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 固定した視界に写るだけで、バニーボーイがなんと七人。フワフワ尻尾とぴょこぴょこウサ耳の信じられないくらいファンシーな出で立ちをもってして、店内で働く男の子たちは『人間ってそんなに虚ろな目が出来るんだぁ』というくらいどんより濁った瞳で「いらっしゃいませぇ」と客を出迎えていた。

 彼らはそれぞれ巨額の借金を抱えており、金を完済するまでは地上に出させてもらえないらしい。金も太陽もない淀んだ世界に沈められ、うら若き男の子たちはラバースーツが纏わりついた肢体に欲と金が注ぎ込まれる瞬間を待っている。

 言ってしまえばここは現代の吉原で、うさ耳死んだ魚の目バニーボーイ達は春を売る遊女だった。そりゃ瞳の一つも曇るってもんだと理解を示したところで、本日の担当バニーである梶くんが艶やかな黒目で「お酒のお代わりいかがですか?」と私の顔を覗き込んだ。
 
 
「あぁうん、貰おうかな」
「何が良いです? ワイン、日本酒……」
「ワインかなぁ」
「赤と白は?」
「うーん、赤」

 はぁい、と呑気な返事をして梶くんがグラスにワインを注いでいく。
 ウエストのラインに沿ってピタリと張り付いているラバー素材が、胸元だけは妙に生地が余り、梶くんが手を動かすたびチラチラと胸の飾りを晒していた。さすが紹介制の高級クラブである。性器が見えないギリギリまで切り込まれたハイレグを見るに採寸自体はきちんとされているようなので、おそらくは緩い胸元も、故意的に無防備な姿を晒すよう仕組まれているのだった。
 隙間から乳首が見える。純朴そうな青年だが、梶くんの乳首は赤くぽってりと腫れていた。

「乳首って触って良いの?」

 グラスを受け取りつつ、視線を梶くんの胸に落としたまま尋ねる。連日たっぷり使い込まれていることが一目瞭然の乳首だが、私の視線に気付いた梶くんは恥ずかしそうにサッと手で胸を隠した。

「基本はおさわり厳禁です。でもオプション付けたら、まぁ」
「触られるのは嫌?」
「うーん、金払われたら僕らに拒否権ってないんで。でもあんまり、うーん、感じる方ではありますけど、うーん……」

 梶くんの瞳が困ったように左右を行き来する。相手の出方を窺っているのは私も彼も同じようで、初対面の客がどこで癇癪のスイッチを入れるのか、梶くんは曖昧な態度を繰り返す中で見定めているようだった。

「じゃぁやめておこうか」
「え、良いんですか?」
「この店は初めてだし、梶くんとも初対面だから。今日はお行儀よく飲むよ」

 こちらが引くと、梶くんはあからさまにホッとした表情をしたあとに「気を遣わせてすいません」と頭を下げた。
 まだ入って間もないのだろうか。濁った瞳ばかりの店内で、梶くんの瞳だけはキラキラと輝きを失わずにいるので不安になる。彼の瞳が澄んでいる内に借金が終わればよいのだが、借入額も彼のバックボーンも一切知らない側が出来ることなどタカが知れていた。

「梶くんが嫌じゃないオプションって他には無いの? 君に金を使いたいんだ」

 仕方ないので妥協案を出すことにする。梶くんはこちらの提案に一度は「え、や、そんな気を遣ってもらいすぎちゃ……!」と恐縮したが、私が財布の中身を見せてやると大きな瞳を揺らして「じゃぁお言葉に甘えて」と手のひらを返した。案外要領の良い子なのだろう。彼が笑うと頭のうさ耳がふわんと揺れて、オーダー用紙に文字を書きこんでいる際にはお尻の尻尾がぷりぷりしていた。

「えと、僕らバニーたちの尻尾っていうのは、その、性感帯なんですけども」

 オーダーシートを指差し、梶くんがぎこちない調子で説明を始める。『性感帯なんですけども』。なるほど、聞いたことのない日本語だ。
 真面目な顔して自身の性感帯を暴露する梶くんの姿はちょっと滑稽だったが、彼はいたって真剣な様子で「その尻尾をですね」と続けた。

「お金を払うと、ニギニギ出来ます」
「ニギニギ」
「はい」
「それ、ニギニギされた梶くんはどうにかなるの? 性感帯なんでしょ?」
「や、実際はこの尻尾ってただの作り物で、別に感覚が繋がってる訳じゃないから特には……あ、でも一応性感帯ですって演技はしますよ! 喘ぎます!」

