつもこうなんです。すぐ調子乗っちゃって、人の優しさに甘えてばかりで、自己中っていうか、ワガママばっかりだから人の気持とか全然分かんなくて知らない間に迷惑かけて苛立たせちゃって」
梶が長々と言う。ダメだった。聞いているうちに隠したはずの遣る瀬無さが表面に浮き出てきて、弥鱈の表情をどんどん険しくさせていく。
二人の間にはぽっかりとスペースが空いていた。不自然な空白に、弥鱈の弱い声が落ちる。
「…………アンタさっきから何言ってんだよ」
弥鱈が目を開いたまま顔を下げると、勃起した己の性器が嫌でも視界に入ってくる。だらだら我慢汁まで流している愚息があまりに情けなくて、弥鱈は顔を正面に固定し、前方の宙を見つめることしか出来なかった。
透明な壁の向こうでは梶が笑顔を作っていて、見当違いな台詞をいまだあれこれと並べ立てている。梶は、弥鱈を見ているようで実際は後ろにある時計の秒針に視線を逃がしていた。本来視界に入っているはずの弥鱈が口を開くたび、不意打ちを浴びたように体を跳ねさせる。
「ねぇ梶様。見ず知らずの人間だろうと恋人関係だろうと関係ありませんよ。私が今貴方に行ったのは紛れもない暴力です」
「だからそんな……」
「あと仮にも立会人が会員様に『力ずく』って何考えてんだお前って思いません?」
「や、……うーん……そ……それは……そうかな……」
流石に梶も同調した。先ほどから何かと恐縮している弥鱈のことはよく分からないが、『立会人がルール外で会員に暴力をほのめかした』という一点に関しては看過できないかなと梶も思う。セックス中のやり取りだとはいえ、服を脱いでも立会人は立会人だし会員は会員だ。倶楽部賭郎は貘の活動拠点でもあるのだし、こればかりは組織を健全に運営し続けるためにも今後は改めていただきたい。
「まぁでも、ここには他の人の目は無いわけだし 他の会員に同じことやったらおおごとになるから気を付けてねってだけですよ。弥鱈さんが自覚してるんなら大丈夫だと思います」
「大丈夫」
「はい」
「大丈夫なんてこと無いでしょ」
「だからさぁー。もう、どうしてそんなに思い詰めてるんですか? かえって僕が申し訳なくなっちゃいますよ! 弥鱈さんがそこまで真剣に僕のこと考えてくれるのは嬉しいけど、でもあの、弥鱈さんの気持ちは僕分かってるんで。僕のこと、本当は大切に思ってくれてるって知ってるし………だからあの、僕は大丈夫です。好きにやっちゃってくださいっ。だって弥鱈さん、僕の彼氏じゃないですか!」
梶は努めて明るい声を出す。『努めて』があまりに前面に出過ぎていて、弥鱈はつい「オエッ」とえずいてしまった。
無理やりにでも視線を合わせれば、梶はニカッと屈託ない笑顔を蒼白な顔面に装着し始める。そこにも形容しがたい不快感があった。作られた声と笑顔は弥鱈の神経を逆撫で、同時により弥鱈を惨めにする。
ベッド脇に追いやっていたシーツへ弥鱈が手を伸ばす。布の片側を梶に渡し、反対側は自分の下半身を覆った。
「どうぞ」
「あ、ども。ん? えっと……? お、終わりです、かね……?」
ようやく体操座りから脱却できるようになった弥鱈は胡坐をかき、梶は投げて寄越されたシーツを手繰り寄せて、弥鱈に倣って同じように下半身を隠す。布を纏ったことで行為が終了したのだと思い込んだ梶は、久々に安堵を顔に浮かべて「色々ご迷惑おかけしました」と早速締めの言葉を弥鱈に投げかけた。
「あ、終わりじゃないです」
「あ、そうなんですね」
残念そうな声だ。弥鱈は聞かなかったことにする。
「ただ話したいことがあって、いたたまれないので隠しただけです」
「ガン勃ちでしたもんね」
「出来ればそれは言わないでいただきたかったです」
バレていることは百も承知だったが、いざ口にされると流石に弥鱈も羞恥を覚えた。
ベッドの脇から枕も引き寄せ、弥鱈が隠ぺい工作としてダメ押しで枕を股座に乗せる。うぷ、と胃の中のものが逆流しそうになり、ここで俺が吐くのは違うだろと己を叱責して背筋を伸ばした。
「今からお話することは、レイプ魔の口から聞いても心外だと思いますがどうか真面目に聞いてください」
「話の前にその自称どうにかなりませんか」
何だか悪いことしちゃった気分になります、と梶が言う。なんで無理やり暴かれた貴方のほうが悪者になるんだ、どういう教育受けたらその思考に転ぶんだと、性懲りもなく弥鱈は虚しさを覚えた。梶の自己肯定力の低さを気にし始めたらキリが無いが、そもそもキリが無いというのも変な話だ。
「自戒です。流してください」
抱え込んだ枕に拳を埋め、弥鱈は口火を切る。
「良いですか梶様。私の性格はどちらかというと加虐嗜好にあります。泣いたり喚いたりされると正直内心イエーイってなる」
「弥鱈さんもイエーイなんて言葉使うんですね」
「ホームビデオによると一歳八か月から使ってますね。あの、話の腰へし折るの止めてください。今そこは重要じゃないんです」
「はぁ、すいません。なんだか気恥ずかしくて」
シーツの下で梶がもぞもぞとする。尻からローションでも垂れたのか、一度体を強張らせたあとは大人しくなった。
「恥ずかしいとか言ってる場合じゃないです。貴方の身体を守る大事な話です」
体を守る?
