弥鱈は思ったよりキスが上手かった。
なので「思ったよりキスが上手いですね」と思ったまま梶は呟いて、そうしたら弥鱈は少し眉間を寄せ、「失礼な人ですね」と梶の鼻を摘まんだ。
「すいません、未経験者と思って」
「想像の三倍失礼だった」
いくつだと思ってるんですか、と弥鱈が呆れたように言う。年齢を重ねたところでタイミングがなければ他人と唇も体も重ねることは無いのだが、そんな屁理屈を弥鱈とて言われたくは無いだろう。曖昧に笑って、梶はもう一度弥鱈に顔を寄せた。
思ったより上手いだなんて生意気なことを言ったが、実際のところ弥鱈のキスが世間一般的に上手いかどうかなんて梶には分からない。自分はどうだろう、上手いだろうか。弥鱈が上手いのならきっと自分は普通だし、弥鱈が普通なら自分は……まぁ、成長段階というやつだ。
はじめてのセックスは旅館で行われることになった。設備の整ったそれ目的の施設を活用した方が良いことは分かっていたが、生憎近場にそういったホテルが無かったのだ。
僻地での賭郎勝負帰り、大雨による土砂崩れだとかで一時的に陸の孤島となった地域に、まだ付き合い始めてそこそこの若者二人が取り残された。どうにか確保できた宿泊施設はさすがに食事の面倒までは見きれないということで、地域内のコンビニまで食材の調達にやって来た矢先、コンドームを指差した弥鱈は唐突に梶に尋ねた。
「セックスしますか。せっかくですし」
旅行先でトランプを進めるような、そんな気軽さで弥鱈は梶を誘った。
梶はポカンと口を開けて、両手にカップラーメンとカップ焼きそばを持ったまま目を白黒させる。
「え……え、セックスって、セックス? えっちのことですか? 僕らまだキスもロクにしてないんですけど、良いんですか? いきなり」
付き合いましょうそうしましょうと話し合ってから、日にちだけは日数が経過していた。お互い多忙であったことや梶には帰る家があったこと、弥鱈と梶の行動速度が合わず梶が無意識下にことごとくタイミングを潰していたことなどが機縁して、二人は今までカップルらしいイベントも皆無に今日まで至っている。付き合いだして変わったことと言えば、話しかける時に口実が必要ではなくなったくらいだろうか。元々長い付き合いの末に結ばれたというわけでもないので、今のところ二人は恋人というより、少し距離の近い友人関係であった。
そんな二人だと、片割れである弥鱈だって重々承知なはずである。拒絶というよりは純粋な困惑から「良いんですか?」と聞く梶に、弥鱈は極薄と書かれたパッケージを手に取って「良いんじゃないんですか?」と飄々とした口調を崩さずに言った。
「キスならセックスの前に何度かしますし。そうしたら段階は踏んだことになりますよ」
「段階と段階の間隔が短すぎません?」
「ロイター板は大体跳び箱の直前にあるものです」
よくもまぁ咄嗟にそんな例え話が出てくるものだと梶は感心するが、いわれてみれば確かにありとあらゆる踏み台はジャンプ台の直前にあるものだった。
「それもそっかぁ」
梶は反射的に頷いてしまい、瞬間己の失言を悟って「あっ」と声を上げる。案の定、承諾を得たと判断した弥鱈は弁当や菓子パンと一緒にコンドームの箱をかごに放り込んだ。
弥鱈の頑固さと融通の利かなさは今に始まったことではなく、梶は早々に説得を諦めてレジへと進む弥鱈の背中を見届ける。持ち前の楽観的嗜好から、困惑もそこそこに(まぁいっか)と梶は今晩を受け入れることにしていた。あけすけな言い方をしてしまえば、セックス自体には梶も興味津々である。弥鱈とそういった接触は今のところロクにしたこともないが、誰かと付き合うということは、少なくとも梶の中では『この人といつかエロいことする』と同義だった。タイミングには驚いたが行為自体に異論はない。目下の疑問点といえばどちらのお尻を使うんだろうということだったが、コンビニの帰り道であちらから手を繋いできた弥鱈に、なんとなく(あ、僕が抱かれるんだな)と梶は思った。そうして話は、冒頭に戻るわけである。
割り当てられた部屋に入り食事を済ませた二人は、ソファに向かい合い、どちらともなく触れるだけのキスを始めた。
