結局当日はホテルを取ることにした。本当は自分の部屋で頃合いを見計らって……という流れにしたかったが、自宅に梶を呼ぼうものならいつアイツが「巳虎! 梶くんが来ているそうですね! 父として貴方の友人に挨拶をさせてください!」と扉を開けてくるか分かったものではないからだ。
アイツは侵略的外来種みたいな生き物だ。本人はただその場で生きてるだけでも、周りの環境は適度にアイツの脅威に蹂躙され変わらざるを得なくなる。じいちゃんはそんなアイツの種としての強さを一目置いてるようだし、おふくろはそんな無邪気な暴力を「ダーリンったらなんて純粋なの!」とノーガードで歓迎しているが、知ったことではない。少なくとも俺は大嫌いだ。外来種は駆除ないしはそもそも侵入の段階で厳しく予防するに限る。
だーれが紹介なんかするかクソが。「そもそもダチじゃねぇよ」と返すのもダルい展開しか待ってないだろうから御免だった。
「ラブホじゃなくて普通のホテルなんすね」
「アメニティしょぼいだろラブホって。嫌いなんだよ」
「や、僕あの、そんな行ったことないんで……しょぼいんだ、ラブホのアメニティって。知らなかった」
「あーそ。別に知らなくても問題無いんじゃね」
エレベーター内の区切られた空間で、梶が少し体を小さくしている。自宅扱いしてるホテルのほうがよほどグレードが高いだろうに、豪快にフロアを飛ばしていくパネルの階表示を見ながら、梶はいちいち「ひええ」と驚きを口にしていた。
付き合って二か月……いや、三か月? とにかくそれなりに時期を設けての今日なので、梶にヤる提案した時も想像より躊躇はされなかった。マジすか、と呟いたきり下を向いて、数秒後に掻き消えそうな声でそういう目で見てくれてたんだ、と言っていた。
そりゃ見てるだろ、という気持ちを込めて口に齧りつけば、梶は慣れた様子で手を首の後ろに回してくる。自分こそそんな慣れた態度がとれるようになったのに、なんで俺だけロクに覚悟が付いてないと思うのか。掴めない奴だと思う。そんな奴と今からセックスをしようと考えている。
「何階ですか?」
顔を上にあげたまま梶が問う。パネルはちょうど四五から四六に切り替わっていた。
「最上階、の、一つ下」
「以外。巳虎さんって最上階しか嫌な人だと思ってた」
「普段はな」
「予約取れませんでした?」
「お前は、なんか最上階とか嫌そうだと思って。キャラ的に」
そういうと上ばかり向いていた梶の顔がぐるんとこちらを向く。口を何度か開閉したあと、梶はにへら、とだらしなく笑った。
「巳虎さん」
「なに」
「あの、ちゅーしませんか」
「んー、おう」
変なタイミングで梶が俺の方へ寄ってくる。服の袖を掴んできたので、ほんの少し頭を傾けてやると、梶の口がむにゅんと当たる感触があった。
女よりもかさついて、厚みも無い分弾力を楽しむなんて余韻も無い唇だ。貧相といえば貧相だが、どんだけキスしてもをベタついたり口紅が移ることのない梶の唇は、実はそれなりに気に入っている。
「お前のスイッチ分かんねー」
離れていく体にため息を一つくれてやる。パネルの表記は六〇階を超え、高層階特有の耳の奥が詰まるような感覚を覚えた。
「分かんないです?」
「まーお前分かるタイミングの方が少ねぇけど」
「そ、そうかな……」
梶が目を泳がせる。自覚がなかったらしい梶は、俺の服を掴んだまま「今のはナイスタイミングだと思ったけど」ともごもご独り言をいっていた。
「あの巳虎さん」泳いでいた目が俺の前で止まる。真剣な顔をすれば、梶はそれなりに様になる男だった。「僕、頑張ります」
突然の意思表示。
よく分からないが頑張るらしい。がんばる。頑張るって何をだ? あぁセックスか。そんな肩に力入れてするもんじゃねぇだろセックスって。