初めて聞く言葉だ、といった顔で梶が聞き返す。無邪気にその表情を浮かべられること自体本当はおかしいことなのに、梶には言ってもピンとこないだろう。
「そうです」
「僕の?」
「そう」
「誰から?」
「誰からも───と言っても貴方には抽象的に聞こえますかね。ならばはっきり言います。貴方が『自分のことを愛しているはずだ』と信じている人からです」
梶の喉が鳴った。目を見開いて、いよいよ知らない世界に足を踏み込んだ、といった様子だった。
なんだか弥鱈の頭の中に『梶の知らない世界』とどこぞのテレビ番組をもじったタイトルコールが浮かぶ。梶の知らない愛情の世界。最悪なタイトルだ。ただ一時間の放送枠をもたせることが出来るくらい、この世界において梶が知らないことは多いだろうと安易に予想がついた。あぁなんて腹立たしい。弥鱈は続ける。
「私が貴方を抑えつけて、貴方を喰らうことなんて簡単です。現に今簡単にこなせた。でもそれは、許されてはならないことだし、貴方だって許しちゃいけないんですよ」
梶の表情が強張る。禁止表現が梶のトラウマを刺激するのだと推測し、弥鱈は柔らかい言葉で言い直した。「私が貴方に何かしたいと思う権利があるように、貴方も私に何かしたい・何かしてほしくないと思う権利があります。貴方だけ権利が奪われるなんてことは絶対に無いんです」
分かりますか、と弥鱈が聞く。目元に困惑を残す梶は、頷きかけて目を泳がせた。
「分か……いいえ。ごめんなさい」
小さな声が謝罪した。謝る声ばかりは何時であってもむやみに大きい梶が、小さな声で「ごめんなさい」と口にするのは随分珍しい。
弥鱈はここで、梶の手がぶるぶると震えていることに気付いた。
何をもって震えているんだろう、俺が怖いんだろうか。思いながら梶の表情を探ると、張り付いていた笑顔の後ろから知らない梶が顔を覗かせる。自暴自棄になりながらも淡い期待を捨てきれていないような、はじめて見るその梶は、いつもの梶より数段幼く見えた。
「ごめんなさい分かんない。弥鱈さんが言ってること、僕には分かんないや」
紡がれた言葉は幼稚っぽく聞こえ、まるで小さな子供が発言したかのようだった。
貴方の意図が分からない。かつて父母に伝えたくて、けれど恐ろしくて声にならなかった子供時代の梶の叫びが、今ようやく弥鱈の耳に届いているのだと思った。
「……分からない?」
「ていうか、ピンとこない」
「そんなことあって良いと思いますか? 私は何も難しいことなんて言っていない。梶様にも私同様に自分の主張を貫く権利があると、人は誰しもその権利を有していると言っているだけなんです。なのにピンとこないなんて。そんなの、あぁもう、貴方のかつての保護者は今どこに居るんです? 教えてください。殺してやる」
「や、分かんないっス」
「歯痒いな」
「僕は安心しました」
「何で安心するんですか。殺させろよ。そんなクズ」
「人を殺しちゃダメなんですよ」
「人は傷つけたって駄目です。分からない奴は殺すしかない」
「そんなぁ」
物分かりの良い子供でいるよう強要されてきた梶が、「分からない」の一言を絞り出すためにどれだけの勇気を振り絞ったかは弥鱈には計り知れない。相互不理解はお互い山のようにあり、生産性のない世間話やゲームトークは何時間だってダラダラとこなすのに、秘密主義の弥鱈と梶は自分の根本に触れることは相手に話そうとしなかった。
多くの与太話で関係を深めながらも、本当の意味で相手を理解しようとしない・理解させようとしないのが弥鱈悠助と梶隆臣だ。もしかしたら世界はそんな二人を奇妙に思うかもしれないし、本質の共有こそ愛と呼ぶのだと糾弾するかもしれない。だが、弥鱈はそんな世界に背中を向ける。弥鱈にとってはそんな愛は暴力だし、梶にとっても同様だろうという確信があった。
梶が「分からない」の一言に何を乗せてきたかなんて、弥鱈は分からなくても良い。
ただ、分かりようも無いほど勇気を出して、自分を信じてくれたのだと思うことにした。
「世の中大体は加害する側の頭がおかしいんですよ。容赦なんて要りません。口先だけ『大切にしてる』なんてほざく輩はね、誰だろうが、私だろうが、受け入れる慈悲なんてかけなくて良いんです。彼氏面してようが知らねぇよと無下にしてしまえ。貴方が一番尊重しなくてはならないのは貴方です。他の誰でもない。私でもない」
断言し、弥鱈はもう一度「分かりますか」と尋ねる。
やっぱり梶は釈然としない顔をして、シーツの端で顔を擦った「正直、あんまり」
「なんとなく、有難いこと言ってもらえてるってことは分かるんですけど……」