 梶くんが力強く拳を握る。任せてください! と鼻の穴を膨らませ、やる気に満ちた梶くんは注文を促すように尻を私に向けた。
 見るからに作り物の尻尾を机にちょこんと乗せ、梶くんがこちらを振り返ると「結構毛がふわふわで触り心地良いですよ」と言う。なんだか全体的に感覚のズレた子だな、というのが正直な感想だったが、反面梶くんの呑気さはこの場において妙に可愛らしかった。

「じゃぁうん、払うよ」
「え、あ、ほんとに!? あ、ど、どうもありがとうございます…!」

 何で売り込んだ側が困惑してるんだろう。
 やって来た黒服にオーダーシートを手渡し、梶くんは気合を入れ直すと「どうぞ」と私に尻を突き出す。テラテラと艶めかしく光るラバー生地の下に、血色の良い太ももがあった。本心をいえば尻尾よりこちらを触ってしまいたかったが、それでは話が違う。私はグッと欲を抑え、聞き分けの良い客を装って尻尾にそろそろと手を伸ばした。
 尻尾はフェイクファーで作られたボンボンが、ラバー生地にボタンで取り付けられているだけのひどく簡易的なものだ。梶くんは「こんなのに金払わせてすいません」とうっかり本音を口にして、尻尾をニギニギするたび「あんっあんっ」とわざとらしい喘ぎ声を上げる。
 あれだけ自信満々だった割に、喘ぎ声は棒読みかつバリエーションに乏しかった。興奮するなどは特になかったが、一応払われた金額に報いようとする梶くんが可愛かったので良しとする。

「あんっあんっ………ええっと、まだやります?」
「それ君が言っちゃダメじゃない?」

 ひとしきり尻尾を握ったあとは束の間の雑談タイムとなった。私は口が達者な方でもないので、差し支えのない範囲で梶くんの身の上話などを聞く。
 思った通り梶くんはこの店に来てまだ日が浅いらしく、バニーボーイの研修が終わったのもつい先日のことだった。人当たりの良さから売上を着実に伸ばしてはいるものの、如何せん元々の借金の額が桁違いだそうで、当面はこの施設に厄介になるそうだ。

「借金なんて作らないタイプに見えるけど、自分で借りたの?」
「やーまぁ親っすね。金遣いが派手な人だったんで、普通に働いてたら返せなくて」

 よくある話ですよ、と梶くんがへにゃんと笑う。軽い口調で話してくれるが、この店に囲われている段階である程度悲惨な境遇だったことは想像に難くなかった。親の負債を押し付けられても恨み言の一つも言わない梶くんに、両親から事業を引き継いだ温室育ちの私はただただ居心地の悪さを感じるばかりである。

「大丈夫なの君、そんなんで」

 私の頭には反射的に、このクラブを紹介してくれた知人とのやりとりが思い起こされた。開口一番『面白い趣向の店があるんだ』と切り出した知人は、クラブの招待状を差し出して『ここのイベントは見ものだよ』と付け加えた。イベントの詳細を教えられず、何が何やら分からないまま来店した私が黒服の説明に絶句したのには、まぁそれなりに、絶句するだけの訳があったのだ。

「この店すごいイベントがあるって聞いてるよ。梶くん、本当に参加できるの?」
「? はい、バニーボーイは基本全員参加なんで」
「そうじゃなくて」

 そういう意味じゃなくて。
 思わず口をついた言葉に、呼応するように場内にチャイムが鳴り響いた。
 
 
 ピーンポーンパーンポーン♪
 
 会話を遮断するほどの大音量が耳を襲い、場内のバニーボーイ達の表情がサッと変わっていく。
 先程まで面倒くさそうに接客していた他のバニーボーイたちが慌てて自らの客に擦り寄り、まるで何かに追い立てられるかのように、しきりに「入場券」という言葉を口にしていた。
 
 場内放送。入場券。

 どくんと心臓が脈打ち、私は反射的に梶くんを見る。梶くんは他のバニーボーイとは対照的に、先程と何ら変わらない態度で私に微笑んでいた。簡単に金づるに出来そうな初回客に媚びを売ることも、「入場券」の話を振ってくることもしない。事前にシステムの説明を受けている身には、梶くんのこの余裕がにわかに信じられなかった。