机には弁当の空き箱やプラスチックごみが散乱し、シャワーも適当に済ませたためお互い髪からはまだ水が滴っている。綺麗好きだろうと思っていた弥鱈は案外大雑把な性格で、ゴミを片付けようとする梶を「そんなの良いですから」とソファに引き寄せていた。
早いなりにきちんと段階を踏む弥鱈は、舌を差し込むことも三回目のキスでようやくおこなった。
シャボン玉を作れるほど器用な舌が梶の歯や舌の根本を丹念に舐っていく。刺激されれば刺激されるほど、梶の口内に唾液が湧いた。徐々に大きくなっていく水音に梶の顔が熱くなる。相手はどうだろうとうっすら開けた視界の先に、梶は弥鱈の射抜くような視線を見止めた。
「なん、ですか?」
「いえ、涙が」
「へぅ?」
「浮かんでいたので」
「はい。あ、嫌なわけじゃないですよ?」
「そうですね。いや、違います。舐めて良いものかと」
唇を離した弥鱈がチロ、と舌先を外に出す。蛇のようだった。
「美味しくないですよ」
「はぁ。良いですか」
「美味しくないですよ」
「良いかどうかを聞いています」
イライラした様子で弥鱈が梶の唇を舐めた。お互いの指を絡め、身体を引こうとする梶を自分の胸元に強引に抱き込んでくる。
一瞬は怒っているのかと錯覚してしまう弥鱈の態度だったが、抱き締めてくる腕が妙に熱っぽいので、梶は単に弥鱈が切羽詰まっているだけだと察した。常から睨みつけるような目をしているので分かりにくいが、どうやら弥鱈のほうも、初めての夜には何かしら思うことがあるらしい。
「舐めるのはまぁ、良いですけど」
言うやいなや、梶の目元に生暖かい感触がやってくる。咄嗟にキツく目を瞑ると、睫毛のキワを弥鱈の舌がなぞっていった。
「うぁ……!」
ぞわりとした。嫌悪感の類では無いが、感じたことのない感覚だ。睫毛に弥鱈の吐息がかかり、不思議なくすぐったさに梶は身じろぎする。
「ありがとうございました」
「や……あの、おいしかった、ですか?」
「涙に美味しいもマズいも無いと思いますけど。塩水でした」
「そ、そうっすね……」
では何故わざわざ舐めたのか。梶は不思議な生き物を見るかのように弥鱈に視線を流して、わざとらしくため息を吐いた。
こんなへんちくりんな人間と今からセックスしようとしている自分はほとほと変な奴だと自虐する。
「あの、なんて言いますか……僕、初めてなんですよ、お尻使うの。ていうかその、まぁえっちも、なんですけど」
「あぁはい、存じております」
「なんで存じてるんだよ僕は一度も公言したことないぞ」
当然の事項のように納得され、梶はいささか不名誉な気分になって唇を尖らせた。弥鱈ではないが、梶のことを弥鱈は一体いくつだと思っているのか。たまたま梶がそういった機会に恵まれなかっただけで、年齢を思えばむしろ非童貞の方が梶の世代には多いはずである。
華麗なツッコミをこなした梶を、けれど弥鱈はさして気にした様子もなかった。やはり常識だとでも言いたげに、弥鱈は梶の顎をくすぐって「梶様ですので」と返す。
「とにかくその、僕には経験が無いんです。だからここからどうしたら良いかとか、」
「どうしたらも何も、私が性器を勃起させますから、梶様は下着を下ろしてこちらに尻の穴を向けてください。そしたら私が貴方に挿入します。ピストンを繰り返して射精して、その一連がセックスです」
「いやそ……そうですけどぉ……」
梶が頭を振った。顎撫でを中断されて弥鱈が不服そうな表情を浮かべるが、そんなのは梶の知ったことではない。というか顎なんて撫でて楽しいのだろうか。相変わらずツボがよく分からない人物である。
「そういうことを言ってるんじゃなくてっ。キス、は今しましたよね? ここからですよ。僕は何をしたら良いですか。まさかパンツ下ろして四つん這いになってたら全部終わるなんてことはないでしょ?」
「大体終わりですよ」
予想に反して弥鱈が即答する。梶は目を向いた。
「はぁ? そんな馬鹿な!」
「終わりです。経験のない人間が、受け入れるだけでも手一杯だろうに他のことまで気を回さなくて良いんですよ。貴方は何事も頑張ろうとしすぎです。処女なんてマグロが普通だ」
