こんな取り立て本当に存在するんだ、というのが正直な感想だった。
普通に女の人と結婚して子も孫も居るような人が、敗戦の代償に自分の目の前で男に男とセックスをしろと言う。別に本当は男が好きなわけでも、レイプものAVでしか興奮出来ない難儀な性癖をしているとかでもないらしい。ただ自分に負けた男性会員が、同性に突っ込まれて脂汗を垂らしながら呻いている姿を見ることが生き甲斐らしかった。
「理解は難しいかな、梶隆臣君」
「すいません、正直」
紳士的な態度で聞かれたので、僕もつい素直に「すいません」なんて枕詞を付けて返答してしまう。相手会員の背後に立つ某立会人が『謝る必要ある?』という顔で僕を見て、僕の後ろからも『何で謝ってるんだ』とでも言いたげに重めのため息が漏れていた。
相手の会員が言う。
「男というのは、なんとなく自分は抱く側で、セックスにおいて自分は常に優位で居られると思っているもんだろう?」
「はぁ」
一般的にはそうらしい。僕はよく知らないが。
「君は若くてお金もあって、顔もなかなかにハンサムだ。きっと今まで良い思いをしてきたと思う。そんな君が、だ。女扱いを受けて特に何の馴染みもない顔見知りの男にレイプされるなんて、きっと計り知れない屈辱じゃないか」
高齢の会員はそう一息に言い切り、規則性の乱れた呼吸を整えようとフゥフゥ深呼吸を始める。「僕が相手をするのは難しくてねぇ」とでっぷりした身体を揺すって笑う会員に曖昧な表情を向け、僕は僅かに首を動かすと、敗北決定時よりずっと視線を合わせてくれない本日の担当立会人を盗み見た。
平均年齢の高い立会人の中で彼は数少ない二十代であり、ワックスで逆立てた髪はいまだ黒々としていて白髪の一本も混じらない。暴の精鋭とはにわかに信じがたい痩せぎすな体と不健康そうな顔色は今日も相変わらずで、口からは彼のトレードマークと化した舌がチョロリと顔を出し、先の方で小さな泡の粒を作っていた。
とばっちりを食らい怒っているようにも、とんでもない展開を楽しんでいるようにも見える。つまりは表面的な姿だけでは彼の本意なんて誰にも分からないということだが、相手は僕の担当立会人に視線を寄越すと、にちゃぁと粘っこい嫌な笑みを浮かべて彼に声をかけた。
「よろしいかな、えぇと……」
「弥鱈と申します。弍拾八號、弥鱈悠助です」
彼、こと弥鱈立会人が名乗る。無感情な声だと思った。
「そうそう、弥鱈立会人。フリーでやって来た君からすればとんだ災難かもしれないが、まぁ敗者に付いてしまったのが運の尽きだ。梶君が小奇麗な若者だったことを不幸中の幸いと思ってほしい」
「はぁ」
弥鱈立会人が素っ気ない反応を返す。ポケットに手を突っ込んだまま彼は微動だにせず、彼の舌先から生まれたシャボン玉だけが所在なくフワフワと宙を漂っていた。
急に湧いた賭郎勝負の誘いに、たまたま予定が無かった僕とたまたま今日がオフだった弥鱈立会人がかち合った。現地集合した僕らはそのままロクな会話もせずに勝負に繰り出し、必要最低限の会話でゲームを進行して今である。
僕は弥鱈立会人を極力見ないようにして、膝の上に作った握りこぶしを更に強く握りしめる。
「梶君、同性とのセックスは初めてかね?」
相手会員が問いかけてくる。どう返すことが正解か分からず、僕は引きつり笑いで対応する。
「弥鱈立会人はどうだろうか? 同性との経験は?」
続けざまに相手会員が弥鱈立会人にも問いかける。やっぱりあちらも無言を回答としていた。
「結構」
会員は満足気に微笑み、「そうでなくては」と脂の浮いた小鼻を膨らませた。
そうでなくては、とはどういう意味だろう。両方に同性の経験が無いと踏んで喜んでいるのか、それとも僕達のポーカーフェイスを見破って『そんな偶然あるんだぁ~まァたまにはマンネリ防止も良いよね!』とお節介を焼きたいのか。どちらにしろ見当違いだし、どちちにしろ余計なお世話だと思う。
同性とのセックスは初めてか、だって? 何でそんな痛いとこを突いてくるんだ。
その口ぶりでは、まるで僕が女の子とのえっちに慣れていることが前提みたいじゃないか。“異性とのセックスはまぁしたことがあるだろう。では同性はどうかね? さすがの君も同性相手となれば未知の領域なのでは?”そんな意味合いが言葉の裏に込められているようで気持ちがどんよりする。