 ピーンポーンパーンポーン♪

 もう一度チャイムが鳴る。緊張感漂う場内に、場違いな明るいアナウンスが流れた。
 
 
『場内放送。場内放送。間もなく“狼”がやってきます。兎さんは身の安全を確保してください』

「兎狩りの時間ですね」 
 放送を聞き、梶くんはやはりふにゃんと笑った。股間に食い込んだハイレグを直し、彼は優雅に耳や尻尾の毛づくろいを始める。まるでこの後に起こるだろう悪趣味な催しに、自分は無関係だと言わんばかりだった。
 いち早く入場券をもぎ取ったバニーボーイ達が移動を開始し、歩きにくそうなピンヒールによろめきつつも我々の横を通り過ぎていく。その内の何人かは梶くんに途中視線を投げたが、彼ののんびりとした姿を見ると、まるで化け物でも見たかのように急いで顔を背けていた。
 
 
 兎狩り。
 物騒な名前の付いたそのショーこそ、クラブの目玉であり、バニーボーイ達が底辺の住人たる証明である。
 
 兎狩りとは文字通り『兎』、つまりはバニーボーイ達を狩るイベントだ。店では日に二.三度こうした店内放送が流れ、狼が来るから逃げましょう、と意味深な忠告がバニーボーイ達を震え上がらせる。ここでいう『狼』とは狼役として雇われた店の従業員であり、ショー以外の時間は店の警備など、体を資本とした配置に置かれている屈強な男達を指した。彼らはバニーボーイ達のように常から客の接待をしているわけではないが、同様にのっぴきならない事情でクラブに飼われている、同じく身の自由がない人々である。

 狼たちは時間になると一斉にバックヤードから放逐され、場内に居るバニーボーイ達を我先にと捕まえにかかる。狼が兎を狩るので「兎狩り」というわけだ。案外安直なネーミングである。
 ところで先に言っておくが、兎狩りだからといってなにも実際に兎役の命が脅かされるわけではない。あくまで『狩り』とは言葉上の表現なので、最終的に捕まったバニーボーイたちも狼から解放され、また客の元で接客を続けた。
 命の危険はない。ではなぜ彼らはああも必死に狼から逃げようとするのか。
 簡単な話である。狼は常に肉に飢えた存在なので、美味しそうな兎を捕まえた暁にはついついその身を食べてしまう───まぁ要するに、狼は捕まえたバニーボーイを性的に貪る決まりになっているのだ。

 いわば兎狩りとは、店公認のレイプ鑑賞会である。狼は狩りの出来に応じて特別手当てが付くそうなので、捕獲にもその後の食事にも大変みんな意欲的。一方でバニーボーイ側にはどれだけ狩られてもバックが無いので、ヤられるだけ体に負担がかかって損をする、という仕組みだった。
 金にもならないセックスを強要されるわけなので、当然バニーボーイは逃げる。客は必死に逃げ回るバニーボーイ達を見ながら酒を飲み、時には逃走を妨害し、哀れにも捕まってしまった兎が狼によって蹂躙される様を目の前で眺めた。
 悪趣味なショーは反面集金イベントとしても形態が成り立っており、店内にはセーフティーエリアと呼ばれる空間があって、そこに入ればバニーボーイ達は狩りを逃れることが出来る。しかしセーフティーエリアには定員があり、また枠も先着順といういやらしさだ。バニーボーイ達が間違いなくそのエリアに入るためには、狼が放逐される前にセーフティーエリアに入場できる通称『入場券』を客に購入してもらう必要があって、お気に入りのバニーボーイを狼に寝盗られたくない客は、大金を叩いてその入場券を購入するらしかった。
 贔屓のバニーボーイが居ない客はレイプ鑑賞という貴重な体験ができ、お気に入りのバニーボーイが居る客は金を払えば意中の相手から感謝され、当のバニーボーイ達は入場券を得るため接客に力を入れるようになり、そして店にはどのみち金が入る。
 集客も集金も可能な、兎狩りとは大変よく出来たシステムなのだ。
 
  
 
「梶くん、君は逃げなくて良いの。入場券の話は説明を受けたから知ってるよ。君はいい子だから、欲しいなら入場券を買ってあげる。まだ入って日が浅いんじゃ、人にセックスなんて見られたくないでしょ?」
「え?」
 
