Side K
なんやかんやあって梶は南方恭次とデートすることになった。なんやかんやと言っておけば、多分ここまで右往曲折あったのだろうと読み手が勝手に慮ってくれるので小説は本当に便利である。
梶は頭を掻きむしり、うーんうーんと唸り声をあげて斑目貘の執務室をぐるぐると歩き回った。
どういう運命のイタズラかは分からないけれど、なんと南方さんの方から「二人で出かけませんか」と打診を頂いた。二人きりでの外出なんて、これは流石にデートと言い換えても差支えはないだろう。
今すぐにでもぴょんぴょんその場で飛び跳ねたい気持ちを抑え、はたと梶は我に返る。デートとはあくまでその後の関係にステップアップする為の手段であり、デートが出来た=ゴールではない。ここで上手くやらなければ全ては水の泡どころか塵と消えてしまうわけで、では約束を取り付けたまでは良いものの、一体自分は南方さんとどこに行って、何をすれば良いんだろう?
梶は頭を捻り、そのまま両手で頭を覆った。
少なからず自分にだって友達は居るので、男友達と遊びに行く場所や盛り上がるイベントくらいは検討がつく。いずれ役に立つかもと、世の中のデート特集と書かれた記事も今までに何度か勉強してきているので、女の子ウケが良い店や、最近流行ってるらしいプレゼントの情報だって知識としては手元のカードにあった。
ただ、だ。今回のデート相手が年上男性の場合、梶には『男友達』と『女の子にウケがいい店』のどちらに重きを置いた方がいいのかまったく分からなかった。男友達だろうか?
自分は友達とゲーセンでいくらでも時間を潰せるタイプだが、南方さんと、ゲームセンター。
「……いやぁ無理があるってそれは」
一人でツッコミを入れ、梶はまた頭を抱えた。
南方は気遣いが上手い人物なため、どれだけアウェイな環境に置かれたとしても恐らく楽しんでいる素振りは見せてくれる。その上で梶もはしゃけば、表面的には盛り上がっているようにも見えるだろう。
一時的に場を取り繕うだけならそれでも良い。が、デートとは『その後』が重要視されるイベントだ。あくまで物事の取っ掛りとしてデートは存在しているわけで、だとすると表面的な盛り上がりから実際にいい雰囲気まで持っていく技量が試されることになる。
残念ながら梶には、自分にそんなスキルがあるとはどうしても思えなかった。
大体男友達とのゲーセンといえば、対戦ゲームで白熱したバトルを繰り広げたり、UFOキャッチャーで取っても困るような大型ぬいぐるみを狙い、いざ取れたらぬいぐるみの処遇を巡って「お前どうせ彼女居なくて寂しいだろ」と責任を押し付け合うのが常である。美少女フィギュアが景品であれば下から展示物を覗き込むし、更にフィギュアがセクシーな造詣をしていた暁には胸の形がどうこうと真面目に議論して知見を深めたりもする。総括すると全体的に遊び方がお馬鹿さんだ。大人の代表格のような落ち着いていて何時もピシッとしている南方が、そんな時間の使い方を喜ぶわけがないではないか。
───ていうか南方さんって、そもそもゲーセン嫌いかも。
普段梶は南方立会人、あるいは単なる南方恭次として彼と接しているが、南方の表の顔は警視庁警視正であり、そんな弩級のエリートはゲーセンなんて低俗な場所に嫌悪感を抱いているかもしれない。
いや、仮に嫌っていなくとも、曲がりなりにも警視正だってお巡りさんだ。日々市民の安全を守る彼らにとってゲーセンとは非行少年の溜まり場で、南方にとっても仕事を思い出す複雑な場所である可能性があった。
デートのために入場したのに、いざ施設に足を踏み入れたら警官の顔に切り替わった南方が未成年を補導し始めたら目も当てられない。とはいえ明らかに問題を抱えていそうな青少年たちが目の前にいるにも関わらず、「いや、今日はオフだし、そもそも補導とか警視正がやる仕事じゃないんで」と南方が冷ややかな目で突き放したりしたら、それはそれで幻滅というか、過去の自分を思い起こして梶はしょっぱい気持ちになるだろう。
どう転んでも上手く行くわけがなかった。梶はゲーセンをリストからそっと外してため息をついた。
うーんうーんと尚も唸りながら執務室をぐるぐるしていると、いい加減困ってしまったらしい、この部屋の主である斑目貘が「ねーぇ? 梶ちゃーん?」と軽く指で机を叩いてみせた。
「ちょぉーっと悩んでる時間長すぎるんじゃない? 色々思い悩んじゃうのも分かるけど、全部は結果論ていうか、この場では答えが出ないことじゃん。梶ちゃんの力になってあげたいのはやまやまだけどさぁ、俺も南方さんって、ちょっと人的にまだまだ分かんないんだよね」
「うぅっ、そんなこと言わないでくださいよ貘さぁん」
情けない声を上げ、梶は縋るように斑目に抱きついた。