いやいや、何その固定概念。男は女とのセックスには慣れているのが当たり前で、反面男とは関係を持っていないことが一般的だって? 勘弁してほしい。特に前半。良いですか相手のお爺さん会員。セックスって自分以外に相手が必要なんですよ。その相手っていうのはナンパなりバイト先でアタックなり風俗店に金払うなりして得なきゃいけなくて、なおかつこの世の中にはナンパに惨敗しバ先でも相談役に落ち着く冴えない金無しフリーターも居るんです。ソレってまぁちょっと前までの僕なんですけど。
とにかく、世の中には色んな人が居て色んな出会い方がある。女の子相手に撃沈を続け「もう無理だ~」と水上でプカプカしてたら海の底から伸びてきた手に「じゃぁ私なんてどうですか?」と深海に引きずり込まれて始まる何かもあるんです。あっなんか例えが悪すぎる気がしてきた。違うんです別に相手のことを海の亡霊扱いしたいわけじゃなくて。確かに亡霊かなってくらい覇気無いし顔色悪いし笑顔は邪悪だけど。そういう始まりもあるってだけ。海の底の暮らしはなかなかに快適なもんです。
出来れば相手には、僕の人生とか恋愛偏差値とか現状等を把握したうえで質問を選んでもらいたかった。気まずいから。ここには僕の散々な女性遍歴を知っている人が居るから。
お爺さん、逆です。僕は男とのセックスしか知りません。
どうして今日の立会人はフリーだったのか。どうして今日の対戦相手はこの人だったのか。不満はぐるぐる僕の頭を回るけど、結局それらは全て『なんで俺負けてんだよ』に帰結する。言うまでもなく自業自得なのだ。だって僕は負けたんだから。今日の対戦相手が誰だろうと、今日の自分の立会人が誰だろうと、僕が勝負に負けなければ何も関係なかったし何も問題なかった。負けた僕が、つまりはことごとく引き寄せてしまった事態だ。
ぎゅぅ、と強く拳を握ると、爪が掌に食い込んだ。
皮膚に爪がめり込む痛みに驚いて、僕は反射的に弥鱈立会人のことを想う。
傷一つない完全無欠の立会人という顔で立っている弥鱈立会人の背中には、でも現在真新しいひっかき傷が何本も走っていて、ところどころはシャツに血のシミまで作ってしまっている。
最近なかなか予定が合わなかったせいで、昨日はじつに一カ月ぶりの本番だった。久々の圧迫とか熱に余裕がなくなって無茶苦茶に爪を立ててしまったにも関わらず、冗談を言うことはあっても決して僕を責めないこの人は、謝ろうとする僕に「むしろ礼を言いたいくらいですよ」と茶化して言ったのだ。
「だってほら、背中の痕は男の勲章って言うじゃないですか」
『弥鱈立会人と梶様』は、ほんの数時間前まで『弥鱈さんと隆臣くん』だった。
慣れない相手とのセックスだなんてとんでもない。
なんならさっきまで裸で抱き合っていた僕達だ。
一緒に登場したら勘繰られるかもしれないと、僕がホテルを弥鱈さんより三〇分遅く出たのが悪かったのかもしれない。時間差で会場に到着し、親密なことがバレないように最低限の会話だけするよう心掛けた。気を付けたところで雰囲気でバレるものだろうと思っていたけど、そういえば僕は擬態に定評があり、弥鱈さんは立会人だった。
正直驚愕というか、むしろ拍子抜けの事態である。だって弥鱈さんも僕もGPSを通して倶楽部賭郎なり倶楽部賭賭郎総大将に常に居場所が筒抜けなので、形だけは秘密交際を貫いていたものの、正直今日まで自分たちの関係がきちんと組織内で秘匿扱いを受けているとは思っていなかったのだ。
どうせ立会人の面々は酒の席で僕らの話題をベラベラ口にしていると思っていたし、黒服の方もあること無いこと噂して、会員の耳に何重にも尾ひれがついたゴシップが届いているものと半ば諦めの境地だった。まさか他人のプライバシーを守ってくれる良心があの組織にあったとは。お気遣い頂いていた事実は有難く受け取りたいけど、今回に限ってはその優しさがコトを厄介にしているのでちょっと複雑だ。
もし僕と弥鱈さんの関係が公然の事実だったら、相手の会員だって僕達が顔どころかお互いのプライベートゾーンまでお見知り置きが済んでいると察してくれただろうし、今みたいな笑えないアンジャッシュも起きなかったことだろう。些細なキッカケで世間話をする仲になり、なんやかんやと進展して今月の二十日で付き合って丸二年。まぁまぁ上手くやっている僕達は、今のところ倦怠期とは無縁なので、なんだったら世間一般にはバカップルの括りにされるかもしれなかった。
『男というのは、なんとなく自分は抱く側で、セックスにおいて自分は常に優位で居られると思っているもんだろう?』
先程の相手会員の発言が思い起こされる。
ネタバラシをしてしまった後だと、会員の発言はどれも的外れでちんぷんかんぷんだった。確かに世の中の同性カップルにはネコとかタチを固定してない人達も多いらしいけど、僕らは完全分業制というか、とにかく『すいません私アナルが無いんで(by弥鱈さん。そんな訳が無い)』ということでもっぱら僕が組み敷かれるばかりになっている。
