「あーあーテステス。あーあー。カリ梅カリ梅」
聞いたことのない語彙でマイクチェックが行われる。周囲では雑用係を押し付けられた黒服達が休日返上でモップ掛けをしており、平素ブラックスーツな上司共がスポーツウェアで突っ立っている様を物珍しそうに眺めていた。
日曜日。午前八時の市民体育館。
いささか健全過ぎる舞台に集められた一〇一人の精鋭は、お屋形様こと斑目貘が開会式を始める瞬間をまだかまだかオイとっとと済ませてくれよかったりぃな、という面持ちで待っている。ある人は勝負明けだし、またある人は二日酔いを押してこの場に参上していた。それぞれに欠伸と苛立ちを噛み殺し、立会時の神妙さなど見る影も無い体たらくである。
「あー、はい、あーマイクオッケー! ん、全員注目! えー今日は御日柄も良く、今年も皆さんとこの体育館に集まれたことを先生とても嬉しく思っています!」
ようやく始まったかと思えば今度は茶番が幕を開ける。会場中がげんなりとするなか、號数順に並べられた二列目の先頭で、賭郎弐號立会人門倉雄大も他に漏れず(もうそんなんええからはよ始めて終わらせんかい)と壇上の斑目を見上げた。
表の仕事が繁忙期を迎えており、門倉は昨日も午前帰りであった。自身も多くの仕事を抱えているにも関わらず、予定があるらしい門倉を慮って「あとは俺たちに任せてください」と事務処理を引き取ってくれた部下たちの顔が門倉の脳裏に浮かぶ。心ある部下たちによってもたらされた貴重な休日が、こんな心無いクソイベントに消費されていることが腹立たしくてならなかった。
倶楽部賭郎主催、立会人親睦球技大会。
毎年秋に開催される当大会は、倶楽部賭郎同様に歴史が深く、同様に厳粛で、かつ同様に人の話を全く聞かないハタ迷惑なイベントだった。
催しの内容は読んで字のごとくである。球技を通して親睦を深めましょう、といった趣旨のものだ。
従事者同士の交流を目的としてイベントを企画する組織は表社会にも多く存在するし、その中でも球技大会というのは社員旅行やBBQと並んでポピュラーな選択肢だ。立会人の面々だって別に球技大会の存在自体をとやかく言うつもりは無いが、参加者が立会人で、かつ主催が倶楽部賭郎であることはいただけない。「それって結局全否定では?」と各方面から声が飛んできそうだが、野暮なことをいうものではない。そんなのハナから本心は全否定したいに決まっているではないか。
(何で毎年こんなくだらんイベントに参加せにゃならんのじゃ)
門倉が内心でこの悪態をつくのも、今年でいったい何年連続になることだろう。
毎年根気よく古参たちがイベント廃止を訴えているにもかかわらず、歴代のお屋形様たちは「ぐはぁ! 手厳しいな! だがこういった娯楽も人生には必要だ」「別にあって困るものでも無いでしょ」「えーそんなに嫌なのぉ? じゃぁ今年もはりきって開催しよっ」などとおっしゃって全く聞く耳を持とうとはしなかった。一応名目上は立会人の為の催し物であるはずなのに、その実態は御屋形様など観覧者を楽しませるための、立会人の無駄に完璧なポテンシャルを利用したお遊戯会に過ぎない。
そりゃあ御屋形様方は良いだろう。高みの見物を決め込んで、ワイワイ騒いでるだけなのだから気楽なものだ。
だが当事者達はたまったものではない。くだらない上にどっと気疲ればかりするイベントをどうやって楽しめというのか。
そもそも立会人は、各々が個人事業主のような立ち位置であり、立会人同士が常から手と手を取り合い仲良しこよしでいる道理はない。凡夫の皆々様は「でもいざってときに連携取らなきゃいけないし交流はあるに越したことはないのでは?」と考えるかもしれないが、既にその感覚が完璧の傍らたる一〇一人に言わせてみれば五㎞くらいズレているのだ。何故なら立会人と言う生き物は揃いも揃って優秀かつ合理主義者である。最善手と判断すれば、相手と日頃どのような関係であっても連携を取ることに躊躇など無い。
組織内で安定的な評価を受けている弥鱈悠助&能輪巳虎のコンビが三秒周りが目を離すと勝手に殴り合いの喧嘩を始め、各SNSは互いのアカウントを全てブロックし合っている仲といえば理解は得られるだろうか。短所を補い合うことがチームの強みで利点だというなら、完璧を基礎とする立会人に対してはチームの存在意義自体が問われ、ゆえに親睦を深める必要性も立ち消え、したがって親睦球技大会など無理して開催しなくても良いのだ。だって必要無いのだから。そう、必要が無い。無いのだ。分かってるのかそこんとこ倶楽部賭郎オイ。
大体にして、だ。
立会人という生き物は基本的に人間のクセが強いし面倒臭いし我が強いし面倒臭いし気が短いし面倒臭いし面倒臭いので、あまり立会人同士では気が合わないというか、何かと衝突してしまうきらいがある。各立会人は他の立会人の私用携帯の番号を平均三人くらいしか知らないし、ラインもインスタも「登録してますか?」と聞くときは大体そのアカウントを先制ブロックしておきたいからだった。
ただ、それでも国家を巻き込む大舞台では、彼らは見事な連携と立ち回りをもって場を円滑に回してくれる。現実問題、倶楽部賭朗の立会人同士は前提としてうっすら全員仲が悪い。だが現状大きな問題は抱えていないのだ。だったらもうそれで良いではないか。