「まぁおいおい理解していってください。今日のところは『デートDVを許すな』って標語だけ覚えて帰ってもらえれば」
「若手お笑い芸人みたいなこと言う……ていうか、当事者がそこまで注意喚起することあります?」
レイプ魔なんですよね? と梶は数分前を掘り返して言う。こういう素で無礼なところは伸ばしていっていただきたいと思いながら、弥鱈は「はいレイプ魔です」と躊躇いなく自己紹介し、小さく挙手したまま自己を展開した。
「私歪んじゃいますけど良識はあるほうなんですよ。貴方の苦痛に歪んだ顔はとても可哀相で可愛らしくて好きです。でもそれを自らの手で作り出そうとするなら、そんなのもう、話が違う。貴方に触れる資格がない」
自分は歪な人間だと常々弥鱈は自称する。愛しい人とそうでない人の区別はつくのに、愛しい人に与えるものの中に何故か時々毒を混ぜてしまう。だから弥鱈は、自分で自分を見張っていなくてはならないのだ。
それが弥鱈さんなんじゃないですか、と梶は肯定しようとする。けれど弥鱈は首を振って、はっきりとした口調で言い切った。そんなことは許されない。
「好意は免罪符じゃない」
噛みしめるような言葉は、梶に伝えるというより、弥鱈が自分自身に言い聞かせているようだった。
飄々として掴みどころのない弥鱈が、これだけ断定した発言を繰り返すことは稀だった。賢い人だから強い言葉の重みを知っているのだろうと日頃から梶は思っていたが、やはりその考えは正しかったらしい。弥鱈は今、梶のために強い言葉を意識して繰り返しているように見えた。梶を守り、自分を制限するような言葉たちを惜しみなく使う弥鱈を、梶は『やっぱり弥鱈さんは強い人だなぁ』と思いながら眺める。
「……僕に、僕なんかに触れるのに、資格なんていりますかね。だって弥鱈さん、こんなに僕のこと好きでいてくれるのに」
「逆ですよ。好きだから発生するんです。私は、貴方だけには、貴方に触れていると噛みしめながら触れたい」
ぽいっと弥鱈が膝の枕を放り投げる。(意外と雑な人なんだよなぁ)と苦笑する梶の頬に弥鱈の手が触れた。少し神経質なくらい短く切りそろえられた爪は、指先が梶の輪郭をなぞっても、梶の肌を痛めることはなかった。
実はギャンブラーの梶よりもずっと使われる頻度が少ない弥鱈の手は、目立った荒れもなく、掌は特に年齢相応に潤っている。『弥鱈さんの手って思ったよりぷにぷにしてますね』と付き合い始めに口走ってしまったことを梶は覚えていて、失礼な言い方だったかな、と不安になって見上げた弥鱈の顔に(え、そうなんだ)という驚きがあったことも梶は記憶していた。些細な思い出だったが、弥鱈もそんな小さなやり取りを、彼いわく“全然顔に似合わない”なりに覚えていたらしい。
「せっかく掌が柔らかいらしいので。だったら優しく触れたいじゃないですか」
優しいですねと言いかけて、梶は寸前で弥鱈にかける言葉を変えた。
弥鱈の暴力性は先ほど身をもって感じてしまったし、弥鱈本人も自分は歪んでいるとかレイプ魔とか散々な自己評価を下している。頭からつま先まで優しい人というわけでは実際無いのだろう。けれど骨の髄まで淀んでいるかと言われたら、それも多分違う。
梶はわななく唇を一度噛み、思い切って今までの人生で溜め込んできた本音の端っこを披露することにした。弥鱈が持つ柔らかさに、賭けてみたくなったのだ。
「……我慢しないといけないって思ってた。痛いのはワガママだって」
拳、カッター、車。今までの我慢が走馬灯のように梶の頭を巡る。
ぽろんと産み落とされた疑問を、今までだったらすぐさま拾って飲み込み直していた梶は恐る恐る弥鱈に差し出してみた。
「違うんですか?」
「全然違います」
食い気味の否定だった。差し出された常識を躊躇なく握り潰し、弥鱈は梶の人生における常識の残骸に、ペンキを上塗りするように言葉を積み重ねていく。
「というか、仮にワガママだったとして、ワガママを貴方が通しちゃいけない理由ってどこにあるんですか? もう一度言いますけど、それって貴方の権利ですよ」
そうして弥鱈の言葉が上書きされた新しい常識は、梶の手元に返ってきて、白く柔らかく光ってみせた。
賭けは梶の勝ちだった。眩さに目を細め、成功報酬だといわんばかりに弥鱈の言葉を噛みしめる梶に、弥鱈は『今までだって貴方にはその権利があった』と付け加えたくなる。
梶の半生を弥鱈は書面上でしか知らない。書面だけで十分と思えるような半生だったから、直接梶に聞く予定も無かった。深くを知らなくとも、梶の言動から見えてしまう過去はある。痛みが強くなるほど反比例するように梶は抵抗を弱めた。加虐する人間を受け入れ、自分の体が壊されていく様を“仕方が無いことだ”とただ傍観した梶は、きっと幼少期から生物の本能の真逆をいくよう教育が施されたのだ。むごくて可哀相な梶。弥鱈はそんな梶を、そうと分かった上で抱いた。恩恵を受けたと言っても良い。目を背けたいが事実だった。