「あぁ、おう」
「頑張るんで、その、あの……!」
「あーはいはい。頑張るのな。分かったっつーの。期待しねぇで見てるわ」
梶の言葉を遮り、同じような高さにある頭をわしゃわしゃを撫でる。続くはずだった言葉はおそらく「よろしくお願いします」とかそんなんだろう。改まってヨロシクされるとこそばゆい気持ちになるので、俺は曖昧に話を流してしまった。
やる気が十分なのは結構だが、童貞だろうと処女だろうと、等しく初心者に出来ることなんてのは限られている。最初からエロい処女も居るには居るが、そんなのはレア人種で少数派なことは言うまでもないことだ。あーゆーのは爬虫類に時々いる、生まれつきハンドリングが平気な個体みたいなものである。優劣どうこうの話ではなく、単なる個体差だ。生まれついてのもので、本人の意思でどうにかなるものではない。
別に初体験なんてものは成功しても成功しなくてもどーでも良くて、重要なのは『初体験を済ませた』という事実だけだ。初を乗り越えたら、ひとまずハードルが一段階下がる。壁みたいにそびえていたハードルを回数をこなす度に低くしていって、いつか軽く跨げば越えられる高さにまでもっていけたら御の字だ。
付き合ってるヤツら同士のセックスというものはつまり、いかに素っ裸の非日常を服を着て過ごす日常に落とし込めるか、それだけだと思う。初夜は特別だとか思うから童貞は失敗する。話は逸れるが仮に梶が女と初体験をこなすことがあった場合、それこそ妙に力が入って大惨事になるだろう。惚れた男の情けない体たらくに失望する女が出るかもしれない。そんな可哀想な女を作らないためにも、俺は梶を引き取って正解だった。
エレベーターはなおも上へと登っていき、俺と梶は二人きりの空間を無言のまま過ごす。
いつの間にか梶が俺の服から手を離し、自分の裾を強く握りしめていた。この時そんな梶に気付けていたら後々が何か違ったかもしれないが、生憎俺はそこまで気が利くタイプでもなかったので、ただ静かになったな、と梶を見つめるだけだった。
※※※
ホテルは最上階の一つ下ということで、分かりやすくランクも一つ下だった。
不満があるわけではないが、『ここまでやったんならあと一歩がんばれよ』みたいな箇所がちらほら散見される。梶はいずれにも気が付かない様子で豪華ー! と声を上げていた。
「お前の家の方がデカいだろ」
「あそこはもう家なんで、今更豪華とかどうかの感動が無いんですよね……。でも見てくださいこれ! 風呂はうちより立派です!」
梶が興奮気味に言う。大きな窓が取り付けられた風呂からは東京の街が一望でき、そこはさすが高層階、といった感じだった。
が、浴槽自体はよくある据え置き型のバスタブだ。足を伸ばす広さはあっても横幅は標準的なサイズだし、ジャグジーが出る場所も一つしかない。いうほど立派かコレ。よく分からない。こんなんだったら家にあるじいちゃん自慢の檜風呂のほうが風情があって良いと思う。
「えと、お、お風呂溜めます? シャワーだけ?」
「別にどっちでも。お前、後ろ準備してあんの」
「いぅっ……! や、えと、まだです。これから……」
「準備って時間かかるんだろ。俺さきにシャワーするわ。お前はゆっくりやればいーよ」
「あ、はぁ……」
「手伝うことあんならするけど」
「ひっ……! や、てっ、手伝いは! いいです! 結構です!」
「あそ。じゃーお先」
お前あっちだろ、とイタズラ半分にトイレを指さす。カッと頬を赤くした梶が巳虎さん! と諌めるような声を上げたのでワハハと笑った。