僕にはこの二年で抱かれる側の自覚がしっかり根付いてしまったし、相手会員が言うようにえっちの途中で優位に立ったことも皆無だ。ていうかそもそも、えっち中は女の子扱いしか受けたことがない。女の子っていうか、下世話な言い方するとメス扱い。昨日だって「デカいクリトリスですねぇ」とかなじられながら性器を扱かれていたくらいだ。
常日頃から好き好んで一緒に居て、スケジュールをすり合わせては会ったり貪ったりているのが現実の僕と弥鱈さんなわけである。今更相手会員の望む“強引な取り立て”なんて出来るはずもないのに、勝者が絶対の賭郎勝負において、相手の会員が望んでいるのは“賭郎会員梶隆臣が立会人弥鱈悠助に男の尊厳を奪われる惨めで暴力的なセックス”だ。さぁ詰んだ。惨めで暴力的なセックス。どうする。どうしたらいい。そんなもの初回えっちにも無かったぞ。
残念ながら僕と弥鱈さんはこの二年を人並み以上にカップルカップルして生きてきたわけで、まぁ広義で言えば僕の男の尊厳は弥鱈さんに殺されてしまったわけだけど、同意の上だし、僕はおおむね後悔なく弥鱈さんとの夜を楽しんでいる。
世の中には「ない袖は振れぬ」なんていう慣用句があるけど、僕と弥鱈さんにとってはまさに今がその状態だった。ない袖は振れないし、暴力性もそこに無かったら無いですね。
さてどうしたものか。よく知らない男の人との惨めなセックスなんて僕ら側は在庫ナシどころか今後の入荷も未定ときている。
僕達がすぐにご用意出来るのは指を絡めてくすくす笑いながら進行する恋人えっちくらいで、それだったら潤沢に在庫があるんだけど、それ以外は今後も取り扱いの予定が無かった。お相手の会員さん、事情を話したら恋人えっちで留飲を下げてくれないだろうか。くれないだろうな。そりゃそうか。そりゃそうだ
僕は弥鱈さんにこっそりと視線を送り、彼がどんなことを考えているのか、その横顔から思惑を盗み取ろうとする。
けど、無理だった。
弥鱈さんの瞳は変わらず弍拾八號立会人として思慮深く沈んでいて、弥鱈立会人の考えていることは、例え弥鱈さんと恋人同士であっても僕には分からない。
「最後に確認だけ取らせてもらおうか。弥鱈立会人、本当に取り立ては君自身が行うんだね? 梶君には拒否権がないけど、これは別に君のペナルティではない。同性相手ではどうしても難しいということであれば代役を用意するが、どうする?」
事実の知らないからこその偶然というか、相手の会員は再度念押しのように弥鱈立会人に問いかけた。あくまで相手が屈辱を与えたいのは僕だけであって、弥鱈立会人は良くも悪くも相手にとっては単なる棒らしい。
僕としては応援も拒絶もしにくい相手会員の気遣いに、弥鱈立会人は表情を変えないまま首を横に振った。自分が取り立てるといって引かない姿は、多分恋人の弥鱈さんではなく、立会人弥鱈悠助が見せているものなのだろう。
「立会人は取り立てを完遂します。そこに個人の趣味嗜好は関係ありません」
きっぱりと言い放ち、 弥鱈立会人がこの後を示唆するようにネクタイの先を胸ポケットに押し込む。言ってしまえば“犯す気満々”な弥鱈立会人に相手の会員は大喜びで手を叩き、でぷんでぷんと擬音語が聞こえてきそうなほど大きな腹が手を叩くたびに揺れた。
「しかし」
会員の上機嫌を見止めた弥鱈立会人が、ふいに言葉を区切って目を伏せる。
大根役者さながらの見え透いた演技で『気まずいです』を顔に浮かべた彼は、床に落とした視線をうぞうぞと蠢かし、相手の会員が持ち込みの荷物を置いている部屋の隅へと視線を移動させていった。
そこには現金が入っているであろうアタッシュケースの他に会員が登場時手に持っていたボストンバックも置かれており、革製のバッグがやけに膨らんでいることを確認した弥鱈立会人は、僕や相手の会員に見えるようわざわざ顔を上げてから溜息を吐く。「元来、性的欲求が薄いものですから。立会人として恥ずべき姿かもしれませんが、梶様をお相手としたときに、自身が役に立つか確証が持てません」
昨日素面で僕を食べ続けていた人間が何か言っている。
「あぁ、それなら問題ないよ」
不思議に思っている僕を余所に、相手の会員が得意げに鼻を膨らませた。
弥鱈立会人がにやりとする。相手会員は自分が持参したボストンバックを近くの黒服に持ってこさせ、皺まみれの手でバッグを開けた。財布やタブレットといった生活に紛れて、いかにも違法な物ですといった粉や錠剤が個包装の状態でいくつも入っている。