「今日を境にすぐ解決するものではないかもしれません。人は簡単には変われない。貴方もそうだし、私もそうです」
「はい」
「でも一方で、人は良くも悪くも順応する生き物だ。変えてやろうという気概があるなら、いずれ我々にも変化が訪れるでしょう」
けけっ、と弥鱈が笑う。他人に付けられたという“邪悪魔女”の称号が大層似合う笑顔だった。
こればかりは惚れた弱みで片付けるのもアレなので梶も賛同するが、弥鱈の引き笑いというのは確かに何度見ても不気味である。こけた頬に高く尖った鼻を持つ弥鱈は、屈強な健康優良児の割には常に顔色も悪く、ギョロリと鋭い三白眼も相まって相手に陰鬱な印象を抱かせる。大抵の人間はそんな弥鱈が浮かべる笑顔を見て、人外に感じるようなおどろおどろしさを感じ、この生き物はきっと悪意に満ちた恐ろしい存在なのだと推測するだろう。
(損な人だよなぁ)
添えられたままの手に久しぶりに擦り寄ってみると、ややあって、弥鱈の親指が躊躇いがちにフニ、と梶の唇を押す。長く骨張った指は梶の耳にかかり、耳介から耳たぶまで表面を淡く撫でていた。
「触っていても良いんです?」と弥鱈。
「どうぞ」
「どうも」
了解を得て弥鱈の手が梶を這う。繰り返されるうちに梶の体の奥で熱が燻り始めた。
はふ、と温度の上がった息を吐く梶に、もう一度弥鱈の親指が唇を押してと端まで指の腹をスライドさせていく。口角に親指を突っ込んで、意図的に上げたり下げたり弄んだあと、弥鱈がふふっと笑った。今度は自分が笑っている自覚も無いのだろう、口角を押し上げられた梶に釣られて弥鱈も口角を上げる。邪悪が聞いて呆れるほどに柔い微笑みだった。
「こうして悲観的でいられるのも、きっとお互い今だけです。ざまあないですね」
「弥鱈さん。僕、貴方が好きです」
突拍子も無かった。梶が言った。
弥鱈の目が見開かれ、すぐにきゅぅと細くなる。
「はい」
「でもさっきは、少しだけ嫌いになりそうだった」
「……はい」
「そんでもって今……やっぱり大好きだと思います」
シーツで体を包んだ梶は、今度は不意打ちで弥鱈のほうへと倒れ込んだ。「おっと」と小さな声を上げ、けれど易々と片手で梶を受け止めた弥鱈に、梶はゆっくり深呼吸をする。
一見すると貧弱そうな弥鱈はしかし暴を生業とする人間で、平均的な体格の梶が体重をかけても、彼の身体はビクともしない。
急にもたれ掛かろうと弥鱈は片手で梶を受け止められる。腕っぷしもあるし、何より強い人なのだ。こんなに強い人なら、梶は弥鱈に、少しくらいもたれ掛かっても良いのかもしれない。
「気が抜けたんです?」
「そんな感じですね」
「さっきまでの貴方、変でしたよ。表情が尋常じゃなかった。あれは良くない」
「それを言うなら弥鱈さんもです。明らか様子がおかしかった」
「すいません」
「良いんです。僕もごめんなさい」
「梶様は、まぁ、謝らなくても良いと思いますけど」
貘によって過去の憂いが全て清算された今でも、梶は時折言い様のない罪悪感に苛まれ、心は些細なキッカケからどんよりと曇ることがある。空気の重たさに立っていることが苦しくなって、どこからかやって来る父や母の影に、梶はひらすら許しを乞いたくなった。弥鱈の言葉を借りるなら『人は簡単には変われない』だ。自分は自由なのだと何度己に言い聞かせても、心の中は重いし、そのたび梶はつい膝を折りたくなってしまう。
真っ直ぐ立っていられない。このまま体を丸めて、嵐が過ぎるまで地面に這いつくばっていようか。
そうやって屈しそうになる梶の元へ、同じく背中を丸めた弥鱈は軽い足取りで近づいてくる。梶の顔を覗き込み、泣きだしそうな梶の顔を見て満足気にニヤリとした弥鱈は、けれど飄々とした様子で『さて。良い顔も見れたしそろそろ行きましょうか。あ、ちなみに言っておきますが私の猫背はゲームをしすぎた弊害です』と梶に手を伸ばしてくれた。梶の世界に蔓延る重さは、強くて偏屈な弥鱈には通用しない。弥鱈の手を取り、父母から引き離されて梶は世界を歩き出す。ステップを踏むような弥鱈の歩みには重力を感じず、彼の歩き方を真似れば、少しだけ体の重みから解放された。
あるいは救いというのは、こういった軽さの繰り返しなのかもしれない。
「…………僕はまだ、ギャンブルに関わることでしか自分を変えられないでいる。僕自身の生き方を、変えるとか変えないとか、そんな大きなことを言う勇気はない」