シャワーを浴びている間は、アイツはいまどんな感じだろうとトイレの梶のことばかり考えていた。洗浄にはウォシュレットを使うのが一般的らしいので、おそらく梶もそうしているのだろう。細かい水の粒が皮膚に当たるたび、これで腹の中洗ってんだよなぁ、と妙に感服してしまう。それに真面目な顔で穴を広げ、梶が水流を受け入れている姿を想像すると、悔しいが少しエロいなとも思った。
あの普段素っ頓狂な振る舞いしか見せてこない素っ頓狂な野郎が、せっせとセックスの為に準備してるって状況がもうグッとくる。散々っぱら素っ頓狂だと茶化したところで、そんな奴に事実、俺は簡単にエロいと思えてしまうのだからぶっちゃけ俺も梶と五十歩百歩だった。
俺がシャワー上がるとほぼ同時刻にフラフラした梶がトイレから出てきて、「身体洗ってやろうか?」「じ、自分でやりますっ」と慌ててそのまま風呂場に引っ込んでいく。手持ち無沙汰になった俺はスマホをいじり、まだ出てこない梶を確認して、画面のプライベートモードを選択した。
途端に出てくるゲイセックスのハウツーページを目で追い、大まかに流れを確認する。セックスの経験はあるが、男同士となれば俺も初体験だ。聞かれてねぇから言ってねぇけど、それなりにこちらにも緊張はあった。
「しゃ、わー……ありがとうございました」
おずおずとバスローブを着て梶が出てくる。バスローブがここまで似合わない人間を初めて見たってくらい似合ってなくて、「お前バスローブ似合わなすぎじゃね」と反射的に突っ込むと、梶からも半ば跳ね返りのように「巳虎さんが似合いすぎなんですよっ!」と言葉が返ってきた。似合いすぎだろうか。普通だと思う。梶はバスローブの紐を居心地が悪そうに弄り、何度か紐を解いては結ぶ、を繰り返していた。
「結び目の感じでどうこうなる似合い方じゃねぇぞ、それ」
「辛辣すぎでしょ。そんなに変?」
「普通に笑える」
「笑わないでくださいよ」
「似合ってねぇよ。マジで違和感。着てねぇ方が良いんじゃねぇの? 脱いじゃえば?」
提案すると、ぴく、と梶の体が緊張したのが分かった。エレベーターの時のように目が泳ぎ、「それって……」と言いながら梶の目が伺うように俺の顔を覗き込む。
おう、そういうこと。
意味合いを込めて頷くと、諦めたのか梶が何度目かのバスローブの紐を解く。今度は結び直すことはせず、梶は前を留めないまま、そろそろと俺の方へ歩いてきた。
一歩梶が足を前に出す度、布が揺れ、前で重なっていたバスローブの生地が左右に離れていく。すぐに梶の前を隠す布は無くなって、みぞおちや腹、下腹部、その下にぶらさがる性器まで見えた。
最早全裸に羽織ものをしただけの梶が、ベッドによじ登ってくる。
「その着こなしは似合ってんじゃん」
「なんかそれ、親父臭いっすよ」
「うっせ……脱がせるの、手伝ってもいいか」
「……はい」
肩にかかったバスローブを手に取り、するするとマットレスに落としていく。骨ばった梶の肩が露見し、あまりに肉付きが悪いのでちゃんと食ってるのかと心配になった。
痩せぎすで、男の骨格をしている。そりゃ男だから当たり前だが、手を伸ばすとシャワーで温まった肌がしっとりと張り付いて心地よかった。
二の腕を掴み、少しはある筋肉に(なんだよ、鍛えてんじゃん)と思う。別に梶は立会人でも御屋形様の暴でもないし、非力だろうと関係ない話ではあるが、ただ裏社会に足を突っ込んだ以上、最低限己の命を己で守る努力はするべきだと思う。それは知性の面でもいえるし、身体の面でもいえる。助けてもらって当たり前って顔をしたヒョロヒョロの会員を見ると虫唾が走るのだ。お前、自分の暴が死んだらどうするつもりだよ、とじいちゃんには口が裂けても言えねえけどつい苛立ってしまう。