背中に嫌な汗が流れる。目を見開いた僕とは対照的に、弥鱈立会人は目論見が当たったことで上機嫌にシャボン玉を飛ばした。
「まぁいわゆる、ってやつだね。すごく効きが良いんだ」
「それは助かります」
「なっ……! ちょ、本気で言ってるんですか!?」
ぶわっと汗が額にも吹き出し、僕は思わず擬態も忘れて『弥鱈さん』の腕を掴んだ。
おそらくセックスドラッグと呼ばれる類のソレらは、裏社会で名の知れた相手が所有していたことを考えると純度の高さや成分に不安要素がたんまりだった。市場に出回っている混ざりものが多い粗悪品とは全く別物だろうし、一回の使用とはいえ、人体にどこまで影響があるかは分かったものではない。
目の前で大事な人が薬物を服用する姿なんて見たくない。しかも本人の意思とはいえ、いま弥鱈立会人が薬物に頼ろうとしている理由は、多分単に取り立てを円滑に行いたいからだ。冗談ではない。そんなリスクの高いことをさせるくらいなら、コトの顛末を話して相手を変えてもらった方が幾分か気持ちも楽だ。
この人以外に抱かれるのは嫌だけど、弥鱈さんの身に何かあるくらいなら自分一人レイプ被害にあった方がずっとマシ。そんな思いでスーツの袖を掴む僕を、弥鱈立会人は鬱陶しそうに見下ろしていた。離してください、と呟く声は硬く、振り払われた腕には拒絶が滲んでいる。
「こちら側の事情です。貴方が口を挟むことではない」
「いや、で、でも、薬物ですよ? それはちょっと、いくら立会人でも……」
「……言葉は悪いですが、私はいまから“貴方”を抱かなくてはならないので。邪魔なんですよ、正気が」
「っ、」
強調された部分に息を飲む。何も知らない人間が聞けば真逆の意味に取るだろう台詞に、僕は視線を外し、唇を嚙みしめることしか出来なくなった。
事情を知らなければ、弥鱈立会人の言葉は同性相手への苦肉の策、といった意味合いで受け取られるのだろう。立会人弥鱈悠助は会員の梶隆臣に性的興奮を覚えたことなんて一度も無くて、だからこいつを抱こうと思ったら頭が飛んでなければとてもじゃないがブツが役に立たない。そんなニュアンスで聞こえているはずだ。
実際は面白いくらいに全部真逆で、弥鱈さんにとって僕はそういう欲を向ける対象だし、正気の状態でセックスを始めたらどうしたって日頃僕を抱いている弥鱈さんが顔を覗かせてしまう。賭けに負けた賭郎会員の尊厳を踏み潰し、躊躇も容赦もなく蹂躙しなければならない弥鱈立会人にとって、『弥鱈さん』の甘さはきっと障壁になってしまうんだろうと思った。
「……その、弥鱈立会人は、今回ただ取り立てをする役目ってだけじゃないですか。そ、それって他の人にも出来るじゃないですか。例えばもしかしたら、黒服の人の中には僕みたいなやつでも抱けるって人が居るかもしれないし……」
拳を握りしめて、弥鱈立会人の足元に視線を落とした僕が最後の屁理屈をこねる。恋人の弥鱈さんならともかく、この場に立会人として立っている弥鱈悠助が僕の意見を聞くなんて思ってはいない。いないけど、でもやっぱり言わずにはいられなかった。
はぁ、と弥鱈立会人からはダルそうな声が漏れただけだったけど、僕は続ける。「そんな、自分の身体に悪いことをしてまで……その、自分で取り立てる必要、ありますかね?」
「はぁ」
もう一度弥鱈立会人が言う。頭をガリガリと掻いて、面倒くさそうに敗者の会員を一瞥した彼は、これ以上無駄なやり取りはしたくないとばかりに僕からフイと顔を背けた。「必要云々の話じゃないんで。立会人の心情が分からないなら黙っていてもらえませんか」
準備をしますので、梶様は先にあちらへ。
指差された先にはカジノ台があった。今の今まで賭郎勝負が行われていた場なので、当たり前だけど室内にはベッドやソファといった寝転べそうな家具は存在していない。あるものといえばカジノ台か座っていた椅子くらいのもので、その中でもカジノ台は、高さが僕の腰の位置くらいだった。後ろを向いて台に手を付けば、ちょうど突っ込むにはもってこいな具合になる。
話し合いは終わったらしかった。そもそも話し合いだったと弥鱈立会人が認識していたかどうかも分からない。困惑していたのも地団駄を踏んでいたのも僕だけだったみたいだ。なんでそんなに割り切れるのか、弥鱈立会人の言うように、立会人の心情なんて僕にはちっとも理解出来ない。
性のにおいなんてこれっぽっちも無い場所と身体でセックスをする。あぁなんか、いかにもレイプだな。