 こちらとしては梶くんの身体や精神を思いやった提案をしたつもりだった。まだ出会って短時間だが、彼の人柄が良いことは既に何となく伝わってきている。これも何かの縁だと思い、初対面の人間に金を落とすこともやぶさかでは無かった。
 てっきり梶くんは、私の提案に藁にも縋る思いで飛びついてくると予測していたのだ。しかし実際の彼は私の申し出にキョトンとして、『どうしてそんなことを言うんだろう』とさえ言いたげな表情で私を見つめる。
 どうして顔をするのだろう。他のバニーボーイにとっては願ってもない申し出だろうに、彼は居心地が悪そうに視線をウロウロとさせた。

「あ、あー……そんな……いや、だって入場券高いし……」
「タカが知れてるよ」
「や、あー……でも……」

 なんとも歯切れの悪い反応だ。上記で説明したように、イベントにはバニーボーイ側に一切の旨味が無い。それは梶くんであっても例外ではないはずだ。だというのに、先程から彼の様子はどうも引っかかった。まるで兎狩りのイベントを、梶くんは待ち望んでいるかのようだ。
 何か訳ありだろうか。
 更に言及しようとしたところで、突然私の背後から声がかかった。

「あーあーお客様、お客様。良いんですよその子は」

 声の方を振り返る。オーナーの服装に身を包んだ男が、梶くんを下世話な笑みを浮かべながら見下ろしていた。

「その子は変わり者なんです。兎のくせに、狼が大好きでして」
「え?」

 予想外の言葉に思わず視線を戻す。すっかり身嗜みを整えたバニーボーイの梶くんが、何とも言えない表情でポリポリと頬を掻いていた。

「あ、あはは。すいません。実はその、そうでして」
「どういうこと?」
「えーと、な、なんて言うんですかね? その、別に食べられても良いかなーって。食べられるの嫌じゃないしなーって……あ、あはは。いや、なんか口にするの恥ずかしいな。あ、でも勿論全員じゃないですよ? 一匹だけです、一人だけ」

 一人だけ。
 そう噛みしめるように梶くんが呟いた直後、けたたましいブザー音と共にバックヤードの扉が開いた。

 どこからとも無く歓声があがり、興奮する人間の声に交じって引き攣った兎の悲鳴が聞こえる。かっちりとしたスーツに革の手袋、そして頭に狼の耳を模した被り物を付けた体格の良い男たちが、暗闇の中からぬぅっと姿を現した。

 入場券を貰い損ねたバニーボーイ達にようやく逃走の許可が下り、場内は一層騒がしくなる。
 バニーボーイ達は客の手を振りほどいて無我夢中に逃げまわり、バランスの悪いピンヒールに何度も躓きながらセーフティーエリアを目指す兎の姿は、正に食物連鎖の最下層といった風だったし、同情心と加虐心を同時に掻き立てるか弱さがあった。

「捕まえた」
「やだぁ!」
「よっしゃ一匹ゲット」
「離せくそっ! おい俺今日二回目なんだ! 頼むよ! 見逃してくれ!」

 早速狼に捕まった兎たちが方々で金切り声を上げる。狼は捕まえた兎を軽々と組み敷いて、近くのソファや机に彼らの体を押さえつけた。クリップで留まっていただけの尻尾が床に落ち、ラバー素材のハイレグが股間部分の布をズラされる。前方一〇メートルの卓で、名も無きバニーボーイが局部を晒していた。最後の抵抗を見せるバニーボーイを大きな体がしっかりと捕縛し、卓の客はニヨニヨとバニーボーイの四肢を押さえ狼の手伝いをする。間もなく短い悲鳴が上がり、狼のペニスがバニーボーイの穴に突き立てられた。罵詈雑言を並べ立てていたバニーボーイの口から意味を持たない言葉が二.三こぼれ、次第に声は力なく沈んでいった。

 至る所ですすり泣きと嘲笑が湧き上がる。まるでポルノ映画の世界だった。男達がよってたかって一人の人間を押さえつけ、本人の意思も聞かずに蹂躙していく。店内には生々しい水音と、人々の荒い息遣いが響いていた。

 と、ここで私は気付く。不思議なことに、混沌と化した場内にあっても狼たちは誰も梶くんに手を伸ばそうとはしなかった。狼たちは皆見境なくバニーボーイに襲いかかり、逃げる兎の背中を追いかけて次々に己の獲物にしていく。逃げている兎は捕まるのに、席に留まったままの梶くんは一向に捕まる気配がない。まるで既に所有者があるものと認識しているかのように、近付いてきた狼は本卓のバニーが梶くんだと分かった途端、ピタリと動きを止めて踵を返していった。