だからまぁ、梶の多少なり鍛えられてる体は俺の中でそれなりの高評価だった。本当に役に立つ筋肉かはこの際二の次だとして、そういう心意気は汲んでやっても良いと思う。あぁ?役に立たない筋肉を育てたって仕方ない?うるせぇな。暴でも無い奴が実用性の高い筋肉なんて知るわけないだろ。は?さっきから言ってることが甘い?当たり前だろ。俺はこいつと今からヤる男だぞ。
「あの、巳虎さん」
肋骨の凹凸を(ギロみてぇ)と上下に撫でていたら、おもむろに梶が声をかけてきた。
「おう」
「さっきも、話したんですけど……あの僕、初めてで」
「おう」
「ぜ、全然、至らない点も多いと思って」
「まぁそうだろうな。そういうもんだろ」
「だからあの……」
「あ?」
梶の手がシーツを掴む。ついに言うぞ、という覚悟の籠った目が俺を見た。
「い、痛いのは我慢するんで………ごめんなさい、見えるとこだけはちょっと、殴るの勘弁してもらえませんか」
貘さん達に見つかったら離されちゃう、と梶が続ける。
ガン、と横からこめかみをぶん殴られたような衝撃があった。
「…………………は?」
「いやあの、巳虎さんと付き合ってることを貘さんとか認めてないってわけでもないんですよ! 梶ちゃんが幸せなら応援するよって言ってくれてて! ただあの、やっぱり外から見た時と当事者の感覚ってズレがあるじゃないですか。僕自身は良いと思ってても、周りは色々憶測を立てて心配して、みたいな……」
「え、や、待て。おい。は? お前、は?」
何言ってんのコイツ。殴る。殴るっつったか。誰が。そりゃ俺か。
は、
は?
「ごめんなさい始まる前からこんなこと言われたら嫌な気分になりますよね! 僕も言うべきか悩んだんですけど、でもやっぱ後から言うよりは最初に言った方が納得してもらいやすいかと……」
固まってる俺を他所に、梶は堰を切ったようにばーばーと話を続ける。説明だか弁解だか分からない梶の言葉を聞き流しながら、俺はエレベーター内での会話を思い返し、そして今更、あの時梶が何を言いかけていたのかを悟った。
コイツ俺にセックス中の暴力を控えてほしいって頼もうとしてたのか。それを俺が途中で遮ったもんだから、素っ裸でベッドに上がった今改めて口にしたと。いや、なんだそれ。前提がまず意味が分かんねぇ。止める止めない以前全に、殴ってやろうなんて考えなかった。頭にも無かった。念のため身辺調査をしたのかもしれないと今までに抱いてきた女とのセックスを思い返しても見るが、いややはり、セックス中に誰かに手を挙げた覚えはない。クソみたいな奴に別れ際縋られた時など少しばかり体を押したことはあったかもしれないが、少なくともセックス中の暴力は無い。火の無いところに煙は立たずとは言うが、火元の痕跡がない。梶は何を考えて火種の特定をしたのだろう。
「待て」
とりあえず梶の手に自分の手を重ね、落ち着いて話をするよう諭してやる。梶は聞く耳を持たない。俺の手が重なっていたことにも気付かず、シーツを掴んでいた手をぶん、と大きく振りかぶった。
「あの一応、一応僕も頑張ってきたんですよ前準備。だから上手く行けば全部杞憂になるんですけど……」
「待てって」
身振り手振りのデカい梶を押さえつけてもう一度言う。梶はキョトンとして、俺の表情の何を勘違いしたのか「あ、えと、僕あの、巳虎さんが好きは好きです」と言った。違げぇよ。お前の好意を疑ってるわけじゃねえよ。いや若干疑いたくもなってるけど。あぁそうかよ好きは好きかよ。俺もお前が好きは好きだよ。なのに何でかセックス中殴ってくる奴だとお前に誤解されてんだよ。
「あぁあとその、殴るのもなんですけど、首を絞めるのとかも結構痕残ったりしちゃうんで今回は見逃して貰えませんかね。すいません僕そこらへん考えてなくて首元空いてる服を今日着てきちゃって……」
