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 梶が捕まった。敵対勢力の手に落ち、今はアジトに連行中とのことである。

 ここで梶のヘマを「またかあの馬鹿」とするか「仕方ねぇなぁカジチャンは」と許容するかで人間が分かれてくる。梶隆臣は新進気鋭のギャンブラーで、成長率こそ著しいが今はまだ後ろ盾なしには裏社会を渡っていくことが難しい若輩者だ。経験の浅さは年齢やバックボーンを思えば致し方ない部分もあり、また梶の失態も、好意的に見ればそれだけ奴が果敢に物事に挑戦してきた証明とも言える。失敗の頻度や己の尻ぬぐいを確実にこなす挽回力も、梶には明確に改善がみられた。数年後には忖度無しに頼れる協力者になっているだろう期待も込めて、だから寛容な俺は思うわけだ。またかあの馬鹿。
 
 
「で? 俺の可愛いトラブルメーカーは今どこに居るって?」
「この辺りに潜伏しているのは確かですが、途中で撒かれました」
「なるほどな。お前、知り合いに保険の販売員は居ないか? 配達員でも良い」
「居るには居ましたが、保険のセールス中に客に撃たれまして」
「保険金は降りたか?」
「それが意味がないとかで、保険に未加入だったんです」

 ご愁傷様、と胸の前で十字を切る。雇われ傭兵の男も付き合うように祈りを捧げ、「まぁ世間話はともかく」と早々に顔を上げた。

 狭い区画に建物が密集したエリアは近年まで続いていた内戦の傷跡が生々しく、道端には家屋の残骸のほか、動かなくなった武器までそのまま捨ててある。金属の回収に手が回っていないのは、辺り一帯をとある組織が買い取ったからだ。元居た住人は全員退去を命じられ、今は別のエリアで生活している。

 つまりはドンパチやっても何ら問題は無いものの、不審な動き一つで簡単にこちらの動向がバレてしまうという始末だった。楽と言えば楽だし、厄介と言えば厄介だ。

「虱潰しに捜索してりゃ、先に潰されるのは梶の命ってことか」
「貴方が捕まっていたら最後まで生かしておいてもらえたでしょうがね」

 傭兵が首を横に振る。脳内にはおそらく梶が居るのだろう。『あの、今回はよろしくお願いします』と必要以上にぺこぺこ頭を下げた若いアジア人は、傭兵の中で取るにたらない人物としてカウントされているらしかった。まぁ否定はしない。梶は舐めてかかると足元を掬ってくる男だが、真剣に潰そうと取り組めば今はまだ簡単に潰せる器だ。

「失いたくはねぇんだよ。梶のことは気に入ってるし、アイツを俺に貸し出してる奴は梶を死なせたりしたら怒り狂う」

 今後の振舞いを示唆するように言えば、傭兵は分かりました、とあっけないほど容易く携えていた銃をホルダーに戻した。暴力を担当する人間が敵地で殺傷性を捨てることには多少なりと葛藤が生じるものだろうが、傭兵はさっさと武装を解き「俺も彼には助かってほしい」と珍しく血の通った言葉を口にする。能力的には取るに足らない評価を下されても、戦闘の最前線に“助けてやろう”という気持ちを抱かせるのが梶なのだ。それは俺にも、梶が陶酔するあの悪魔にも無い梶隆臣の強みだった。
  
  
 
 
 他の人間には近場で待機しているように伝え、傭兵一人を連れてエリア内に足を踏み入れる。何か手がかりを、と周囲を見回した俺の目に、瓦礫の片隅でいやに輝くものが写った。

「なんだ?」

 チカチカと太陽光が反射して瞳を刺す。長年雨風に晒されてきた周辺の武器たちが鈍い光を放つのみなのに対して、その光は悪目立ちするほど瑞々しく、一見して錆び付いた金属でないと分かった。
 スコープの反射であれば洒落にならないため、俺や傭兵は細心の注意を払いつつ正体を探る。どうやら兵器の類ではなさそうだが、対象はよほど小さなものなのか、数メートル離れた場所からは形の把握が難しかった。