シーツ越しに弥鱈の体温が梶に移ってくる。胸が温かい。背中がちょっと寒い。素直に口にすれば、弥鱈の腕が後ろに回った。梶の背中に、弥鱈の体温がじんわりと伝わる。凝り固まった筋肉がほぐれ、また少し体が軽くなった。
「でも変わっていく僕を嬉しいって、受け止めることなら出来そうです」
今はそれでどうか許してほしい。懇願を梶が口にするより早く、弥鱈の体温が上がった。視線を動かす。少し照れた顔の弥鱈がいる。素直に照れるなんて珍しい、と思ったところで、触れ合ってる部分に違和感があった。正確に言うと下半身。もっと正確に言うと下腹部、胡坐をかいた弥鱈の中心。
「ええー?」
「男って不思議ですねぇ」
弥鱈が天を仰いでみせる。いやいや、僕もれっきとした男ですけど今じゃないっすよ、と突っ込む梶を軽く流して、弥鱈の手がシーツの中にするりと入ってきた。背中にあった腕が素肌同士で触れ合い、弥鱈の熱が直接的に梶へ届く。さわさわと梶の背中を撫でまわしていた手が、覚悟を決めたように梶の肩を掴んだ。
「梶様、もう一度しませんか」
再戦の申し出だった。まだ終わりじゃないと前もって言われていた身ではあったが、なんとなくこのまま抱き合って眠る方向に転ぶのではないかと思っていた梶は「っ、うぅ……」と正直にうめき声を上げてしまう。
「嫌ですか。怖いですか、私が」
弥鱈が顔を覗き込む。なんといえば正解なのか。分からなくて「いやえっと、そのぉ、」と歯切れの悪いことを呟く梶を、弥鱈は「それならそれで良いんです」と穏やかな声で受け入れた。
「嫌なら止めてくれと暴れたら良い。それが貴方の権利なんですから」
「弥鱈さん……!」
「まぁ私は多分言うことを聞きませんが」
「んんん~~?? 待って話違くない??」
優しさにふわふわしていた梶が突然滝つぼに突き落とされたような気持ちになる。あれっ、今ってそんな流れだったっけ? なんか唐突に落差が生まれなかった? 唐突に落とされなかった? なに? スプラッシュマウンテン?
いつの間に梶はジェットコースターに乗っていたのだろう。突然の裏切りにズッコケそうになるが、弥鱈は特に罪悪感など感じていない様子で、どころか「今の流れで何でそうなるの?」とねめつける梶に首を傾げ返して言う。
「え、だって。いつか変わるとは言いましたが今現在は梶様の無様な顔に興奮しますし、善処はしますけど、さっきの今で紳士的に振舞える確証なんて誰も持てないと思いませんか? 嘘は良くないですよ」
「そんな馬鹿な」
弥鱈の当然と言った態度に梶はビックリしてしまう。さっきまでの人道的な主張はどこに行ったの? と思うが、よく考えたら弥鱈は梶が奪われてきた権利についてニュートラルな意見を述べただけで、別に自分が今後全く無害な存在になります的なことは話していなかったかもしれない。言ってなかったっけ? 言ってなかったわ。あぁそうか、つまり弥鱈悠助にとって全ては結果論なのだ。どれだけ真剣に梶と向かい合ったとしても、自分に信用出来ない部分があるのなら素直に裏切るかもしれないと梶に話す。格好が付かないとか、その場の空気とか、そういったものを度外視する勇気が弥鱈にはあるようだった。
とはいえ、ここは普通嘘でも『絶対に嫌って言われたら止めます!』と宣言するものじゃないだろうか? 梶は思うが、融通を利かせない姿勢は弥鱈なりの誠意の表れなのかもしれない。正直で不器用な人だ。梶は弥鱈がやっぱり好きなので、そんな彼をひっくるめて『誠実な人』と言い換えてあげることにする。
「くっ……良いでしょう、そっちがその気なら僕も容赦はしませんよ。やってやろうじゃないですか。今度こそ本気の抵抗ってやつを見せてやります」
到底セックスを今から仕切り直す人間の発言には聞こえなかったが、相手役の弥鱈はそれで良いと判断したらしく「頼もしいですね」と満足気に頷いた。
「あぁそうだ」
「ん? ……ン、」
ちゅぅ、と音を立てて唇を塞がれる。その後に額と頬と瞼と、顔中にキスを落とされて目をぱちくりさせる梶に、一旦唇を離した弥鱈が深々と頭を下げた。
「さっきまでずっと、蔑ろにしててすいませんでした」
悔いるような弥鱈は、本日だけで何度もキスを断っていたことが気にしていたらしい。わざわざそんな、と笑おうとする梶を見透かしたようにもう一度キスが落とされた。大切なことなのだと唇の熱が言外に梶に伝えてくる。人体で最も薄い皮膚を弥鱈と重ねながら、やっぱりこの人は誠実の言葉がピッタリだと梶は思った。
「……弥鱈さん」唇の合間から梶が呼ぶ。
「はい」
「好きです」