「処っ……! マグ……!」
言われ慣れない言葉のオンパレードに梶は軽いパニックを引き起こす。よくよく聞いてみれば弥鱈なりの気遣いが滲むセリフなのだが、いかんせんワードチョイスが身も蓋もなかった。梶は顔を真っ赤にして、苦し紛れに弥鱈の肩を叩き始める。
「僕はねぇっ、恥ずかしがってモジモジしてるだけで許されるような、そんな可愛い女の子じゃないんです! 見えますかこの見た目!? どう見たって男! フツメン! 一重で唇カッサカサ!」
「梶様ってなるべくしてなった童貞なんですね」
「どういう意味ですか!」
「可愛いという意味です」
「嘘をつけ!」
ポカスカ梶が弥鱈を殴り続けている。痛みを感じるほどではないが、テンパったあまり暴力に訴えるしかなくなった梶はなんだか可愛かった。弥鱈は柄にもなくキュンとして、ぽこぽこ怒っている梶に悪魔の提案をする。
「じゃぁ男らしく、男を使って頑張ってみます?」
「へ?」
梶の殴る手が止まった。謎かけのような弥鱈の言葉が理解できず、梶はキョトンとして「僕が弥鱈さんを抱くんです?」と弥鱈に聞く。弥鱈が「ハッ」と鼻で笑った。ストレートに性格が悪い男である。
首を傾げたままの梶を置き去りに、弥鱈は無言で一人ソファから降りた。梶の前に跪き、梶の足を割って股の間に体を滑り込ませる。ジジ、とファスナーを開ける音が聞こえてくると、さすがの梶も焦り声を上げた。
「ちょ、弥鱈さん!?」
「はい」
「何しようとしてるんです!?」
「フェラですけど」
「ふぇっ……フェ!?」
梶が叫ぶ。そうこうしている間に梶の性器が下着から取り出されて、いまだ反応の薄いそれを、弥鱈は何の躊躇いもなく口に咥えた。
「わああああああ!?」
弥鱈の口内が梶を迎え入れる。キスの時はぬるいとさえ思った弥鱈の口の中は、勃起の甘い性器が触れると十分に温かく、唾液を塗されると湯船に浸かっているようだった。
梶の性器はいわゆる仮性包茎と呼ばれるもので、勃起する前は皮が亀頭を半分ほど覆っている。弥鱈は舌先で皮と肉の間をつつき、舌で剥くように皮の部分を押し下げた。
「ひぅっ……! 待っ……みだらさん! だめっ汚い、きたないから! 皮のトコ舐めちゃ……!」
普段皮で覆われている部分に弥鱈の舌が伸びる。敏感なそこを何度も舌で往復されると、たちまち梶からは甘い声が漏れ始めた。汚れが溜まりやすい部分なので一応念入りに洗いはしたが、それでも口の中に入ることなんてことは想定していない。落ちきっていなかった汚れがあったら、と思うだけで梶は泣きそうになり、弥鱈の舌が一点だけを集中して責め始めた途端、梶はやだやだと首を振った。
「ひゃっ、あっ、あん、んっ……ッう……やァ……みだらさんっ、ぅ、あ、ん、んんっ!」
先端のくびれに舌を押し当てられ、ずろ、と一周するように丁寧に舐められる。同性だからだろうか、的確にイイトコロを刺激されて、気付けば梶の性器は痛いほどに勃起していた。未だ梶の頭には『弥鱈さんがフェラ? あの弥鱈さんが? 人のちんこ舐めてる? はて? フェラとは?』という困惑が渦巻いたまま消えないが、身体は正直なもので、与えられる刺激に梶の性器は貪欲に快楽を貪る。
「ァんっ、ン、ンあっッ……! んっァ、うぅ、っァ! ……ふっ……ひゃっ、あぅっ……! み、ららしゃん……みだらしゃん……!」
ひっきりなしに声が漏れ、触られてもいないのに興奮から乳首もピンと立ち上がっていた。先走りが弥鱈の唾液と混ざり、耳を覆いたくなるような下品な音を立てている。質量が増すにつれて弥鱈は上顎や喉も使うようになり、特に喉を締められながら性器を吸われると、梶の視界はチカチカと点滅して、自分が何を言ってるのかも理解が出来なかった。
「とけちゃうぅ……はぅ、ア、ん、ンッん、……! ァ、みだらしゃん……ぼく……ちんこ……ッ、とけちゃ……!」