殴るだけじゃなくて首も絞めると思われてるのか。救いようがない奴だ。俺のことだが。
「なぁ! 待てっつってんだろうが!」
埒が明かないと大声を出した俺に、ようやく梶がびくん!と体を強張らせて動きを止めた。素っ裸の体を抱き寄せると、着たままになっていた俺のバスローブに梶がもすっと埋まる。素材の良い生地なので、梶がほぅ、と息をついたことが分かった。
「なぁお前なんの話をしてんの? は? 殴る? は? 俺がお前のことばかすか殴ると思ってんのかよ」
「殴らないんですか?」
「予定ねぇよ! 今正直ぶん殴りたくはなってるけどな!」
え、でも、と梶が狼狽える。頭を左右に振り、「だってそんな、巳虎さんなのに……」と信じられないといった口調で梶が続けた。だってもそってもねぇし、そもそも『だって巳虎さんなのに』は俺に対して失礼すぎる。
一体コイツの中で俺と付き合ってきた数か月はどんな存在として処理されてきたのか。幻覚か、俺が必死に猫を被ってきた仮初の日々として処理されてきたのか。前者でも後者でもマジで俺が報われない。あまりに可哀そうだ。俺が。
沸々と湧き上がってくる怒りを必死に押さえつけ、俺は梶をひっ捕まえたまま自分の口を開く。ここで怒鳴ったりしたら梶のイカれた思考回路に同調することになるため、努めて冷静を守った。
「俺、お前と付き合ってからお前に手ぇ上げたことあったか? 上げてねぇだろ。ふざけんなよ、何だと思ってんだ人を」
「や、そ、そりゃ普段は上げてないっすよ! 巳虎さん優しいです! いつもは!」
「いつも、“は”ぁ? じゃぁなんだよ、ヤる時は豹変するって言いてぇのか。普段が猫被ってるって?」
「そういうことじゃないけどぉ……」
梶の語尾が徐々に小さくなっていく。真っ白なバスローブに包まれて、梶は俺の腕の中で居心地が悪そうに身じろいでいた。
愚図りかけの赤ん坊みたいな姿だと思う。実際は赤ん坊よりはるかに性質が悪いというか、セックスの前に余計なことを言い出した面倒くさい成人男だが、俺の顔色をチラチラと窺いながら次の言葉を考えあぐねている梶には、惚れた弱味(この言葉なんか癪だな)で庇護欲を煽られた。
「その、男ってほら、興奮してる時はIQが下がるじゃないですか」
「おう」
「普段は温厚な人が、いざホテル行ってみたらデートDVに発展したり」
「まぁそういうのも聞くよな。で?」
「だからあの……興奮したら巳虎さんも、普段の家族向けな性格じゃなくて立会人やってる時の血管三本くらいぶち切れた人面獣心の狂犬に戻るのかと……」
「戻るってなんだ戻るって!」
努力も虚しく。早々に俺の語気は強くなり、至近距離に居る梶に思い切り大声を張り上げる。
前言撤回。やっぱりコイツムカつく。
優しくしてやれば調子に乗りやがって、人面獣心とか面と向かって相手に言っていい言葉じゃねえだろ。コイツには言っていいことと悪いことの区別も付かないのだろうか。いや付かないか。付くわけねぇか。付いていたら俺に一連の懇願をそもそもしてくるはずがない。
シャワーで温められていた梶の肩は、ギャースカ不毛なやり取りしていた時間のあいだにすっかり冷え切ってしまっていた。ほんのり桃色だった肌は血の気が引き、今は象牙色とでも表したら良いのか、梶本来の肌の色をしている。それはそれでそそるのだが、ここまでくると今なお梶の体にそそられている自分の頭がおめでたすぎて嫌になっていた。
我ながら感心するが、まだ俺の脳みそは梶を抱く方向で考えが一貫しているようだ。正直こんな面倒くさいやつはさっさと見切りをつけて部屋から追い出した方が建設的だが、どうにも体は、この冷えた身でも良いと梶を抱きしめたまま離そうとしない。