もう一度言うが、立会人というのは企業の社員というよりはそれぞれが個人事業主という立ち位置に近い。いうなれば彼らは一人一人が一国の王だ。規律と制裁で縛って彼らをコントロールすればそれはそれは絶大な力となるだろうが、単純に王の周辺に王を配置したら自然とこの世は乱世に突入していくのである。ちゃんと世界史を勉強してくれと門倉含め立会人の面々は思う。歴史を繰り返すな。こんな失敗は有史以降三〇年くらいで既に確認されているものなはずだ。
「え、なんかさぁ、みんな顔色っていうか顔つき悪くない? 普通そんな不機嫌を上司の前で垂れ流すもん?」
よほど壇上から見える風景が殺伐としていたのだろう、斑目は困惑したように眼下の立会人達に話しかけ、その声掛けに誰も反応をしないので「いや悪かったよ変なコントして」と思わず謝罪を口にする。やはり誰もフォローなどはしなかったが、斑目の隣に居た切間創一だけが「貘さんさっき滑ってたよ」としなくてもいい追加攻撃をしていた。
(かったるい。本当に、なんもかんもかったるいわ)
門倉は壇上を見つめたままそんなことを思う。
私服は多少色の付いたものを着る門倉だが、どうにも賭郎関連で黒以外を着る気にはならず、今年の参加着も黒のウェアで全身が統一されていた。無地のTシャツにハーフパンツ、普段のジムにも活用しているコンプレッションインナーやスポーツレギンスを組み合わせた本日の門倉は、特筆するようなファッション性もないが、体格の良さも相まって簡素さが逆に洗練された男を演出している。
「おっ門倉さん今日もバシッと決まってんねー! じゃあ開催宣言に際しましての注意事項だけど、門倉さんにお願いしようかな。弐號門倉立会人! 第一項を読み上げてください!」
そしてその無駄に洗練された雰囲気が、よりにもよって斑目の目に留まってしまった。
名指しをされた門倉は目を見開く。何を隠そう、門倉は去年も注意事項を読み上げる係だった。まぁ去年に関しては『前回第一項を踏み倒した立会人筆頭』として槍玉に挙げられただけなので反論の余地もないが、今回は単なる思い付きによる名指しである。まさかの二年連続。何でワシなんじゃ、と奥歯を噛みしめたくなる思いだったが、「早くしろ」という諸御大方の視線も厳しく、仕方なしに門倉は朗々とした声で事前に配布されてい球技大会のしおり一枚目を読み上げた。
「“競技内での立会人同士による私闘及びそれに準する一切の暴力行為を禁ずる”」
「はい、ありがとうございます。もうね、注意事項の一行目とかフォントサイズ72ptです。分かりますか、72pt。ワードのデフォルトフォントサイズの一番下の番号です。最大値です。あんまり使うこと無いよコレ?」
斑目の舐るような目が立会人一人ずつに向けられる。
ワードで文字を書く人間以外イマイチピンとこない表現をするものではないが、ともかくフォントサイズ72とは由々しきサイズ感だった。一応参考画像を【こちら】に用意しておいたが、わざわざ画面を変えて確認するのもかったるいという方は【とんでもねぇデカさ】と読み替えていただければ特に問題がないためソレそのようにしていただれば幸いである。話が逸れた。
斑目は今日も真っ白なファッションに身を包み、モデルと見まごうばかりの頭身をアディダスのオシャレジャージでスポーツナイズドに整えていた。お前参加せんやんけ、という突っ込みがどこからか聞こえてきそうだが、実際に音としてそれが聞こえることはない。なんと言っても斑目貘は現倶楽部賭郎の御屋形様なのだ。お屋形様の言うことはどんな妄言だろうと絶対だった。
「皆さんは注意事項にフォントサイズ72ptが使われていることを本当に恥だと自覚してした上で競技に参加してください。分かってるよね? 例年参加してる人は知ってると思うけど、この親睦球技大会の別名は『立会人、仲良くなるまで球技大会終われま10』だから。皆さんが仲良くなるまで毎年絶対この球技大会開くから。執拗に開き続けるから。いい加減そっちだって協力してほしい。────てかさぁ、これってそんなに難しいこと言ってる? 別に全員が全員親友になれって言ってんじゃないの。顔を見たらとりあえず貶し合うのはどうなのって、そんな当たり前の疑問を俺たち外野は投げかけてるだけ。幼稚園児だって出来てることだよ。逆にこの程度が出来ないって、君らさ、完璧の代償に何を失ってきた人生なの?」
一息で煽るだけ煽りきって斑目がため息を吐く。門倉は今度こそ苦虫を胃の中で溶かしきり、(ならおどれは勝負強さの代償に何を失ってきた? 思いやりか?)と思った。
会場内は嫌な意味で熱気を孕み始めていた。各所で闘争心が芽吹き、『なんでそこまで言われなきゃならないんだ』という怒りがスポーツマンシップを隠れ蓑に『正々堂々競技内で八つ当たりしてやる』という結論に帰結する。
本来なら自分達をコケにした斑目に怒りの矛先を向けるのが自然ではあるが、あいにく立会人が御屋形様に牙を剥くのはご法度だ。ならば同業者に湧き上がった黒い感情は全てぶつけるしかなく、あれ? これ前提条件的にやっぱり親睦とか無理じゃない? という感じであった。
午前八時の市民体育館には早朝の爽やかな空気が流れている。
その中にあって一つだけドス黒い丑三つ時の空気感を漂わせるメインアリーナに、こうして、元凶にして早々に戦線離脱する斑目の無責任な声は高々と響き渡るのだった。
「それでは第五〇回! 倶楽部賭郎主催、立会人親睦球技大会を開催いたしまーす!」
もう五〇年も親睦が深まってねぇなら諦めろよ、というのは勿論立会人の総意である。