ヨロヨロとカジノ台に近付き、さっきまでチップとカードを置いていた場所に自分の両手を着く。後ろを振り返ると、まさにいま会員が弥鱈立会人に薬物を手渡しているシーンに遭遇した。小ぶりな袋を手渡された弥鱈立会人が中の粉を少量自分の手の甲に出し、片方の小鼻を抑えて顔を近付ける。スン、と薬物を吸い込んだ弥鱈立会人は、そのまま上を向いて数十秒停止した。
「あ゛ー……」
再び前を向いた弥鱈立会人には既に反応が現れていた。目は据わり、瞳の奥が異様にギラギラと光っている。
本能的に怖いと感じる目だった。欲情しているというより、単純に空腹で飢え死に寸前の猛獣が獲物を見つけた時の姿に見える。会員いわく『すごく効きが良い』薬物に侵されているにも関わらず、余計な声一つ上げず、ただこちらにスタスタと歩いてくる弥鱈立会人はいっそ不気味だった。
カジノ台の前までやってきた弥鱈立会人は、こわごわ立っていた僕の肩を引っ掴んでそのままカジノ台に肩を押し付ける。ゴン、と台と骨がぶつかる音が立って、鈍痛と、頬にはプレイマットの繊維が突き刺さった。
ごり、と下半身に硬いブツが当たる感覚がある。じわじわとスラックス越しに伝わってくる熱の熱さに「ひっ」と僕の喉が鳴った。
これの形も質量も僕は知っている。何度やっても少し圧迫感はあるけど、時間をかけて解してもらい、甘い言葉とキスを浴びながら受け入れれば、本来は下半身を切なく震わせてくれるものだった。
弥鱈さんとのえっちは好きだ。気持ち良くて体を充足感が満たして、頭は幸せすぎて終わった後もしばらくぼんやりしている。弥鱈さんとのえっちは気持ち良くて幸せ。知っている。知っているはずだ。本当は。
「う……」
弥鱈立会人の手がスラックスのボタンにかかる。さっさとフロントを寛げた弥鱈立会人は、そのまま下着ごと僕のスラックスを引っ掴み、一気に下へずり降ろした。膝辺りに布が溜まり、僕は尻を丸出しにした間抜けな格好になる。緊張で冷え切った身体には外の空気が冷たくて、ぶるりと震えた尻を弥鱈立会人の手が掴んだ時、僕の口からは自然と恐怖が漏れ出ていた。
「ひっ、ひっ……う、うぅ……」
ガクガクと膝が笑っている。慣れているはずの物に対してどうしてこんなに怖いと思うのか分からなかった。カタカタと鳴り出した歯は止めようとしても一向に鳴り止まず、呼吸は早くなって、吹き出した脂汗が額から一筋落ちていった。
お目当てのものが見えると相手の会員はわざわざ僕達の近くまで椅子を引きずってきて、特等席だ! と皺くちゃな手を叩いて喜んでいる。後ろからは弥鱈立会人の荒い呼吸が聞こえ、背中じゅうに相手方の立会人や黒服の視線を感じた。
相手会員の歓声と僕の引き攣った声が部屋に響く。好奇と蹂躙の気配だけが漂った室内には、僕の逃げ道も拠り所もありはしなかった。
怖い。
ここにはローションも前戯の時間もなく、キスも、僕の優しい弥鱈さんも居ない。
ぴたり、と穴に性器が押し当てられる。棒の熱さと、冷え切った身体の温度差がまた恐怖をあおる。台の端を掴み、衝撃に備えて唇を噛んだ。せめて「これより取り立てを行います」の宣言くらいしてほしかったが、今日はそれさえ無かった。
脈略もなく、僕の身体にいきなり痛みが走る。
メリメリと何かが体内に押し入ってくる感覚があって、圧迫感が、脳にでろんと暗幕をおろした。
「い、ぎ、ぁ゛、あ゛……!」
「おぉ。おぉお……!」
僕は呻き、相手の会員は待ち望んだ光景に歓声を上げる。
なにがおぉ、だ。嬉しそうにして。何でこんなものを見て喜べるのか意味が分からない。
弥鱈立会人は僕の腰をしっかり掴んだまま、力任せに無理やり抜き差しを繰り返し、僕の中を性器でズタズタにしていく。ロクに解してもいない穴は僕も痛いけど相手だって締め付けが強すぎるはずで、普通だったら痛くて抜いてしまうだろうに、弥鱈立会人は一切躊躇なくピストンを繰り返していた。
薬で痛覚も飛んでいるのか、それとも少々の痛みくらい取り立てには関係ないのか。内臓を異物で引っ搔き回され、フーフー荒い息遣いだけを背中越しに聞いていると、正直いま突っ込んでいる人間が誰でも変わらなかった。
「ぎっ、いぎっ、が、ァ、い゛っ…!」
痛い、痛い。
比喩でも何でもなく体が真っ二つに裂かれるような痛みがあって、ずろ、と弥鱈立会人の性器が引き抜かれるたび、そのまま一緒に内臓が引きずり出されそうになる。穴の淵はじくじくと熱を持って、部分によってはピリピリ体液が染みた。
ちょっと切れちゃってる所もあるのかもしれない。後ろがどうなっているか気になって、でもどうしても後ろを見ることは出来ず、僕はカジノ台に額を押し付け、浮いてくる汗をマットに吸わせて耐えた。