「梶くんもしかして重篤な性病とか抱えてる?」
「いやぁそんなことは……二日前の性病検査もちゃんと全部陰性でしたよ」

 そうこうしている内に場にはセーフティエリアに入って安堵する兎か逃げきれずにオオカミに貪られる兎ばかりになっていた。
 あとはレイプショーを楽しむだけといった局面で、バックヤードの奥から、その影はのっそりと現われた。

「あ、やっと来た」

 一際大きく立派な狼が、優雅な足取りで狂乱の場内を歩いていた。艶やかな黒髪に大きな獣耳が生え、他の狼よりも裾の長いロングコートが恵まれた体格によく似合っている。狼は見た所三〇代も半ばといった風体で、片目は手袋と同じ皮の眼帯で隠されていたが、限られた要素からでも美形が分かるほどに細部まで美しく整っていた。
 悠々とした足取りで狼は真っ直ぐに我々の卓へと向かってくる。間違いなく狙いは梶くんで、狼の襲来に焦る私に対し、梶くんの横顔には隠しきれない喜びが浮かんでいた。早く来てほしくて堪らないのだろう。梶くんがそわそわと身体を揺らすたび、フェイクファーの尻尾が彼の高揚を示すように左右に揺れる。兎なのに、犬みたいだと思った。

「梶は兎のくせに、あの狼とひどく仲がいいんですよ。それってうちのコンセプトじゃないんだけどなぁ」

 オーナーが言う。兎は狼から逃げてナンボなのに、と口調こそ呆れている様子だったが、オーナーの表情は妙に明るく、それだけで彼らのイレギュラーが店に何かしらの利益を産んでいることが分かった。
 いよいよ狼が我々の卓に辿り着き、そのまま大きな体が梶くんの隣に立つ。近くで見ると一層狼は迫力のある人物だった。眼光は鋭く、横一文字に結ばれた唇はいやに赤々としている。作り物の獣耳がここまでしっくりくる人間も珍しかった。

「かじ」

 狼がおもむろに手を持ち上げる。近付いてきた革手袋に梶くんは己の顔を寄せ、手袋越しの掌に彼は頬擦りをした。梶くんの表情はうっとりと夢見心地であり、また手を寄せた狼も、到着時より僅かに口元が緩んでいる。
 オーナーの言葉通り、確かに彼らは仲が良さそうだった。“良すぎる”のだろうとも思う。だから梶くんは私の提案に渋い顔をしたのか。こういった意味で仲の良い狼に、梶くんはどうも食べられたくてウズウズしているようだった。

「かどくらさん」

 梶くんの瞳がとろりと熱を孕み、我慢ならないといった様子で露出の多いバニーボーイは狼に抱きつく。梶くんの素肌がロングコートの上を滑り、また狼も、梶くんを受け入れるように片手を彼の腰に回した。作り物のうさ耳がちょうど狼の顎辺りに位置し、狼の顎先を時折くすぐっているのが見える。

「……あ、そうだ。お客さんあの、紹介しときますね。この人は門倉さんです」
「どうも門倉です」
「え、あ、ども」

 今の今まで二人の世界に居たはずなのに、梶くんがいきなり、思い出したかのように私に話を振った。
 突然のことに私はマトモな反応が取れず、門倉と呼ばれた狼が会釈をしたので、つられて私も深々と頭を下げる。逆にここまできたら私のことなど放っておいてほしかったが、店のシステムを考えるとそうもいっていられないのだろう。
 梶くんは門倉さんの腰に抱きついたまま、あのね門倉さん、と甘えた声を出した。

「このお客さんね、初回らしいんですけど、すごくいい人なんですよ。僕のこと色々心配してくれて、可哀相だからって逃がそうとしてくれたんです」

 チラと門倉さんが私に一瞥をくれる。突き刺すような視線に反射的に私の体は強張ったが、門倉さんは片目しか見えていない瞳を緩く細め「そうなん。ええ人やね」と私に微笑みを残すと梶くんに視線を戻した。

「そんで梶は、その申し出を断ったん? エロいことせんでええっていう免罪符なのに?」
「いや、だって入場券ってほんと高いじゃないですか。お客さん今日は僕に触らないみたいだったし、悪いかなーって思って」
「ほぉん。なら梶は、客に無駄な金遣わせんように怖い狼さんに自分を差し出すことにしたんか。優しい兎ちゃんじゃねぇ」
「あぅ……い、意地悪やめてくださいよ。分かってるくせに」

