部屋に入る時は必ず門倉が先、というのが二人の間にある決まり事だった。宿泊先のホテルでも、二人で住んでいる三LDKのマンションでも約束は履修された。別に門倉が亭主関白だとか、梶がことさら侵入者を警戒している、などではない。オオカミのリーダーは、常に自分が行動の先頭に立っていないと居心地が悪いのだ。
「おかえり、梶」
「ただいまです。門倉さんもおかえりなさい」
「うん、ただいま」
部屋に入った途端くるりと体を翻した門倉が両手を広げる。梶はその腕の中に飛び込み、抱き締めてくる門倉の胸に顔を押し当てた。煙草の臭いと、移ってしまったらしいアンモニア臭がほのかにする。刺激臭には変わりないが、血生臭いよりは幾分かマシだと思った。
結局ライオン型の男は付ける落とし前はしっかりと付け、代わりに命だけは落とさず現世に残留となった。門倉は生温い取り立てになったと苦々しく思い、梶は理想より遥かに重くなった代償に己の無力さを痛感する。両者痛み分けといった具合だったが、ライオン型の男は脂汗の滲んだ顔で「ありがとう」と言っていた。
「獅子奮迅ってあるじゃろ、四字熟語に。途中で自分がやっとることがソレの親父ギャグになっとると気付いてちょっとウケたわ」
「四肢粉塵?」
「そうそう」
「いや、笑えないっスよソレ。普通にやってることグロかったもん」
「命の代わりに取り立てたにしちゃぁ随分軽かったろ? まったく、やられたわぁ梶には。ようもまぁあんなこじ付けを思いつくもんだ」
「頭搾ったんですよアレでも! ……大丈夫かなあの人。これから数カ月、一人じゃ何も出来ないと思うけど」
「そこまで梶が気にしてやる義理もないじゃろ。不憫を感じたとしても、それも命あってこそよ」
「まぁそうですけど……」
「それに案外数カ月なんてかからんかもしれん。ネコ科のゴロゴロと喉を鳴らす音あるじゃろ? あれな、骨の修復を早めるらしいぞ。立会人も猫人種の奴らは、骨折った二週間後にはもうピンピンしとるわ」
「えっそうなんですか!? 凄いな猫人種!」
パッと顔を上げた梶が「だったら良かったぁ」と邪気の無い顔で笑う。お人好しもここまでくれば気持ちが良いもので、門倉は梶の身体を力任せに抱き締め、「ぐえっ」と呻く彼の唇にキスをした。
「梶のほうがずっと凄いよ。完全勝利おめでとう。門倉さんの秘蔵焼酎飲む?」
僅かに離した唇の隙間から言う。テリトリーに戻ってしまえば門倉にとって梶はただの可愛い恋人であり、キスを贈ったそばから門倉の口は梶を甘やかす言葉ばかりを選んで吐き出していた。
「えっ、良いんですか?」
「勿論。梶頑張ったもんね」
「やったぁ! あ、ねぇアレやっても良いですか? 焼酎のコーラ割り。僕好きなんですよ」
「あぁアレね。焼酎の味全部殺すやつ。ま、ええよ。美味しく飲むのが一番やから」
「さっすが門倉さん。懐が広い~」
梶がすりすりと頭を擦りつけてくる。まるで猫のようだが、梶の血統を思えば狸のようと言った方が良いだろうか。少々違和感がある言い回しだし、そもそも狸の愛情表現を門倉は知らないが。
「つまみ何がありますかねー。最近買い物行ってないから、ポテチとかしかないかも?」
梶が台所に視線を移す。斑目達とホテル暮らしをしていた頃の習慣で、今でも梶は何かにつけてポテチを買いこむ癖があった。門倉は菓子類をそれほど食べないし、梶一人の消費量などタカが知れている。ポテチ大量消費の原因だったマルコを抱えない門倉宅では、当たり前ヰだがポテチは溜まっていく一方だ。
「ポテチ。ポテチなぁ」
「嫌です?」
「いやポテチもええけど、それだけじゃ寂しくない? 冷凍庫に餃子あるからそれ焼くわ。あと確か、卵もまだセーフだったはず。梶、だし巻き卵作ったら食べる?」
「え、だし巻き!? 食べます! 居酒屋でだし巻きいっつも頼む!」
「お、ほんなら作るわ」
大根おろしも付けようねぇ、と門倉が続ける。一人暮らしが長いだけあって、自炊も慣れたものだった。
梶が門倉と生活するようになって驚いた一面の中に、門倉が案外マメで、家庭内を整えたがる性格だった点が上げられる。例えば全て外注だと思っていたスーツはシャツのアイロンがけなどは己で行っているし、季節の変わり目には家じゅうのエアコンを解体し、風呂場でフィルターを重曹漬けにしたりもするのだ。