はぁぁ、と思わずで溜め息を吐き、俺はヤケクソで梶の口に齧りついた。目前に迫った梶の瞳が揺れ、2・3回右往左往したあとゆっくりと瞼が閉じられていく。なんでここまで来てキスには従順なんだよ。空いている手でバスローブの紐を解き、前を寛げて、俺に体を委ねていた梶を今度は素肌に引き寄せた。
肌と肌が密着する。梶の喉がんぐ、と奥で鳴った。
「……つまりはお前は、だ。この三ヶ月紳士で親切で思いやりに溢れてた俺のことを演技だと思ってたってことだな?」
唇を離し、間近にある梶をギロリと見下ろして確認をとる。梶はまたしても「んぐっ」と言葉を詰まらせていたが、素肌同士の触れ合いが名残惜しかったのだろう、俺から離れようとはしなかった。
「いや、演技とは思ってないですけど……紳士って感じでも無かったし……」
「うるせぇ喋んな。で、いざヤる場面になってちんこおっ勃てたら化けの皮が剥がれて暴力野郎になると」
「あ、ていうか僕の裸で勃ちますかね!? 普通に萎えたり、そもそもえっちする気なくなるかも……いや別にその、エロいことするだけが付き合うってことじゃないとは思うから僕はそれでも……!」
「喋んなっつってんだろ! てめぇに解決能力ねぇくせに新しい問題出してくるんじゃねぇ!」
怒鳴ると、梶は目を見開いて「喋るなってそんな!理不尽!」と嚙みついた。うるせぇな何が理不尽だ。今俺に向けられてる以上の理不尽があるかよ。
俺は梶の言い分など聞かなかったことにして、梶を抱いたまま自分ごと体をシーツに横たわらせた。今度はバスローブの布ではなく、ベッドの上に梶の体が埋まる。今更素っ裸が恥ずかしくなったのか、シーツの上で梶はもじもじとして、微妙に羽織ったままでいた俺のバスローブで体を隠そうとした。させるか。俺はバスローブを掴み、ばさりとベッドの足元にバスローブを落とす。あ、と梶は声を上げたが、意外にも落ちたバスローブを拾いに行く野暮は起こさなかった。
横たわった梶の体の体に手を置き、体のラインをすす、となぞってみる。随所に骨を感じる体は結局根本的な脂肪不足で、腹はうっすらと割れていたが、筋肉量が足りないため厚みが貧相だった。言葉を変えれば『脆弱』とさえ呼べるその体は、普段俺が砕いている暴の体躯には似ても似つかない。梶が言うように殴ったり締めたりすることは、もう梶がどうとかに関わらず『今から抱く体』としても躊躇われた。
「面倒くせぇが、けどまぁつまりだ。お前は自分の体に暴力の痕が残りさえしなければ良いんだろ?」
「うっ……まぁあの、はい。要はそうです」
「じゃぁその点は守ってやる。誓って殴打も首絞めもしない」
まるでこの言い方だと梶の要請が無かったら本当に俺が殴ったり首を絞めたがっていたようだ。ムカつく。繰り返すがそんなつもりはハナから無かった。ここまでコケにされておいそれと引き下がれるものか。
人の気持ちを踏みにじりやがって。あぁそうかいそっちがその気ならこっちにだって考えがある。
ようは俺とお前の仲が熱烈な分にはなんの問題もねぇんだろうが。
「お望み通り、二度と外野が邪推出来ねぇくらい大事にした痕跡残して帰してやるよ」
えっ、と梶が声を上げる。なにが「えっ」だバーカ。手始めに梶の首に舌を這わせ、ぢゅ、と強く吸う。象牙色の肌に真っ赤な鬱血が途端に浮き上がる。角度的に状態が見えていない梶が「痛くなかったですけど何したんですか?」と尋ね、マジでこんなお約束なことされても童貞って察しがつかねぇのな、と少し愉快な気持ちになった。
おう、そのまま訳分かんないままで居ろや。そんでそのまま帰れ。ホテルに帰って御屋形様に発狂されて、自分が良かれと思って起こした行動全部が間違っていたと後悔すれば良い。ざまぁねぇな馬鹿。今夜はこれからヨロシクな馬鹿。