だって振り返った先には弥鱈立会人が居るのだ。悲惨だろう下半身の状態も、いま僕に腰を振っている人間の顔も、僕は見たくない。
相手のブツはけっこう立派らしく(まぁ知ってたけど)、普通より長いから、一回の抜き差しでやたらと苦しさが長引くのも辛かった。いつもは早々に訳が分からなくなるから気にしてる余裕も無かったけど、痛みと苦しさで頭がハッキリしている今は、入ってくる時も出ていく時も『まだ終わらないの』とゾッとする。気分は拷問器具で串刺し刑に処されてる極悪人。腹を内側から押し上げられ、圧迫感が胃にまで及んでいた。
胃の中がぐるぐるしている。吐きそう。喉の奥がヒクつき始めた僕の前にはフェルト生地がピシッと張られたカジノ台が広がっていて、ゲロでマットが駄目になったら勿体ないと、貧乏性な僕はつい口を背けるために台から体を起こそうとした。
ただそれがまぁ悪手で、脱走するんだと思ったらしい弥鱈立会人が僕の頭を台に押し付けてくる。上から凄い力がかかってきて、いよいよ身動きが取れなくなった僕の身体には弥鱈立会人の手でお仕置きが課せられた。
「ぎゃっ!」
腰を掴んでいた手を前に回して、弥鱈立会人が僕の玉を片方握り潰してきた。視界が一瞬真っ白になって、身体は身の危険でも感じたのか、僕の意思に関係なくブルブルと痙攣を始める。
「ひぃ゛ッ! ごめ、ごめんな゛さい゛、逃げないからっ、逃げないからやめ゛てっ゛」
僕は台にへばりつき、弥鱈立会人に脱走の意図が無いことを必死にアピールする。玉を潰されるというのは、不思議なもんで痛みよりも恐怖心が強く出る行為だった。ここに居たって痛いことをされ続けるって分かっているのに、頭が精子を作れなくなるよりマシ、と僕とカジノ台を密着させる。
カジノ台に顔をこすり付けている僕は何だか土下座をしているようでもあり、そこが弥鱈立会人のお気に召したんだろう。三回目のごめんなさいを口にしたところで弥鱈立会人は手を離してくれた。
「あ゛、ぅ……うっ、ぷ……ぐ、いっ、イ゛っ……」
また律動だけのセックスに戻る。いっそワザとを疑うくらい弥鱈立会人の性器は僕の好きな所に当たらなくて、だからそれなりにナカの快感を覚えてる身体なのに、僕はいつまで経ってもただ苦しい挿入に呻いていた。
男同士で付き合ってきたこの二年間に体を作り変えられた自覚がある。『貴方は何処を触っても喜びますねぇ』と茶化されるたび表面上怒る素振りは見せたけど、実際は図星を突かれているようで気まずかったし、僕は自分が後ろを使うこと自体が好きな変態に進化したんだと思っていた。
もう誰に触られても、どんな風に触られてもAVの中の女優さんみたいに気持ちよくなっちゃうのかなぁ、なんて漠然と考えていたのだ。でもどうやらそれは思い違いだったらしい。ケツにちんこを突っ込まれてしばらく経つけど、今日はちっとも気持ち良くならなかった。痛みが続くことに慣れてきて、最初より苦しさも和らいできたけど、それでも快感のかの字もない。ただ棒が僕の中にある空洞を行ったり来たりしてるってだけ。知らなかったなぁ。別に使い方を覚えたからといって、ケツを使えば全部気持ち良くなるわけじゃないんだ。
「ぉ゛、えっ……ぅ、っい゛、ァ」
突っ込まれて何分くらい経ったんだろう。相変わらず僕は人間と潰れたカエルの中間みたいな声を出しながらカジノ台にしがみついていて、弥鱈立会人はそんな僕を組み敷きながら、一向に達する気配のない性器ひたすら出し入れしていた。
薬の影響か萎えてはいないようだけど、ただ黙々と同じスピードで腰を打ち付けているだけで、弥鱈立会人側もちゃんとした快感を得られているかは怪しい。元々イくまでに時間がかかる人ではあるものの、普段はこれだけピストンを繰り返していたらもう少し声なり我慢汁なり出てくるはずだ。僕が言うのも変な話だけど、この人の体も、とりあえずケツに突っ込めたら気持ちよくなれるって訳ではないらしい。
「チッ」
後ろから舌打ちが聞こえた。舌打ちを声にカウントして良いかはともかく、僕のケツに突っ込んでから始めて弥鱈立会人が自発的に発した音だった。
「ぅ、ぐ………!?」
ふいに肩に感触が乗る。弥鱈立会人が僕の肩を掴み、指が食い込むほど強い力を加えてきていた。
なんだろう、また機嫌を損ねるようなことをしてしまったのか。咄嗟に身構えた僕のナカから、弥鱈立会人の性器が全部引き抜かれていく。久々に杭が除かれた身体は圧迫感から解放され急に呼吸がしやすくなり、それまで浅い呼吸を繰り返してきた僕は、いきなり沢山入ってきた空気に盛大にむせた。