梶にも一人暮らしの経験はあるが、彼の場合はどちらかといえば『共に暮らす人間が居ない』という意味合いが強かったため生活は荒れがちだった。門倉のように一人でも丁寧に生きる気力など芽生えたことが無く、いつも自暴自棄で、行動力の無い希死念慮が足の裏側に張り付いていたように思う。同じ一人暮らしでも梶と門倉では軌跡が全く違う。それでもそんな二人が一つ屋根の下で共同生活を決意したというのだから、世の中は何が起こるか分からないものだ。
晩酌のメニューを決めていると、いよいよ日常が再開したのだと実感する。瞬間と非日常に生きる賭郎会員と立会人から二人はただの梶と門倉に戻り、特に苛烈な立会人である門倉雄大は、仰々しい「倶楽部賭郎弐號立会人」から恋人に甘くてお茶目な「門倉さん」に劇的なモード切り替えを行っていた。
門倉は梶の身体をひょいと持ち上げ、「じゃぁ移動するよぉ」と恋人を横抱きにしてリビングへと歩を進める。「歩けますよ」と苦笑する梶に「そりゃ知っとるけど」と返す門倉は、廊下を移動する短い間にも“可愛さがあまって”といった調子で梶の額や頬にキスを落としていた。
「もー、恥ずかしいことするんだから」
梶はキスされる度くすぐったそう門倉に文句を言う。嫌そうではないし、むしろ嬉しそうなので、門倉は気にせずソファに梶を降ろすまで甘やかしを繰り返した。
元々門倉が単身で住んでいたマンションに梶が転がり込む形で始まった同棲なので、家の中はリビングを含め全てが門倉規格の家具で揃えられている。特にリビングの中央にどどんと構えたL字ソファは個人輸入した国外製で、大柄な門倉が寝転んでも余裕があるほどに一辺が長く、日本の感覚だとベッドと言った方がしっくりきた。門倉はソファの大きさを気に入って購入したわけだが、梶に言わせてみるとこのL字ソファは『大きすぎて居心地が悪い』らしい。
仕方ないのでソファの一角に梶を降ろした門倉は、そのまま近くにあったクッションを梶の周辺に寄せ梶専用のスペースを作った。梶は見晴らしがよい場所や解放感に溢れた環境よりも、多少窮屈を感じるくらいの環境を好むのだ。地面に穴を掘って暮らしていた先祖の名残だろうか。梶に似た狸が何匹も暗い巣穴の中で身を寄せ合っている姿は、想像するとなんとも可愛らしい。
「ここで休んどって。すぐ用意するけぇ」
「門倉さん、僕も手伝い……」
「あー要らんいらん。そんな手間のかかることするわけやないし」ヒラヒラと後ろ手を振る。部屋着に着替える手間が煩わしく、門倉はシャツの上から感嘆にエプロンを被った。「ワシ一匹狼じゃから。一人で出来るよ」
「一匹狼ぃ~? いつもあんなに沢山の人に囲まれてる犬人種のリーダーなのに?」
「それはあれよ、求められとるから上に立っとるだけ。ワシ本当は孤高のロンリーウルフ」
「え、でも門倉さん、一蘭食べる時も誰か誘って行くじゃん」
「うっさいのぅ! ええから座っとけ!」
クスクスと笑う梶が「はぁい」と気の抜けた返事をする。先程までのヒリついた空気はどこへやら、完全に門倉を舐め腐った態度で梶はクッションの塊に顔を埋めた。
冷蔵庫を開ける音がして、しばらくすると梶の耳にシュワシュワ餃子の皮が焼ける音が届く。卵を割る音、大根をおろし器ですりおろす音、卵液に注がれる調味料は、おそらく二倍希釈のめんつゆが少々だ。
「家庭の音がする」
耳をそばだて、梶がため息を漏らすように言った。梶の知らなかった音がキッチンから聞こえてくるたび、彼の心臓は日常を愛おしんで僅かに拍を遅くする。
「詩的な表現やね。家庭の音」
「良い音だなって思うんです。安心する。帰って来たなぁってなる」
「帰って来たって言い方、ええね。ほんの一か月前まで梶は『お邪魔します』ってこの家に来とったのに」
じゅわ、と鉄肌が焼ける音がする。卵液がフライパンに流し込まれたらしかった。
「そりゃ、僕の家じゃなかったし」
「今はどう? ここ、梶の家になっとる?」