 傭兵が先を行き、俺がその後ろに続く。近付いてみると、輝いていたのはコインだった。直径数センチ。表面には五とアラビア数字が浮かんでいる。あ、と俺の口から素の声が漏れた。見覚えのあるデザインは、先日まで俺と梶が滞在していた小国の通貨のものである。
 『もっと良いレートになるかもしれない』と空港での換金を渋り、梶はポケットいっぱいのコインと共に国境を超えた。梶が動くとポケットからジャラジャラ騒がしい音が立ち、さながらその姿は首輪に鈴をつけた飼い猫のようだった。そんなもん持ち歩いてどうすんだよと呆れていたが、まさかここにきて役に立とうとは。

「コインですね。この国のものじゃない」
「おい周辺探せ。近くに同じコインがあるはずだ」

 傭兵を押し退け、拾い上げたコインを自分のポケットに突っ込む。
 訝し気な表情を浮かべる傭兵に「ヘンデルとグレーテルだ」と手短に説明すると、察しの良い相手は「なるほど」とそれだけで視線を地面に落とし、三メートル先のコインをたちまち発見した。

 ろくに舗装もされていない道に、梶の足取りを示すコインが点々と落ちている。まるでヘンデルとグレーテルの物語で子供たちが光る石を落としていったように、異国のコインは辿るべき道を我々に照らしていた。

「日本でもグリム童話はよく知られているんですね」
「どうだかな。少なくとも梶はヘンデルとグレーテルの物語を知らなかった。読み聞かせてやったら思いのほか食いついたくらいだ」
「読み聞かせ?」
「眠れねぇって言うから、ベッドの中でな」
「あー……言及しても?」
「別にかまわねぇが、聞いたからには今晩からどんな声が聞こえても知らんぷりしろよ?」

 日本人はシャイなんだよ、とここ数日の鬱憤を晴らすように言う。傭兵は面倒事を悟って空を見上げ、「聞かなかったことにします」とツレない反応をみせた。
 残念だ。上手くいけば今晩、俺に惚れ直した梶が「今日は助けに来てくれてありがとう。それでさ……」と久々に靴下を脱いでベッドに入ってくる。日本人の用意する飯は『据え膳』と呼ぶそうで、本来なら完食するのが男側のマナーとのことだった。
  
 
 点在するコインを傭兵が見つけ、俺が都度そのコインを貰い受けてポケットに回収する。梶のコインストックはなかなかの量だったが、それでも思った以上に距離があったようで、落ちているコインの間隔がジワジワと広がっているところに梶の焦りを感じた。

 左右のポケットがコインで膨らみ、道に落ちた俺の影は心なしか普段より崩れたシルエットをしている。『そういえばアイツ釣り銭の計算が出来ないとかで全部札で払ってたな』と前回の国で見た梶の買い物姿を思い起こしていると、傭兵がピタリと足を止め、「ダメですね」と俺に振り返った。

「コインが途切れてます。おそらく使い切ったんでしょう」
「あの馬鹿~」

 二人の前方にはピタリと隙間なく建てられた家が四軒並んでいる。赤土を固めて作られた家々は全て同じ形をしており、窓や入り口の大きさにも特徴は無かった。あの家のいずれかに梶が居るはずだが、そのいずれかを見極める手段が無い。
 最初の方にやたらめったら落ちていたコインを一枚でも温存していたら、今頃梶はとっくに救出され「ほらね? コイン換金しなくて良かったでしょ?」と俺相手に鼻を膨らませていたことだろう。詰めが甘いとはこのことだ。目的地周辺になったら音声案内を終了するナビの如くである。

「どうします? とはいえここまで絞れたので、突撃しても問題は無いと思いますが」
「まぁなぁ……」

 傭兵の手が無線にかかっている。確かにここまで選択肢が絞れたのなら、待機させている人間を呼び、同時に踏み込んでしまっても問題は無かった。この地域は幸いなことに一般人が立ち退いており、どれだけ派手に暴れても流れるのは全て悪人の血だ。通常なら突撃に躊躇う理由もないが、梶の性格上、自分のせいで死人が出れば必要以上に傷付き己を責めてしまうだろう。

「正直なところ被害は最小限に留めたい。人が死ねば梶が悲しむ」
「悲しませておけば良いのでは。己の失態が招いた結果です。教訓になる」
「その点に関しては俺よりアイツの方が学びが進んでる。もう十分だ」
「甘い」
「おう、悪党も恋人には甘くなるんだ。お前もこの機会に学べてよかったな」

 聞きたくないと言ったのに、と傭兵が苦々しい顔をする。調子に乗るから今のところはオフレコで頼むと茶化す俺に、傭兵は無線を懐に仕舞いつつ「そもそも全て忘れます」とにべもなく言った。