「げほっ………え、な、なに……!?」
咳き込んでいる僕の身体に、今度はいままでとは違った方向から力が加わる。さっきは台に僕を押し付けてきた手が、今度は僕を台から引きはがそうとしていた。
体の向きを変えようとしているようだった。仰向けにする、つまりは僕の顔を見る気なのだと察して、僕は自分の顔からサーっと血が引いていくのが分かった。
「ひっ───!!」
あぁそうだ、忘れてた。『弥鱈さん』はいつもえっちのとき僕の顔を見たがるのだ。自分は感覚が鈍いから性器への刺激だけだとなかなかイけないとかで、気持ちが高ぶってくると弥鱈さんは僕の顔を覗き込み、「良い顔してますねぇ」と満足げに笑って毎回僕の表情を絶頂へのブースト代わりに使う。なんでも快感で蕩けてしまっている僕の顔は汗と涙と涎でそれはそれは無様な有様らしく、ぐちゃぐちゃな顔でへにょへにょしてる僕は弥鱈さんのツボを的確に突いて、だからこそ僕の顔を眺めているだけで弥鱈さんは最高に興奮してくるんだそうだ。
ちょっと理解に苦しむ弥鱈さんのこの悪癖は彼の歪んだ性質が露骨に表れた行動であり、ならば薬で理性も思考力も吹っ飛んだ剥き出しの弥鱈悠助である今の弥鱈立会人に、その感性が当てはまらないハズもなかった。
「や、やだ! 弥鱈立会人っ、いやです! 顔は見ないで!」
加えられる力に抗い、僕はカジノ台に体をべたりと張り付けて必死に弥鱈立会人に訴える。
別に弥鱈さんにならどれだけ顔を見られたって気にやしない。無様って普通は誉め言葉でも何でもないけど、弥鱈さんに限ってはキョトン顔で「可愛いってことですよ?」と本心で言ってくるかもしれないからだ。弥鱈さんは恋人だから、だったら情けない顔だって僕の弱みだって全部見せても良い。でも今この人は、弥鱈立会人だ。僕の好きな人じゃない。僕を好きになってくれた人じゃない。
カジノ台から僕を引き剥がそうとする腕は、それほど太さがないにも関わらず信じられないくらい力が強かった。綺麗に切りそろえられた爪が僕の腕に食い込み、言うことを聞かない弱者に後ろからはまた舌打ちが漏れる。
そうこうしてる内に穴に熱が再び押し当てられ、一度は解放された杭がまた深々と突き立てられた。奥の奥を貫くように思いきり埋め込まれ、小休憩があったことでリセットされてしまった痛みや嘔吐感がまた駆け上ってくる。呼吸が止まり、目の前がフラッシュをたかれたように白く点滅する。言うことを聞かなければ今の行動を繰り返するつもりなんだろう。それでも頑なにカジノ台にしがみ付いている僕に、また頭上から舌打ちが降ってきた。
性器が抜かれる。奥まで打ち込まれる。視界がチカチカして、弛緩しそうになる体をどうにか歯を食いしばって踏み留める。また舌打ち。引き抜かれ、ちょっと間を置かれて、脈略もなく最奥。
何度も奥を殴られて胃が伸縮を始めていた。苦しさから涙がこみ上げ、感情がブレてしまった僕はカジノ台の上で子供のように鼻を啜る。
いやだ。こんな顔誰にも見せたくない。今日の僕は喘いでたから唾液が飲みこめなかったわけじゃない。体が火照って汗が出たわけでも、気持ち良すぎて涙腺がバグったわけでもない。
いまこの瞬間僕が体液塗れの無様で見るに堪えない顔をしているのは、今日の僕が本当の意味で無様で、見るに堪えないセックスをしているからだ。この場に居るのは僕の泣き喚く姿に手を叩いて喜ぶ会員と無様な人間を嗤いたい倶楽部賭郎の立会人だけで、すぐ意地悪を言うくせに、いざ僕が傷付いた顔をしたら慌てふためきだす不器用なあの人はいない。
弥鱈立会人の拷問じみたピストンは淡々と行われ続けている。どうせ僕が抵抗していられるのも時間の問題だと知っているんだろう。焦るでも方法を変えるでもなく、弥鱈立会人はただずっと腕を掴み、頑なに耐えようとする僕の気力をじわじわ削いでいく。下半身はどんよりと重くて、快楽なんてものは相変わらず遠くに霞ほども見えなかった。ただ穴を使った暴力を受けている。奥に衝撃を受けるたび痛みと疲労が積み重なって、何十回と繰り返される暴行に、僕の視界が徐々にぼんやりとしていった。
「ぅ……けて、たすけて……」
うつ伏せになったまま、気付けば口がそんなことを言い出していた。
ずっと暴かれ続けて、僕の身体と脳みそが限界を迎えようとしている。心が擦り減っていく。絶対に言ってやるものかと思っていた言葉が、薄れてきた理性のなかで遂にこぼれてしまった。
「助けて……らさん…… みだらさん、」
横からおぉ! と声が上がった。取り立てを鑑賞していた相手会員が、僕の泣き言を聞いて興奮のあまり椅子から立ち上がっている。