「僕、南方さんくらいの年齢の知り合いってそんなに多くないんですよ」と零した泣き言には「まぁ俺もまだそんな歳じゃないけどね?」としっかり否定を挟みつつ、斑目は梶の体を引き剥がすこともせず、ぽんぽん、と宥めるように肩を叩いてやる。
「唯一話せる門倉さんは南方さんの相談に乗ってそうですもん。筒抜けになったら恥ずかしいし、その点貘さんは、ちゃんと話聞いてくれるし黙っててくれるから……」
「まぁ俺は梶ちゃんが可愛いからね。そこは信じてもらって大丈夫だけど」
斑目が目を細める。右腕贔屓を隠そうともしない白い御屋形様は、長い足を組み替えて「ただ、」と梶に向き直った。
「分かってると思うけど、俺は南方さんじゃないし、立ち位置もだいぶ梶ちゃん寄りだからさ。俺のアドバイスは役に立たないどころか、下手したら梶ちゃん自身の首を絞めちゃうかもよ?」
「それでも良いんです!」
梶が弾かれたように言う。
「僕はそもそもっ……その、け、経験とか……とにかくデートとか恋愛が何かって根本も分かってないわけで。ぼんやりとでも実態を掴みたいんですよ。だ、大体一回りも年上の男の人とどこに行ったら良いんですか!? 映画!? 買い物!? マルコに付き合ってるうちにハマったから本当は動物園とか一緒に行ってもらいたいんですけど、動物園に行きたいって言ったら子供っぽいですかね!? 南方さんが引率の先生みたいになるビジョンしか見えないんですが!?」
「あーそれは……うんまぁ、動物園よりは水族館の方が良いんじゃないかな。デートっぽいし」
斑目は曖昧な表情で手を振った。
斑目の聞く姿勢は一貫して丁寧だったが、どっちつかずな台詞には梶の初デートを成功させてやろうという親心が見える反面、二人の恋路を本当に応援して良いのだろうかという葛藤もうっすらと滲んでいるように見えた。
年齢や価値観の違いなど、梶の身を思えばこそ、無責任に背中を押すだけが愛情ではないのだろう。
話しを聞いてもらうだけ気持ちは軽くなるだろうと斑目は傾聴を続けていたが、実際斑目側にも明確なデートプランがあるわけではないし、二人の会話は進退もないまま平行線を進んでいた。
「とりあえずさ、まずは夜を一緒に食べるくらいで良いんじゃないかな。せっかくの初デートだし、長く一緒にいたい気持ちは分かるけどね。でも最初から丸一日一緒って緊張しない? ステップを踏むって大事だと思うよ」
言葉を選んでの発言だったが、暗に『がっつき過ぎ』だと伝えてくる斑目に、梶はカァッと顔を熱くした。
その通りだ。何故か当たり前のように朝から晩まで一緒にいるつもりで考えていたが、自分のような若い奴はともかく、南方のように余裕のある大人な男性ともなれば、初デートは夜の数時間をゆったりと過ごすくらいから始めそうじゃないか。
考えてもみなかった方向から指摘が入り、梶は口元を手で覆い、恥ずかしさでギュッと目を強く瞑った。
ただでさえ人より恋愛の始まりが遅いというのに、どうして自分はこんなに要領が悪いのだろう。
梶は蚊の鳴くような声で「お世話かけしました」と斑目に詫び、引き留める声を無視する形で執務室をあとにした。
こんな姿を南方が見たら、これだからガキは、と彼は梶に愛想を尽かすんだろうか。切れ長の涼しい目元が面倒臭そうに細められ、薄く形の良い口元から嘲笑が漏れ出す姿を想像して、梶は穴を掘って入りたい気分になった。
斑目と出会って多少なり自信がついたところもあるが、基本的に梶は自分の評価が低く、いまだに自分のことを馬鹿や無能だと罵って自虐に浸りたくなる時がある。
南方はそんな自分と違って常に優等生気質で頼りになるし、同郷の門倉のような派手さはないにせよ、背中を任せたくなるような、人に安心感を植え付けられることに秀でた人物だった。
自分とは人間の出来がまるで違う。真面目で着実で、安心できて思い切り甘えたくなるような人物というのが梶の中にある南方評だ。
そんな全く隙のない人だからこそ、向き合うと妙にお腹の辺りがそわそわしたし、劣等感を刺激されるとは少し違うが、デートにあちらから出かけようと誘われても、心のどこかには『本当に僕でいいんですか?』の疑問が浮いたままでいた。
もう少し人間的に抜けてるところがあったら安心出来るのに、と思うのは流石に自分勝手かもしれないが、少しでもいいから南方が慌てたり、デートの準備に緊張してくれていたら良いなぁと梶は密かに願っている。
「とりあえず夜ご飯っていってもさぁ……正直いい感じの店とか、全然知らないし。土瓶蒸しとか〆に鯛飯とか出てくるような? そういう店がさぁ、南方さんには似合って格好いいのにさぁ……」
溜め息を吐いて梶が下を向く。行ってみたい店も連れて行ってほしい店も山ほどあるのに、全ては他力本願で、大体そんな格式高い店に南方が自分を連れて行きたいと思うかなど、考えれば考えるほど答えの出ない問に梶は肩を落としていった。