快感の波が押し寄せて引かない。怖くなってきた梶は弥鱈の髪を掴んで止めようとするが、弥鱈は手を休めるどころか、髪を引っ張られるたびに責めを激しくしていった。裏の筋をなぞられ、すぼめた口でディープスロートまでされる。器用なことに弥鱈のフェラは全く歯が当たらず、梶はただただ高められていくのみだった。
「アっ、んぁっ、みだらさん、ぼくだめ、も……! ッ、ひゃゥッ! わ、アぁッ! んくっ、だ、だめっ……ァ、だめだめっ! やぁ、あァ、ンうっ! うゥ! や、だぁ! みだらしゃっ、とけちゃうっ、や、ぁア!」
殆ど半泣きになりながら、梶は何度も『溶ける』と弥鱈に訴えた。熱くて気持ち良すぎて溶けちゃいそう、とどこか怯えた様子で繰り返す梶は、快楽に蕩けた頭で、もしかしたら本当に性器が飴玉よろしく溶けて失くなると思っているのかもしれない。
初めての強い刺激に怯えて、けれど従順に体は快楽を拾いつづける梶の様子が弥鱈の興奮を煽る。同年代の男に言うことでも無いが、梶が時々見せる幼さには不思議な背徳感があった。もっと大切にしたいとも、もっとひどくしてやりたいとも思う。どちらにせよ責められてひんひん泣き喚く梶が見たかった。
「やっ、やらァっ! んっんっ! アぁ、んァ! やらっ! きちゃ、きちゃうっ!」
「イふんへふか」
「やああっ! みだらさっ……!! ア、ア、アアッ! んっ、ンアッア! くぅ、んン……!」
「イふなら、ほーぞ」
「んくうッ──ッ! あ、アァああアぁアっ!!」
留めとばかりに強く吸われ、梶は体を痙攣させると、勢いよく精液を弥鱈の口内へ吐き出した。
内腿がびくびくと震え、精巣に残っていた精子まですべて吐き出そうとする。
弥鱈は梶が射精する間も性器から口を離そうとせず、吐き出された梶のそれをゴクン、と躊躇いなく飲み下した。
「はっ……はふっ………」
達したばかりの梶は、酸欠気味の靄がかった頭で目の前の光景をぼんやりと眺める。
相変わらず弥鱈は梶の性器を口にくわえていて、先端を吸い上げたり、玉袋まで垂れていた液を舐めとったり、俗にいうお掃除フェラを淡々とこなしていた。
(飲ん、飲んだ……弥鱈さんが……あの弥鱈さんが人のザーメン飲んだ……!)
頭がクリアになっていくにつれ、じわじわと梶の中にも実感が湧いてきた。嘘だろ、まさか。今しがた自分の身をもって体験したことにも関わらず、梶は自身の足の間に座り込んだ弥鱈を凝視して頭の中に疑問符を増殖させる。
最後に全体をべろりと舐め上げ、掃除を完遂させた弥鱈は、一仕事終えたとばかりに息を吐いて奉仕の総括をした。
「はー……くっそマズかった。罰ゲームですねコレ」
「なんでやったの」
思わず突っ込むが弥鱈からの返答はない。口をもごもごさせたかと思うと、弥鱈はペッと机の弁当箱に唾を吐き捨てた。フェラの最中に食べてしまっていたらしい梶の陰毛が、空の弁当箱の上でうねっていた。
「じゃぁベッド行きましょうか」
足の間からすくっと立ち上がり、弥鱈が梶に手を差し出してくる。その手を取り、射精の余韻でおぼつかない脚を叱咤しながら、梶も立ち上がった。
手を繋いでベッドまで誘導される。距離はほんの数メートルだが、今の今まで自分がされてきたことを思いだし、梶はポツンと弥鱈に言った。
「直接粘膜に触れるなんて~とか、排泄器官は衛生面が~とか。弥鱈さんはそういうこと思うタイプだと思ってました。こんなに生々しいことに抵抗がないなんて知らなかった」
フローリングを素足で歩くとペタペタ音がする。あまり汗をかくイメージのない弥鱈だが、彼の足音も梶と同様、ペタペタと床に張り付く音がした。
「私から誘ったんです、行為に抵抗がなくて当たり前だと思いますけど」
「そうなんですけど、なんかこう、イメージが」
「私が貴方の中でどういうイメージなのか分かりませんが、別に相手によってはフェラも出来ますし尻の穴に指を突っ込むことも普通に出来ます。マナーなのでコンドームは使いますが、ナマでして良いって言われたらご褒美だと感じるくらいには私は普通に男ですよ」
弥鱈はそう、何てことの無いように梶に告げる。
とんでもないことを言われてた気分になって足が止まりそうになる梶を、弥鱈は少しだけ切羽詰まった声で「早く行きますよ」と急かした。