1959

  
  
  
  
 プシュッと軽やかなストロングゼロ開封の音声が、梶隆臣には終末に鳴る予定らしいラッパのファンファーレに聞こえた。
 あー僕マジでやっちゃったんだ、と思わず天を仰ぐ。裏社会で蝶よ花よと育てられてきた頂点の末裔に、梶は今しがた底辺の代名詞みたいな酒を手渡した。
 一応弁明を聞いてもらいたいが、この状況は決して梶が望んだものでは無い。ストロング系チューハイは相手側からの要望だったし、むしろ梶は沼地に自ら足を浸けようとする相手を引き留め、「そんな美味いもんじゃないっすから! 別に飲まなくて済むんなら飲まなくていいんですよ!」と思い直すよう説得もした。梶の努力も虚しく、それでも相手が引かなかったのだ。
 頂点の末裔こと切間創一は、形の良い唇をツンと尖らせ「飲まなくて済むかどうかは僕が決める。味だって飲まなきゃ分からない」と断ずるや、唖然とする梶の目の前で「で、君が飲んでた酒はどれなの?」とコンビニの酒コーナーにて陳列棚を指差した。切間はひどく頑固な性格で、こうと決めたらなかなか意見を曲げようとはしない。結局酒コーナーの前から動こうとしない切間に押し負けて、梶は力なくストロングゼロダブルレモン味を指差したのだった。

 見慣れた商品が見慣れない男の手に渡り、見慣れた店員によって会計され、おつりはたまさか見慣れない新紙幣だった。熟知と未知を交互に繰り返しながら、梶は(人生って分かんないもんだな)とストロングゼロのパッケージをしげしげ眺めている切間を横目に思う。
 そう、人生って分からない。ストロングゼロを愛飲していた男が数年後に億単位の金を動かすようになったり、日本有数の尊い血筋の人間がストロング系チューハイを飲もうとしたり、ストロングゼロを愛飲していた男と日本有数の尊い血筋の人間が愛を交わし合うようになったりする。本当に人生は分からない。ヘテロだった梶は最近切間と初セックスも済ませていた。
  

 
   
 開封したストロングゼロに顔を近付けた切間は、酒精が鼻腔をくすぐった途端、眉をしかめて「これなんか臭いよ」と言った。
 
「メチルアルコールのようなにおいがする。体に入れて良いものなの?」
「体に入れるものではありますけど、体に入れて良いものではないっすね」
「そんな身を滅ぼすような食生活をしていたのかい、隆臣」
「違いますよ。ストゼロを飲んで身が滅ぶんじゃなくて、そもそも身が滅びかけてるやつがストゼロを選ぶんです。ニワトリが先です」
「ふむ、つまりこれは退廃の味なんだね」
「そっすね、資本主義社会の敗北者の味です」
「君さっきから自虐が過ぎない?」

 切間が何とも言えない顔をする。切間としては恋人の新たな一面を探りたかっただけで、梶の過去を馬鹿にしようなどという意図はなかった。生まれた環境の差はありとあらゆるところで悲劇を生んでしまうという具体例がこんなところで生み出されるとは思ってもみなかったらしい。

「別に以前の隆臣を笑いたくて飲むわけじゃないよ。君を知りたい、単純な好奇心だ。それってダメなこと?」
「ダメじゃないっすよ。ダメじゃないけど、なんか、切間一族にストロングゼロを教えた男っていう肩書きが今後生涯付いて回るのかと思ったら、なんか怖いじゃないですか」
「そう?」
「時代が時代なら不敬罪で首が飛びそう」

 正確には今だって事情を知られたら身が危ういかもしれない。切間が御屋形様の座を退いてから数か月が経過したが、依然として切間を慕う人間は多く、特に古参と呼ばれる立会人は切間に対して敬いの態度を貫いていた。社会不適合者の代名詞ともいえる代物を味わわせたとあっては、なんたる狼藉、と切り捨てられても不思議ではない。
 ───まぁ、そんな凄い人をうっかり手に入れちゃった僕が悪いんだけどさぁ。
 自虐と自慢の間のようなことを梶は思う。ちょっと自惚れすぎかな、とすぐさま反省する梶の隣で、唇をむにゅっと尖らせた切間は、いつものように梶の心情などお構いなしで「何言ってるんだ隆臣」と恋人を訂正した。

「それを言うなら、時代が時代なら君は僕の寵姫として今ごろ上げ膳据え膳でしょ。何を怖がることがあるの。時代が時代なら、隆臣の首は何をしたって飛ぶわけがない。むしろ、傷一つ付かないように絹の襟で包まれてたんじゃないかな」

 切間にさらさらと言葉を紡がれ、今度は梶がなんとも言えない表情になる。言われてみればそりゃぁそうなのだが、寵姫だの絹の襟だの、出てくる単語がいちいち華美でくらくらした。
 ストロング系チューハイで酔った時のような、脳みそにずぅんと響く酩酊感を切間の語彙から梶は感じる。ちょっとだけ悪趣味だと感じる梶の横で、いよいよストゼロを口に含んだ切間が「これって本当に飲んでいいもの?」と改めて梶に聞いていた。