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 無理やり体を開こうとしているくせに、梶の腰の下に弥鱈はクッションを差し込んできた。己が扱い易いからだろうか。いいや、立会人の彼にとって梶の体重などタカがしれている。突っ込みたくなったら適当に腰を引き寄せ、思うように持ち上げて穿てば良いのだ。

 クッションを手繰り寄せる動きに躊躇いは無かった。梶のボタンを外す時は、少しだけ苦しそうな顔をしたのに。

 総合すると多分手荒な扱いは受けないのだろうと梶は思った。強張っていた体から力を抜き、梶は差し込まれたクッションに体重を乗せる。
 早々に相手方が抵抗を止めたので、弥鱈は拍子抜けしたような顔をした。諦めが早いですね、の声色には尊敬さえ滲んでおり、梶は(人の気も知らないで)と二つ以上の意味を込めて弥鱈を睨む。

 社会的にも身体的にも強者側を外れたことが無い弥鱈には、男に組み敷かれた事実にさっさと適応した梶が理解できないのだろう。言葉の節々には『よく耐えられるな、今からレイプされるのに』という弥鱈の感想が垣間見える。『貴方は僕を手酷く扱えそうにないから舐めてかかってます』と言ってやれたらどれだけ鼻を明かせるだろうかと梶の頭に意地悪が浮かんだ。
 相手は立会人の基準を満たせるほどの身体能力に恵まれ、この場における自身の優位を疑っていない。生殺与奪の権を握っていると錯覚する彼をせせら笑い、こっそり助けを呼んでやろうかとも梶は思案してみる。弥鱈を重宝する人間は多く居るが、それと同じくらい梶には自身を溺愛する人間に心当たりがあった。弥鱈に蛮行の報いを受けさせることなんて梶には容易だ。今の梶に困難なのはただ一つ、弥鱈をこの瞬間この場で、憎いと思うことだけなのである。

 冷たそうに見えて案外温かい人だったから好きになった。
 どんな理由があれレイプという選択肢を選んだ以上かける情など無いはずなのに、それでも身体を包み込むクッションの柔らかさに、梶は弥鱈の本質が滲んでいるようで、彼を嫌いになりきれないままでいる。

「無抵抗ですか。まぁ、賢明な判断です。抵抗しないのなら乱暴にはしません」

 クッションの上でジッとしている梶に対し、弥鱈は───本人は無自覚だろうが───ホッとしたような表情を向けた。節々で嫌いにさせてくれない弥鱈を煩わしく思いつつ、梶は懸命に冷たい声を出す。「レイプが既に乱暴な行為だと思いますけど」

「ははぁ。正論ですね。まぁ性的暴行って言い換えられるような行為ですからね。暴力ですねこれは。すでに」
「はい」
「可哀相な人だ」
「かわいそうですか、僕」
「今の状況はそうとしか言い様が無いかと」
「そうですか」
「挿れますので、力を抜いてください」

 脈略などあったものではない。弥鱈が言い、次には梶の下半身を鈍痛が襲った。乱暴だなんだと言ったが、あれだけ解されていたらば或いは痛みなど無いかもしれないと梶は思っていた。よくAVでは処女だろうと初挿入でも快感を拾っているからだ。ところが現実は、しっかりと下半身に痛みと違和感と圧迫感がある。まぁ所詮、AVはフィクションということだった。快楽は見当たらない。純粋な暴力よりは痛みが緩いな、くらいの感覚だった。

「痛いじゃないですか」

 思わず梶の口から恨み言が漏れる。弥鱈は腰を止め、気まずそうに目を泳がせた。手が梶の頭を撫でようとして、寸でのところで押し留まってシーツに落ちる。「はぁ」と答える彼は普段よりも無感情がぎこちなかった。

「乱暴はしないっていったのに」
「乱暴にはしてないじゃないですか」弥鱈が食い気味に言う。
「でも痛いです。乱暴しないって言ったのに、実際痛い」
「はぁ。すいません」
「謝らないでくださいよ、レイプしてる最中に」
「それはそうか」弥鱈が納得する。素直に頷いた彼は、加害者らしく無作法に梶の腰を掴んだ。「動きます」
 