「うーん正直、まだ門倉さんの家に転がり込んだって気持ちが強いかなぁ。僕のものまだ少ないし、部屋の中全部門倉さん! って感じだし」
「増やしてええよ。好きなもんとか、本とか服とか。何でも置いたらええ。家ごと梶の色に染めて」
「なんかその言い方エロいっすね。なんかまるで、門倉さんが僕色に染まりたいみたい」
「染めてほしいもん」
「ひえ」
「そんで梶はワシの色になってほしい。お互いがお互いの色に染まって、二人が混ざって分からんようになる。そういうのが最近、ええなって思うんよ」
門倉の声が家庭の音に混じる。落ち着いたテノールとフライパンを揺らす音が合わさり、不思議なほど梶の耳に心地良く響いた。
「門倉さん、束縛されるのとか嫌いそうなのに」
「元々はそうやったけど、なんじゃろうね。一生この子がええな、と思ったらそういう考えに変わってきたんよ。オオカミ型だからかもしれん。知っとる? 狼って案外一途なんよ。パートナーが変わらんの」
「へぇ~」
クッションに埋もれた梶がスマホを手にする。電子機器に親しんだ若者は慣れた調子でスマホを操作し、画面を左から右へと読みながらしてしきりに「へぇ~」と感嘆を漏らした。
キッチンの門倉はくつろいでいる梶の姿に目を細めながら、てきぱきと要領よく晩酌の準備を進める。餃子はあっという間に皮目が焼き上がり、門倉手製のだし巻き卵も同じ頃皿へと取り出された。余分な水気を絞った大根おろしを添え、門倉はあえて切れ目は入れずに、餃子とまるごとのだし巻き卵を梶の元へと持っていく。
「ほい、箸。好きなように食べ」
「やったー」
梶が躊躇なくだし巻き卵に箸を入れる。円柱状のだし巻き卵を両端だけ切り落とし、中央の柔らかい部分はそのままに、梶は卵が固まっている左右の端を大根おろしで挟んで食べた。梶はだし巻き卵のふわふわとした触感が好きで、逆に左右の端の部分は固いので『ハズレ』だと思っているらしい。お世辞にも綺麗な食べ方とは言えないが、好きなものは後に取っておきたいタイプの梶にとってはこの食べ方がベストらしかった。
「うふぁい」
「そりゃ良かった」
ご満悦な梶に微笑を返し、門倉は戸棚から話題の秘蔵焼酎を取り出す。そして胃袋を動かすために餃子を一つ摘まみ、咀嚼しながら台所に戻った。
グラスを三つと、ペットボトルが二本。それに冷凍庫のロックアイスまで手に持ち、器用なウエイターのような格好で戻って来た門倉を梶がしまった! という顔で出迎える。
「すいません、全部持ってこさせちゃった」
「全部一回で持てちゃってね。持てるんやって自分でも思った」
「門倉さんってやっぱ手ぇでかいんスね」
「まぁ散々オオカミって言っといてなんじゃけど、手は熊寄りらしいからね、ワシ」
門倉が梶の隣に腰かける。ソファが大袈裟に軋み、梶の身体も少し沈んだ。空間ばかり目立っていたソファが、門倉が座ったことで丁度良い塩梅となる。
「あの、だし巻き卵美味しいです。餃子も」
「あんがと。でも餃子は別にワシなんもしとらんよ? 企業が努力しただけ」
「えーでも、いい焼き色にしてくれたのは門倉さんじゃないですか。美味しいです」
酒に合いそう、と梶がグラスを一つ手に取る。小ぶりな氷を二,三グラスに入れ、慎重に焼酎を注いだ梶は、続くコーラは一転して雑にペットボトルを傾けた。炭酸が一気に泡立ち、あわや決壊、というギリギリのラインで表面張力が踏ん張る。
「あぶねー」
「なんでコーラはそんな雑に入れるん」
「違いますよ。コーラが雑だったんじゃなくて、焼酎が丁寧だったんです」
門倉さんの秘蔵っ子ですからね、と梶が胸を張る。そんな秘蔵っ子に糖分とスパイスをぶち込んで台無しにした張本人の自覚は梶にあるのだろうか。無いかもしれないと門倉は思い、無くて良いと続けざまに思った。
梶は泡が収まってきたグラスをいそいそと手に取り、門倉の手元をチラと見る。未だ空っぽのグラスを確認し、梶が一旦自身のグラスを置いた。
ロックアイスの中から特に形が整った一点を選んだ梶は、氷をグラスに入れ、門倉がニヤケ笑いで見届けるなか自分のグラスよりなおも慎重に焼酎を注ぐ。焼酎のロックに上手いも下手も無いが、門倉は「美味そうじゃなぁ」とあえて口にした。
