「最近イチャイチャが足りてないと思うんだよね」
「そんなことないと思うけどなぁ」
貘の発言に梶は首を傾げる。熱を注ぎ込まれた身体は未だに奥がもわもわとして、そこが内臓だったか、彼を受け入れるための空間だったか判断がつかないでいる。明日は予定がないから、と貘に懇願したのは梶の方だった。貘は「明日しんどいかもよ」と労わるように言葉をかけたが、梶は頑として譲らず、「しんどくなったら貴方に介抱されます」と言って用意された〇.〇二㎜の膜をベッドの下に捨てた。一から十まで、イチャイチャした数時間だったと思う。それでも貘は『イチャイチャが足りてない』と言い、不思議そうな顔をする梶にムッと唇を尖らせた。
「足んないよ」
「そうです?」
「全然。これはね梶ちゃん、由々しき事態ってやつだよ。マンネリ化の始まりだ。マーくんの教育にも悪いよ。ほら、夫婦仲の悪さは子供に影響を及ぼすって言うし」
「うーん、全然ピンとこない」
梶は素っ裸のまま胡坐をかき、相変わらず困ったように眉を下げる。近くに転がっているペットボトルには水がもうほとんど入っていなかった。既に喉はしっかりと潤っていたが、シャワーに行くときに捨ててしまいたいと梶は残りの水も飲み干してしまう。胃の中で水がたぽん、と波打った感覚があり、梶はやっぱり納得がいかないとばかりに「さっき水が欲しいって言ったときぃ、」と語尾を伸ばして語りかけた。
「貘さんさっき、僕に水持ってきてくれたじゃないですか」
「うん」
「で、その時、貘さん僕に口移しで水くれたじゃないですか」
「うん」
「僕それが嬉しくて、“もっと”ってお願いしましたよね」
「うん、された。可愛かった」
「で、貘さんはお願いを聞いてくれて飲ませてくれて」
「うん」
「僕はもう一回、もう一回って何度もお願いして、腹とかもうチャポチャポだけど何度も飲んで」
「うん」
「あれって僕、すごくイチャイチャしてたと思うんですけど、違うんです?」
「違わない」
「ですよねぇ?」
「違わないけど、足りてないと思うんだよね」
「そうかなぁ?」
「マンネリ化しちゃうの嫌だよ俺」
「マンネリの言葉の意味を僕と貘さんで取り違えてるって可能性ないです?」
「もっとイチャイチャしたい。ラブラブが良い」
「うーん、とりあえず貘さん、僕のこと抱き締めておきましょうか」
ほら、梶が両手を広げると、貘が躊躇いなく梶の元へと飛び込んできた。素肌が触れ合い、貘の抜きんでて白い肌が梶の日焼けした肌を覆い隠していく。柔らかい貘の猫っ毛から、汗の臭いがした。日常的に香水を嗜む貘は、普段はいわゆる『男の臭い』から遠い場所に居る。花のような、美しい彼に似合いの芳しい香りを漂わせている。貘が汗臭く、男臭く、少し品の無い生臭さを纏うとき、隣には大抵梶が居た。正確には隣と言うより真正面だし、横と言うよりは下だが。とにかく梶が近くに居て、斑目貘の生き物としてのにおいを胸いっぱい吸い込んでいる。
遺伝子的に相性の良い人物に対し、人は相手の体臭を好意的に感じるものらしい。
梶は貘の体臭を特別良いにおいだとは思わないし、やっぱりどんなイケメンでも精液は臭いんだなと冷静に考えているが、ただ貘から臭いにおいがするのは好きだった。斑目貘という存在が平凡な自分の所にまで降りてきてくれたのだと嬉しくなるし、自分も彼も汗にまみれて、相手が欲しいと求めあっていたと思えばたまらない気持ちになる。これは総括すると『相手の体臭を好意的に感じる』に該当する感情だろうか。よく分からないが、今自分を思いきり抱き締めている男が、遺伝子も相性もすっ飛ばして自分をひどく愛していることは伝わってくる。
「どうしたらもっとイチャイチャ出来るんですか? 僕、分かんないです。こんなにラブラブなのに」
「どうしたら。そうだなぁ、まぁまずは今日はチューしながら寝落ちするでしょ。君はいっつも寝る時自分の部屋に帰っちゃうから、今日はソレは無し」
「はい」
「そんで明日目が覚めたら、俺はまず梶ちゃんの体調を気遣う」
「そんなん何時もじゃないですか」
「そうかもだけど……あれ? そう?」
「そうですよ」
「そうだっけ。俺、そんなに梶ちゃんにいつも気を遣ってる?」
「ていうか、貴方はいっつも優しいんです、僕に。逆に聞きますけど、貘さんって自分が僕の体調を軽んじた記憶あります?」
「ないけど、分かんないでしょ実際の所は。慮ることは出来るけど、君の身体が辛いのは君にしか分からない」
「慮ってる段階で軽んじてないでしょ」
「そう?」
「うん。なんか、貘さんって全体的にズレてるっていうか、理想が高いっていうか、問題を無理やり作ってるところありません?」
「えぇ? そうかなぁ」
「だってさっきから、ま、マンネリ? イチャイチャが足りない? いやいや、何言ってんスか。こう言っちゃなんですけど、世の中、僕らより仲が良い人間を探す方が大変ですよ」
「そりゃそうだけど……でも、でもさぁああ」
梶を抱き締めたまま貘が管を巻く。だって、でも、と駄々っ子のような言葉を繰り返し、唇が暇になるとすかさず梶にキスをした。弾むようなリップ音は次第に水音が混ざっていき、最後には二人の間に唾液の糸を引く。本当に、貘の言っていることが理解できない。これ以上イチャイチャしろと言われて、梶はどうしたら良いのか。
「貘さん。僕、これ以上イチャイチャしようとしたら、僕の身体なんて無くなっちゃいますよ。だって口も、お腹の中も、全部貘さんとイチャイチャするために毎日使い果たしてるんです。あとは僕の細胞を貘さんに取り込んでもらうしかないよ。一体化する? 僕ら。貘さん、僕を吸収したい?」
「え、なんでいきなりSFチックな話をしてんの梶ちゃん?」
「貘さんがいきなりファンタジーなこと言い出すからでしょ」
貘の肩に頬ずりをして、梶がふぅと溜息を吐く。貘は相変わらず「イチャイチャしたい」と鳴き声のように言っていて、梶の頭に手を置き、「どうしたらもっと大好きって伝えれるのかな」と髪を梳きながら無理難題に立ち向かっていた。