 違和感が去り、また戻ってくる。波のように痛みが押しては引いてを繰り返した。思ったより激しい動きでは無かったのでひとまず梶は安心したが、三回目の出し入れが終わったあたりで弥鱈がローションを追加したので、単純に滑りが悪すぎて上手く律動出来なかっただけかもしれない。

「ぅ、ぐ……」
「具合、良くな、さそうですね」

 梶が呻き、弥鱈は言葉を途中で詰まらせる。久々に弥鱈と視線が合った梶は、反射的に愛想笑いを浮かべた。状況が状況なので本来笑いかけてやる義理など無いのだが、元来の性分というか、あまりに痛いので笑うしかない。

「ぜんぜん良くないです」

 忖度の無い感想を梶が漏らす。「ですね」と返してくる弥鱈がなんだか滑稽だった。

「そちらは、どう?」
「えぇはい。締め付けが強すぎて正直萎えそうなほど痛いです」

 だったら動かさなければ良いだろうに、弥鱈は変わらずゆっくりと腰をスライドさせる。ギリギリまで抜いた性器を、弥鱈はまたゆっくりと中に埋め込んできた。萎えそうなほど痛いのに、また懲りずに中に入ってくる。弥鱈の元から気難しそうな顔が更に凶悪な人相になり、額にはどろりと脂汗が浮いていた。立会人でも性器に感じる痛みには弱いのかと、梶は同じように冷や汗が噴き出す顔で思う。

「抜かないんですか」
「抜いてほしいんですか」
「まぁ、レイプされてるので。抜いてもらえたら有難いですけど……」
「だったらもっと必死に懇願したらどうです。そんな、飲み会に誘われて『行けたら行く』と返す時のテンションで言わないでくださいよ」

 弥鱈が舌を出す。二人の隙間にシャボン玉が生まれ、不安定な軌道で舞い上がっていった。
 言われてみればその通りだった。レイプ被害者を自称しているわりに梶には精神的な余裕があるし、普段と態度が変わらないとあっては、抜いてくれと頼んだところで深刻さが相手に伝わる訳もない。『好意』という厄介かつ抗いがたい感情が渦巻いて梶はこんな状態下でも弥鱈の熱を手放したくないと思っていたが、そんなことをいきなりカミングアウトされても、弥鱈だって困るだろう。
 レイプという選択肢を自発的に選んだ以上、せめて弥鱈には自分の好意が現状バレていなければ良いと梶は願っている。自分の好意を利用する弥鱈だけは見たくない。他人の悪意に漬け込んで自分の黒い感情を発散するダークヒーローと呼ぶにしても些か性格がひん曲がりすぎている弥鱈だが、少なくとも梶が知る弥鱈は、人の好意や善意を食い物にする性分ではなかった。梶の思い浮かべる弥鱈悠助は、人間の尊い感情は尊いものとして貴べる人間だ。本人は善人じゃなくとも、その最後のストッパーだけは外さないと信じていたかった。

「だってレイプ魔を刺激したら怖いじゃないですか。殺されるかも」

 自分を守りたいし弥鱈の理想像も守りたい。さてどうしたものかと思案した梶は、考えあぐねた挙げ句、上記の皮肉を弥鱈に向けた。

「レイプ魔」

 弥鱈が繰り返す。視線が結合部に落ち、気まずそうに瞬きしていた。

「違うんです?」
「違いませんが、本当に殺されるかもと思っている人間はレイプ魔に対してレイプ魔とは言わないでしょう」
「じゃぁどうやっていうんですか?」
「もう少し、こちらの機嫌を取るように媚びを売ったり……」
「媚び……こんな風に?」