「え、はい。私も」証明するようにまた弥鱈がキスをした。
「だからあの、い、言いますよ?」
「はい?」
「あの……さ、さっきから、チンコデカくするタイミングとか、色々おかしいですっ。そーゆーとこですよ。弥鱈さんの、へ、変態………意地悪」
「へ? ……ふ、あははっ」
弥鱈がトンと梶の肩を押した。
抵抗もなくベッドに倒れた梶が、両腕を伸ばして弥鱈を催促する。
「ん!」
伸ばされた腕を取り、弥鱈も招かれてマットに沈む。間に挟まっていたシーツをまた払いのけて、裸で触れ合い、弥鱈はコンドームに手を伸ばした。
「中切れてますよね?」
「もうどうでも良いですそんなの」
「アフターフォロー頑張ります」
「そうしてください」
キスの合間に事務的なやり取りをして、弥鱈の性器が梶の穴に押し当てられた。性急だろうか、というお互いの杞憂もそこそこに、「めちゃくちゃ勃ってんじゃないですか」と「なんでケツこんなヒクヒクしてるんですか」が相殺し合い、二人は同時に笑い声を上げる。前戯代わりにキスを深めて、弥鱈がゆるゆると挿入を始めた。穴が十分に解れていることもあり、最初よりずっとスムーズな挿入だったが、梶は眉を顰めて弥鱈の腕を引っ掴む。
「また痛い」
「はい」
「もうほんとヤダ。なんで、なんでこんなことするんです? 痛いの嫌いなんですよぅ。もっといつもの、キモチイイことだけしてくれたら良いのに」
恨み言と一緒に梶が弥鱈の腕に爪を立てる。少しだけ肉に爪が食い込み、けれどそれは皮膚を破るほどではなかった。
痛いと口にするまでもない。この程度の反抗で本当に良いのかと弥鱈が心配した些細な抵抗は、それでも梶からすると随分思い切りをつけた行動だったらしく、梶の顔には達成感と少々の罪悪感が浮かんでいた。
「えーだって、私も気持ちよくなりたいですし」
弥鱈が形だけムッと口を尖らせる。本当に怒ってやるものかと、舌先から冗談めかしたシャボン玉が飛んだ。
「弥鱈さんの贅沢者」
「梶様がお相手になった時からそれは重々承知しております」
「んもぉ! ……早く動いちゃってください」
「ちょっろいなァこの人」
思わず弥鱈から本音が飛び出た。ぺちん、と梶にデコピンされたので、お返しに額に唇を押し付けてやる。くすぐったそうに身を捩る梶に気を良くして腰を進めると、途端に梶の眉が寄った。
「あ、……ひ、ぅ、……んぎっ! くっそう、そこ、そこすっごい痛いです……!」
「なるほど。では一気にいきましょう」
「何でだああああああ」
人の話全然聞かねぇなこの人! と梶は弥鱈の背中をポコポコと殴る。いてて、と嬉しそうな声が上がって、弥鱈が「嫌ですか?」と梶に尋ねた。うぐ、と梶が言い淀む。その顔とその声で聞くのはズルい。
梶はポコポコ殴っていた手を弥鱈に回し、消え入りそうな声で返した。「嫌ってほどでは……ないけど」
「ちょろい」
「だからその言い方ッ……! ッ、あぅ、ぃ゛っ! ………ぅ、ぎ、……はァ……っ、う、う゛ぅ……」
「ちょろすぎて、可愛いと思うなって方が無理です。もうすこし頑張ってください」
「うぐぅ……他人事だと思って……! あ゛、んッ……ンぃッ」
「ここが終わったらその痛みも報われますよ。この瞬間痛かったことなんて忘れてしまうくらい、これからずっと気持ちが良いですからね」
「ンンッ……じゃ、ぁ……はやくっ、気持ちよくして……!」
「えぇ、もちろん……というか、」
弥鱈が足を抱え直した。
あ、くる。予想して衝撃に備えるよりも早く、弥鱈が梶に体重をかけてきた。真上から楔が打ち込まれる。
ズプンッ!
「──ッ!! ……ァ……かひっ……!」
「ッ、他人事じゃないんですよ俺も……!」
梶が呼吸を忘れ、敬語がぐずぐずに砕けた弥鱈は梶の首元に齧りつく。奥まですっかり入りきった状態で、弥鱈はフーフーと獣のような息を吐いて梶の呼吸が整うのをじっと待った。
「あ゛……ぅ……」
「梶様、かじさま。わかりますか。また全部入りましたよ」
「ん、ン……」
放心状態の梶が手を自身の下腹部に持っていく。腹を撫でたあと下にくだってきた梶の手が、根元まで入り込んだ弥鱈の下半身をペタペタと触った。暴発するから止めろ、と言いたい気持ちをグッと抑え、弥鱈は梶の鎖骨に舌を這わせる。前開きのシャツを愛用する梶だからと今まで遠慮していたキスマークも、もうこの際どうでも良いかと二、三付けてやった。
「ふ、ふふ……ほんとだ、全部この中……」
とろんとした表情で梶が笑う。一気に挿入したことで少し意識がトンでいるらしい。再び自分の腹に手を乗せ、梶は満足気に下腹をさすっていた。
「今度は、どうでしたか」