幸か不幸か普段から少し他人行儀な呼び方をしていたので、会員は僕の言う『弥鱈さん』のことを『弥鱈立会人』のことだと取ったらしい。最初は気丈に耐えていた青年が、繰り返される恥辱と激痛に耐えられなくなってとうとう立会人に許しを乞い始めたと思ったのだろう。虚ろな目で自分をレイプしている人間に助けを求める姿は、相手側が僕に求めていた姿そのものである。さぞ相手の会員はご満悦だろう。若く生意気な会員はロクに話したこともない立会人に仕置きを受けて、痛みでぐちゃぐちゃに顔を汚して、今までの形式ばった物言いも忘れて「助けて弥鱈さん」などと同情を誘うように口調を砕いて許しを乞うて見えるのだから。
冗談じゃない。
誰が、誰が立会人なんかに助けを求めるもんか。
「っい、ィ゛……! あ゛、ぅ、う、ううっ……みだらさん、みだらさん……!」
一度名前を呼んでしまったらもうダメだった。堪えていた涙が落ち、視界の端に映る腕に既視感を覚えて僕はついついその腕に縋り付きたくなる。
ダメだ。この腕じゃない。僕が知ってる手は、こんな風に僕の腕を力任せに掴んだりしない。後ろからなんの合図も無しに突っ込んだりしないし、まぁ元々意地悪を言う口ではあるけれど、こんな風に無言で、僕を傷付けるために追い詰めたりはしないのだ。
「みだらさっ……、あ゛、ア゛……ぅ、」
けれど名前を呼び始めた辺りから、弥鱈立会人の動きが少し威力を落としたようには感じていた。骨が軋むほど強く掴んでいた手は少し力が緩まり、相変わらずピストンのたびに性器はギリギリまで抜かれてしまうけど、奥に打ち込む速度は僅かに落ちた気がする。
もしかして、という考えが朦朧とし始めた頭に浮かんだ。もしかして弥鱈立会人は、頭のどこかにまだ僕の弥鱈さんを残してくれているのだろうか。いくら取り立てだとしても、いくら薬で頭が湧いてるとしても。僕の声が、まさか隆臣くんの声として届いてくれているんだろうか。
「───かじさま、」
久しぶりに名前を呼ばれ、ザワリと肌が粟立った。えっちのとき特有の熱っぽくて舌足らずな声。弥鱈さんがよく僕を呼ぶときの声に似ているソレに、もう思考が回りもしない僕は思わず台から手を外し、ぐりんと後ろを見る。
馬鹿だった。本当に僕は、いくら限界が近いからって、大馬鹿野郎だった。
後ろには、爛々と目を光らせた弥鱈立会人が「ケケッ」と笑いながら僕を待っていた。
「あ」
一目で正気じゃないと分かる眼光をして、弥鱈立会人がこちらを見つめている。騙されたと反射的に気付いた。薬と立会人の責務だけを重んじて、弥鱈立会人は一切の慈悲も持たずに僕を見下ろしている。弥鱈さんの影なんて欠片も存在してなくて、ただ僕を蹂躙して、勝者の思うように敗者を取り立てようと画策する立会人がそこには立っていた。
「みだら……たちあい、にん」
「良い顔ですね」
突然弥鱈立会人が僕の顎を掴んだ。驚く僕の口に間髪入れず指をねじ込み、僕が口を閉じきらないよう開口機の代わりに指を挟んで固定する。
無理やり開けられた空間に、弥鱈立会人は空いている方の手で用意していた物を流し込んだ。手にした袋の中には白い粉が未だみっちりと詰まっている。さきほど弥鱈立会人が経鼻摂取していたものだった。
「ひっ……ひゃ、ひゃだ! や、っ!」
さらさらと粉が僕の口の中に入ってくる。舌に触れた瞬間細かい粒子がびっちりと表面にまとわりつき、強い薬だろうに、粉自体は無味無臭であることがむしろ恐ろしかった。
立会人でさえ強く反応が出た薬物だ。ろくに耐性もない僕が飲み込んだらどうなるか分かったものではなく、必死に吐き出そうと藻掻く僕に、弥鱈立会人は今度自身の顔を近付けてきた。薄い唇が開き、粘度の高い唾液が僕の口内に注ぎ込まれる。人肌の液体はゾッとするほど僕の中によく馴染んで、舌を伝って喉の奥まで流れ込んできたソレを、僕は本能的に、あるいは日常の延長的に、ゴクンと粉末もろとも飲み下した。
弥鱈立会人の顔が離れていく。あんなに近くまでやって来たのに、彼が僕の唇に触れることは無かった。
「……あ、」
飲み込んで数秒、身体が異常な速度で脈を刻み始める。
「あ、あ、あ」
目の前が万華鏡みたいに輝いて、冷えきっていた体は一転火で炙られているように火照りだした。性器が入りっぱなしになっている穴が、まるで弥鱈立会人に媚びるように脱力する。全身どこにも力が入らない。ころんと僕の身体は容易く仰向けになった。
「あはは」
記号的に呟いて弥鱈立会人が体勢を整える。僕の顔をジィと見つめながら、弥鱈立会人は不気味に笑っていた。