「乾杯しましょ、乾杯」梶が自身のグラスを再び持つ。
「梶様の勝利を祝して?」
「それでも良いし、門倉さんのだし巻き卵大成功を祝ってでも良いです」
「差が激しいのぅ」門倉もグラスに手を伸ばす。「じゃぁ間を取って、今日も二人揃って晩餐が出来ることに乾杯しよか」
そうですね、と梶が同調し、キン、と硝子のぶつかる音が響く。南方が同棲の祝いとして贈ってくれた江戸切子は、グラス同士がぶつかると風鈴のように涼しい音が鳴った。あれでいて案外気が利く男なので、品はビールやカクテルを好む梶に合わせた背が高いスリムグラスだ。ロックで酒を嗜む門倉にはいささか飲みにくいが、『それくらい若い子に合わせぇ』という南方なりのメッセージだろう。
二人同時にグラスを煽り、二人同時にグラスから口を離す。「美味いっすねぇこの焼酎」と笑う梶の口周りにはコーラの泡がついており、台詞と顔がチグハグで、門倉はそんな梶の表情を見ながらまた酒を煽る。
「美味い酒に可愛い肴。ええもんじゃわ」
「可愛い? 確かにだし巻き卵って大人の食い物! って感じではないし、可愛いか可愛くないかで言ったら可愛いかもだけど。なんか門倉さんって、感性が独特ですよね。え、てか餃子って可愛いです? ニンニク入ってるのに?」
梶が首を傾げる。餃子を口に放り込み、可愛いかなぁ? とむぐむぐ頬を膨らませる梶はよほど独特な感性を持っているように思えた。
勿論門倉の発言はそういった意味では無かったが、困惑する様子も含めて『可愛い肴』である。門倉は口元を緩め、「可愛いと思うよ」と空いていた三つ目のグラスに水を注いだ。
「ほい、ちゃんとチェイサー挟もうね」
「過保護だなぁ。僕そこまで酒弱くないですよ? すぐ顔は赤くなる方だけど」
反論はするがきちんと受け取って口に運ぶ。梶の素直さが年長の門倉には眩しい。
「梶は飲んだ瞬間から顔が赤くなるよなぁ。可愛いけど、日本猿じゃからそうなるん?」
「わー出た、ニホンザル型が全員言われるやつ! 別に猿人種じゃなくても顔赤くなる人は赤くなるでしょ。モンハラですよソレ」
「モンハラって?」
「モンキーハラスメント」
「猿人種って妙に造語作るよな」
「その一言もモンハラです」
ままならんわぁ、と門倉が天を仰いでみせる。若い女子社員との接し方に悩む男性上司のようだった。
成人男性二人の前に簡単なつまみはすぐに底をつき、梶は数あるポテチの在庫からしあわせバターを、門倉はブラックペッパー味を空けてそれぞれに酒を進める。テーブルの周りにはいつの間にやらウイスキーやビールも置かれ、せっかくの上品な江戸切子にも関わらず、グラスの中は次々に注がれる液体で味が盆雑になっていた。
「さっきさぁ、かどくらさん」
「んー?」
気付けば梶の呂律がにわかに怪しくなっていた。門倉の言いつけを守って定期的に水は飲んでいるものの、それ以上に酒を飲めば当たり前だが酩酊はするものだ。
「さっきさぁ、かどくらさん言ったじゃないですか。狼ってきほんパートナー変わらないって。ずっと一緒だって」
「うん、言うたよ」
ぽっぽと顔を赤くした梶が門倉にもたれ掛かる。話の本筋は別にあるようだったが、門倉の反応が嬉しかったのか梶は破顔して「ずっとって良いね」と門倉の身体に擦り寄った。
「言われてぼく、さいしょは嬉しかったんですよぉ」
舌足らずな声が言う。最初は、の部分に引っかかりを覚えた門倉だったが、梶が蕩けた目で「かどくらさん」とこちらを伺うように呼ぶので、よく分からないがまずは愛でてしまおうと、啄むようにキスを落とすことにした。
口を半開きにした梶があとを期待するように門倉の服を引く。舌を差し込み、門倉は火を付けない範囲で梶の口内をまさぐった。
口内は焼酎とビールによってアルコールの味で満たされ、奥にしあわせバターやコーラの人工甘味料を感じる。まぁ酔っ払いの口の中など大抵こんな味だ。門倉は気にせず梶の口内を味わう。鼻から抜ける梶の声だけが純に甘く可愛らしかった。
ふるりと梶の身体が震えた辺りで、門倉は梶から離れ、梶の背中をぽんぽん、とあやすように叩く。欲の火が灯りかけていた梶が落ち着き、かどくらさぁん、とまた甘え口調で門倉に寄りかかった。