所有痕が散らばった首元に満足し、少しだけ余裕を取り戻した弥鱈が尋ねる。
「ン……そりゃぁ……痛かったですよ」
ほわほわした梶がそこだけハッキリとした口調になる。さすがに騙されてくれないらしかった。
「まぁそうですよね」
分かっていたことだがまた無理をさせてしまった。『もしかしたら自分はテク無しかもしれない』という疑問が拭えないままで居る弥鱈だったが、右手に梶の指が絡んだのでそちらに意識が移る。未だ呼吸が乱れている梶が、弥鱈の手を自分の胸元へと持っていき両手で抱え込むように握る。堅く結ばれた二人の手の横に、キスマークの赤が映えていた。
「でも、こんなに幸せならぼくあと三〇かいは痛くてもいい」
ふにゃりと笑い、梶が抱き締めた弥鱈の手に頬ずりする。あまりにいじらしい梶の行動に、ピシッと弥鱈が固まった。
あざとい。はっ? 無理。止めてくださいよ、俺そういう分かりやすく可愛いやつに案外弱いんです。
「……ヤですよ。あと三〇回も貴方が痛いなんて」
辛うじて言葉を返し、弥鱈は梶に口付けて無理やり視界から梶のふにゃふにゃ笑顔を外した。伸ばされた舌は吸うと痺れるように甘い。砂糖菓子を転がすつもりで、弥鱈は梶の舌を存分に堪能した。
「……動きますよ」
「ぁい……♡」
律動を始める。痛みが無いよう大きなスライドは避け、最奥を教え込むように深いところでトントンと繰り返し突いてやった。肉が絡みついてくる。梶の口から甲高い声が漏れ始める。最初に貫いた時どれだけ梶の気持ちが入っていなかったか、痛感するくらいにあられもない声が部屋に響いた。
「はひっ♡♡やっ♡あぁん♡♡♡はうっ、んっ、おっ♡♡♡んおっ♡♡♡」
「へ……!?」
突然梶の喉からエロ漫画でしか馴染みがないような喘ぎ声が聞こえて弥鱈がギョッとする。ひっきりなしに梶が上げる声は語尾に全てハートマークが付いているように甘ったるく、耳から入ってくる音に脳みそを揺さぶられ、弥鱈は早々に限界を迎えそうになった。ナカの具合もとんでもない。竿全体をぎゅうぎゅうと締め付けてくるくせに、弥鱈の侵入は素材刷るどころか大歓迎とばかりに肉を緩めて受け入れてくる。そして腰を引こうとすると、肉が『行かないで』と蠢いて弱いところを擦った。興奮でカチカチ歯を鳴らしながら、弥鱈は気付けば腰の動きを激しくして梶の中を穿つ。あへあへと口から涎を垂らし、身体をまっ赤にした梶も弥鱈にしがみ付いて自ら腰を振った。
「ああ゛あ゛♡♡しゅごっ♡♡はうっ、んあ゛っ♡♡♡はー♡♡♡もっとぉ♡♡♡もっとちゅいてッ♡♡♡んぉ゛ッ♡♡♡オ゛ッ♡♡♡♡」
「ァ、……ぅ、ちょ、待っ……ッ! えろ…!? はっ、そ、んな……締められたらっ……!」
「きもちいよぉ♡♡♡おくっ、きゅんってしゅる♡♡♡あ゛ああ゛っ♡♡♡みだらしゃん♡♡すきっ♡♡すきぃっ♡♡♡♡」
「待っ……っ、はっ……ァ、……ぐっ……! ンッ……!」
何だコレ!? と弥鱈は混乱する頭で目の前の梶を見た。激しく喘ぎながらもなんだかニコニコしている梶が、ニコニコしたまま腰を振ってとぷとぷと精液を垂れ流している。深すぎる所を付かれて頭がイカれてしまったのか、今度こそ心まで幸せにどっぷりと浸かっているからリミッターが外れたのか。分からないが、梶は普段の彼からは想像も出来ないふしだらな言葉を並べ立てて笑っていた。中は相変わらずぐねぐねと蠢き、突かれる時は柔く迎え入れ、弥鱈が腰を引くときは名残惜しそうに弥鱈を締め付ける。何度か弥鱈の腰も震え、中に精を吐き出していた。射精はしているのに梶も腰を振っているため、引き抜くタイミングが分からず、結局弥鱈は梶の中でまた欲を膨らませて動き始める。
「きゃぅっ♡♡んああああ゛♡♡♡あ、ぁ゛♡♡♡んン♡♡♡おぐっ♡♡♡きもぢぃいっっ♡♡♡♡」
「奥ってどこですかっ? はっ、ねぇおくっ、どこ、なぁ!?」
「んっんっ♡♡♡っあっぅう! んお゛ッ♡♡ここ♡♡♡いま、ここぉ♡♡♡どちゅどちゅされてるのっ♡♡♡♡♡」
腹の上から梶が指差す。ヘソを越えている辺りに手があって「本気で言ってんのか!?」と所有者側の弥鱈が戦々恐々とした。そんな所まで入るブツだったのか。そりゃ痛いわ。でも今はもう梶は随分と気持ちが良さそうである。自身の手の下で抜き差しされている弥鱈の性器を、上から少し押して「ここまでいりゅ♡♡いりゅのっ♡♡♡みだらしゃんがいりゅ♡♡♡」と嬉しそうに弥鱈に報告してくれる。
「こんなところまで入ってるんですかっ…!? こんなとこまで許して、……ァ、う……! ……ははっ……! 貴方、大丈夫ですか!?」
「きゃひっ♡♡♡いい、いいのッ♡♡♡、お゛、ァっ♡♡♡みだらさん、にゃら♡♡♡♡」