 言いながら梶が弥鱈の手に縋りつく。顔の横にあった弥鱈の手に顔を寄せ、梶は弥鱈の指先に唇を落とした。ザラついた肌が薄い唇の皮膚に触れ、これはこれで感触が心地良い。頭上の弥鱈が一瞬息を飲み、先程は中止された手が梶の頭へと伸びた。くしゃりと髪を撫で、名残惜しそうに去っていく。

「そうですね。そんな風で良いんじゃないでしょうか」
「どうも」
「ところで、少し後ろが緩まってきました。絆されでもしましたか?」

 弥鱈がケッケと下手くそに笑う。緩めた自覚は無かったが、絆されている自覚は梶にもあった。

「ストックホルム症候群かも」梶が咄嗟に言う。
「加害者に情を感じてしまうというアレですか?」
「そうです」
「あぁ貴方、いかにも発症しやすそうですもんね。犯人が捕まった後に『悪い人じゃないんです』と弁護するタイプの被害者だ」
「あぁうん、言いそう、僕」
「自覚があるのか」
「だって現に、いま」

 そこまでいって、梶は意図的に下半身に力を入れる。中の怒張がはっきりと分かり、梶はクン、と喉を鳴らした。あーだこーだ言っても、事実として今二人はセックスの体を成している。弥鱈が梶を見下ろし、中で自身を大きくさせた。

「貴方、この行為を受け入れるつもりなんですか?」
「いや、そこまでの許容は……でも慣れる努力は、しても良いかもって。自分の体を守ることにも繋がるし」
「そうなんですね」弥鱈が頷く。「じゃぁ努力ついでに、キスでもしますか」
「しますっ」

 即答してから、梶は『もう少し躊躇った方が良かったかな』と若干後悔した。元々キスをしてみたかったから思わず返答が速くなってしまったが、レイプされている最中だというのに、被害者がレイプ犯とキスをしたがっているなんてどうかと思う。
 これも一種のストックホルム症候群として見過ごしてもらえるだろうか。ぐるぐる頭の中で考えていたら、思ったより速く弥鱈の口が近付いてきた。こちらもこちらでレイプ犯のわりに挙動が甘い。梶の頬に手を当て、弥鱈は顔の向きを調整する慈しみさえ持ち合わせていた。

 その優しさはこの場には不向きでは無いのか。
 それとも弥鱈にも、何かしらの症候群が発症しているのだろうか。

 例えば被害者がただの穴ではなく尊い一個人に見えてきてしまうような症候群が、もしかしたら加害者側にも存在するのかもしれない。名称があるかは分からないが、仮に存在するなら弥鱈は間違いなくその症候群を発症するだろうと梶は思った。本人は否定するかもしれないが、弥鱈は案外情を捨てきれない人物だ。少なくとも梶を見つめる瞳の熱に、加害者の残虐は見当たらない。

「一応聞きますけど、嫌ですか」
「嫌だったら止めてくれるんですか」
「どうでしょう」
「止めないもんだと思いますよ、レイプ犯は」
「はぁ」
「そんで僕にも、そんなことわざわざ聞きません」
「聞いてすいません」
「いいえ、良いです」
「そうですか」
「あの、僕も教えてほしいんですけど、今から僕ってキスされるじゃないですか。そんな僕は、今も可哀相な人なんですか?」
「一般的にはそうです。貴方がどうかは、知りませんけど」

 問答が止んだ。唇が合わさり、次には舌が絡み合う。ぬちぬちと熱い粘膜がこすれ合い、梶の頭がぼんやりとした。
 このまま加害者に絆されたということにして、梶は弥鱈の首に手を回しても良いだろうか。シーツに投げ出されたままの手は所在が無くて居心地が悪い。行為中の定位置がほしかった梶は、もうどうにでもなれと弥鱈の首に絡みついた。
 弥鱈がビクリと身体を跳ね、受け入れるように自身も梶の背中を支える。
 密着した肌は不思議なくらいに心音を落ち着かせ、梶は二人の熱が溶け合う感覚に浸りながら、こんな暴力が本当にあって良いのかと不思議な気持ちになった。