「……このままえっちするんだと思った」
「いやー準備なんもしてないからね。梶もけっこう酒入っとるし、ヤるにしたってもうちょい先よ」
門倉の本音を言えば『だからチェイサーをもっと挟んでほしかった』なのだが、年長者のプライドもあり、これ以上の言及は憚られた。
「ほんでなんやっけ?『最初は嬉しかった』ってことは、何ぞ気になることがあったんじゃろ?」
門倉が無理やり話題をぶり返す。
と、
「そぉなんですよぅ~」
梶が赤ら顔をへにょりとさせ、次には勢いよく門倉の首に飛びついた。
「おわっ」
「どういうことか説明してくださいよ! おおかみ少年!」
「え、なに、オオカミ少年?」
突然の呼称に門倉の脳内を疑問符が巡る。確かに門倉は犬人種オオカミ型のため、幼少期の彼は正しくおおかみの少年だった。ただ、おそらく絶対、門倉の幼少期と梶の言っている『オオカミ少年』では意味が異なるだろう。
なになに、何の話? 梶をしっかりと抱き留めたまま首を捻っている門倉に、梶はイー! と歯を剥き出して威嚇をし、そのわりには門倉の身体にピタリとくっ付いたまま話し始める。
「言うからさぁ、僕すぐにしらべたんですよ、おーかみの生態! そしたらなんか、たしかにパートナーが居るときはぜったい浮気しないけど、パートナー自体は一生の内で何回か変わることもあるって。出てきた!」
「え、そうなん?」門倉が素の声を上げる。
「うそじゃん!」
「え、あ、そうなんや?」
梶が吠え、門倉は変わらずキョトンとした。
こういってはなんだが、門倉にとってもそのような狼の生態は寝耳に水だ。というのも、『狼は一途』というのはオオカミ型の中では最早常識のような扱いなのだ。A型は几帳面とか、さそり座の女は思い込んだら命がけとか、その類である。物心つく前から当たり前にすりこまれてきた価値観のため、門倉にはその真偽自体を疑ったことが無かった。
「いや、嘘ついたつもりはないけど……そうなんや。知らんかったわ。ごめんごめん」
「うそつきぃ~」
「ごめんごめん」
真っ赤な顔をして梶がなじる。首にしがみ付いたまま嘘じゃんかぁ、と繰り返す梶は、だというのにどこか上機嫌だった。対応を悩んだ門倉はとりあえず膝に梶を膝にのせて彼を観察する。赤い顔でぽやぽやとした梶が、門倉の顔をじっと見上げてにへら、と笑った。
「かどくらさんの嘘つき」
ちゅぅ、と門倉の鼻に梶が吸い付く。酔っ払いに一貫性を求めるなどなまじっか無理な話だが、それにしたって梶の話題の着地点が分からなかった。門倉はあぐあぐ鼻を甘噛みし始めた梶に辟易し、「そんな嘘吐きなんて言わんでよ」とあえて情けない男を演じる。
「ちゃんと生態を知らんままに話したのは悪かったが、狼が全員パートナーを変えるわけじゃないんじゃろ? 実際ワシの知っとるオオカミ型は揃いも揃って本命には一途なもんよ。ワシもそうなると思うよ?」
「んーん、かどくらさん、僕べつに怒ってるとかじゃないんです」
お伺いを立てる門倉に、梶がカラっとした口調で言う。え、と予想外の反応に驚いている門倉に、梶がまたニコォといたずらっ子のような顔を向けた。
「あのねかどくらさん。さっき調べて出てきた記事にね、書いてあったんです。狼は浮気はしないけどパートナーが変わる時もある、でもホントはもっと一途な、パートナーを生涯かえない動物もいるって……ねぇ門倉さん、それってなんだと思います?」
「なに?」
「なんとタヌキ」
「え」
門倉が目をぱちくりさせる。「ひひっ」と梶が笑い、笑い、門倉の頬を両手で包み込んだ。
「残念でしたねオオカミ型さん。あなたも一途かもしんないけど、たぬきだから、僕のほうが貴方のこと好きになれるみたい。ひひっ。かどくらさんはすごい人だけど、僕の方がたくさん一途になれるかも。ふふ。かどくらさんに勝てるかも。タヌキな僕が。ふふ。えへへ」
梶がふにゃふにゃ言う。酔っ払いの目元がとろんと蜂蜜のように蕩け、門倉の隻眼を見つめ、勝ち誇るように宣言した。
「つまりこうです、“おおかみなんか怖くない”」