「っ! そう、ですか……! じゃァ、お言葉に、っ甘えますね……!」
「あ゛っ! あああ♡♡あぅ♡♡♡ぅ、んぉオ゛っ♡♡♡イぐッ♡♡あああっ♡♡♡また、イ゛っ……ッ、~~~!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
どちゅっ♡どちゅっ♡と重い水音が部屋中に響いている。何度か吐き出して先に余裕を取り戻してきた弥鱈は、汗でぐっしょりと濡れた髪をおざなりに掻き上げ、これ腸内大丈夫なのか、と今更ながらに梶の心配を始めた。いつのまにかコンドームは外れ、弥鱈の精液と腸液とローションで結合部は大変なことになっている。体液に血が混じっている気もしないでもないが、ばちゅんっばちゅんっ! と腰を打ち付けるたびローションや体液が泡立って詳しくは分からなかった。
弥鱈がぶるりと震え、何度目かの精を吐き出す。さすがにコンドーム脱げてるし、と外で射精した弥鱈を、梶は恨めしそうな目で見つめていた。残り少ないコンドームを被せ、また挿入する。
ぐぷぷぅっ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
「はあぁ゛あ゛~っ♡♡はァ、あ゛♡♡♡ぁひっ♡♡きたっ♡♡♡うれしっ♡♡♡♡」
待ち望んでいた快楽に梶の喉が仰け反る。ぴくんっと梶の性器が動いたが、精液が出る風でもなく痙攣するだけだった。知らない内にドライでイくようになったらしい。
「こんなにお腹の中掻き混ぜられて、いっぱいイってるのに、なのにまだ欲しいんですか?」
「んんっ♡♡ほし、ほしいです♡♡♡みだらしゃんのッ♡♡♡んぉお゛ぉ♡♡♡あ゙あ♡♡あ、おッ♡♡♡ぉっ、お゙ぁあ゙ ♡♡♡、ッ、ずっといてっ♡♡♡ひあ、あ゛♡♡あ゛っ♡♡♡ んッあ゛♡♡」」
「痛い思いまでしてお腹の奥に私を招き入れて、普通なら覚えなくて良いところで気持ち良くなって……っ! あ゛ーなんかもう、無理! なんなんだアンタ。可愛いなぁ、絶対手離したくない」
「んっ♡♡ん゛ぅう♡♡♡お゛ッ♡♡♡んぎっ♡♡♡ちくび今だめっ♡♡こりこりだみぇっ♡♡♡ンん゛ぅッ♡♡♡♡♡♡」
「どうしたものかな……っ、どうにか、ン、俺ので居てほしいけど……!」
「んぅッ♡♡♡おっ♡♡♡あ、ァ゛あッ♡♡はぅ、♡♡♡ん、ん、~~~ッ♡♡♡♡♡♡♡」
「はっ、梶様。おへんじっ、お返事はどうしました? ねぇっ……、っ! 俺の、貴方で居てくれますかっ、ねぇ……!?」
「んンッ♡♡お、ぉ゛っ♡♡♡♡んァっ♡♡いぐいぐっ♡♡♡♡♡イくの止まんなっ…ッ♡♡♡♡♡♡イっ、! ッ~~♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
「はっ、顔やっば…! かじさま、お話出来ませんか?」
「ッ! ♡♡♡♡♡ ~~ッ! ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
「ダメだなコレ……じゃぁやりかたを変えましょう」
くぽんっ♡とまた弥鱈の性器が抜かれてしまう。「あぅっ♡♡ァ、な、んでぇ……!」と蕩け切った顔で切なげに叫ぶ梶に、弥鱈がずい、と顔を寄せた。
「み、たら、しゃ……?」
「ちょっとキスがしたいんです。出来ますか?」
「んんっ♡♡できます……ぼく、も…したい……♡♡」
梶が快感に震える体を叱咤する。弱弱しく持ち上げた腕を弥鱈がすくい、体液でぐちゃぐちゃに汚れた梶の身体をしっかりと抱きしめた。梶の耳元で弥鱈が、なんだろう、何か囁いている。梶の蕩けた頭では言葉の判別が出来なかったが、弥鱈の低く掠れた声が、シロップのように梶の耳に流れ込んでいた。分からないが、きっと親愛を伝える言葉だろう。だって弥鱈の声が甘い。
弥鱈の唇が降ってきた。待ち望んでいた柔さに梶は噛み付くように引っ付く。いつもならすぐ舌で口内を撫でまわすのに、今はちゅっちゅと、触れるだけのキスが何度も繰り返された。(やだ、もう僕に意地悪しないで)。梶がかぱりと口を開け「えぅ」と鳴く。言葉に意味はなかった。ただ弥鱈に不満だと、口内を弥鱈の長い舌で犯してほしいと伝われば良かった。弥鱈はすぐに唇を寄せた。舌を甘噛みして上顎をくすぐる。気持ちが良くてふわふわとした。下半身はもう何も吐き出さないで痙攣していた。
くぽくぽとナカが鳴いていた。上で、下で、粘膜で、皮膚で、頭で、心で。弥鱈を求める梶に、同じものが弥鱈から与えられた。
『 』
「んっ、ん、………んっ♡」
何か言われている。何かは分からない。梶はただ快楽に溺れながら、ただキスで返事を返し続けた。