 梶くんが頬を膨らませ、戯れに門倉さんへ頭突きを繰り出す。頭に乗っていたうさ耳がズレ、その瞬間バニーボーイの隙間から純朴な男の子が顔を覗かせた。ぐりぐりと愛しい人間に頭を擦りつける梶くんは、まさしく恋を楽しむ若者そのものだ。
 「耳ズレとるよ」優しい手つきで門倉さんが梶くんのうさ耳を直し、定位置に戻った耳をこちらも戯れに噛んでみせる。黒い梶くんのうさ耳に門倉さんの白い犬歯が食い込んでいた。作り物だと分かっていても、狼が兎を食む光景は見ていてドキリとする。

「優しくされて嬉しかったんやね」
「そうなんです。だからお礼がしたくって」
「お礼?」
「うん。門倉さん手伝ってくれます?」
「あぁそういうこと? ええよ。梶が優しくされるんはワシも嬉しいからね」

 見つめ合った狼と兎が恋人のような距離感で会話を交わす。このまま行為に雪崩れ込むのだろうと思っていた私に反して、パッと門倉さんから体を離した梶くんが、突然机に置かれていたワイン瓶を引っ掴んだ。
 瓶や添え物のナッツをサイドテーブルに移し、梶くんは中身の残ったワイングラスを「零れるとまずいんで」と私に押し付けてくる。すっからかんになった机と、手元のワイングラスだけが私の視界に残った。これから何が起こるのか予測のついていない私の目に、次の瞬間、机に仰向けで寝転ぶ梶くんがフレームインする。

 ピカピカに磨かれたテーブルの上に、バニーボーイの格好をした男の子が横たわっていた。骨ばった肩のラインやほんのり蒸気した首筋が悩ましく、布が余っている胸元からは、既にピンと立ち上がった乳首の先端が見えている。

「見えますか?」
「え、あ、え?」
「いつもはソファとかが多いんですけど、机の上が一番見やすいと思うから。あの、これはサービスっていうか、別にお金とか貰わないんで。いや、別に見たくねぇよってことだったら席外してくれちゃっても良いんですけど」

 ていうかそんな自信持ってお見せできるものじゃないですけど、と梶くんが言葉を重ねる。流石にここまで来ると、彼が何を始めようとしているのか察することが出来た。口の中が興奮で乾き、ゴクリと無意識に生唾を飲み込む。門倉さんが頃合を見計らって机へとにじり寄り、寝転んでいる梶くんの下半身に手を置いた。ハイレグから覗く下半身を撫で、際どいところに指を這わせていく。あふ、と梶くんから鼻に抜ける声が上がり、彼はもじもじと太もも同士を擦り合わせていた。

 バニースーツの股座がズラされ、梶くんの性器がふるんっと顔を出す。にわかに兆し始めているペニスに門倉さんが喉の奥をクツクツと鳴らし、皮の手袋を梶くんの素肌に添えると、門倉さんは梶くんの両足をそのまま抱えあげた。
 梶くんの恥部が、余すところなく私の眼前に晒されている。性器も、その奥にある何度も受け入れてきたことが分かる窄まりも、この特等席からはハッキリと見ることが出来た。

「ちょぉ梶、お客さんビックリしとるよ。何も言わんかったら分からんじゃろ。今から何をするのか、口に出さんと」

 門倉さんが意地の悪い笑みを浮かべ、両方の親指でぐい、と梶くんのアナルを左右に拡げる。
 赤く腫れぼったい中が途端に露出し、もの欲しそうにひくひくと伸縮する様子まで詳細に分かった。入って日が浅いといっていたが、肉の熟れ方は一日二日で仕上がったものには到底思えない。初々しい表面に見事に騙されていた私を、梶くんは「えへ」と悪戯がバレた子供のように見つめた。

 ほんのり顔を赤らめた梶くんが、お客様、と熱っぽい声で私を呼ぶ。黒くキラキラとした瞳に、若さが伝わる瑞々しい唇。素朴そうで純粋そうで、けれど露わになった性器を隠そうともしないバニーボーイは、覆い被さった狼の首に手を回しながら私に言った。
 
 
「僕が食べられるとこ見てて」