能輪巳虎と付き合っていると梶が伝えれば、たいていの人間からは「良く付き合えるねあの人と」という反応が返ってくる。興味本位に馴れ初めを聞かれるならまだ良い方で、ほとんどの場合は困惑のあとに「弱みでも握られてるの?」「何が目的?」「お祖父さんの専属だからって品定めされてるんだよ。人となりが分かったらポイ、だよ」という失礼極まりない台詞が続いた。
梶はそのたび噛みつきたくなる気持をグッと堪え、「良い人ですよ」と当たり障りのない言葉で巳虎をフォローする。不思議なもので、相手は梶が反論すると、表情こそ釈然としないながらも「まぁ顔は良いもんね」「金は持ってるしね」「強いは強いよね確かに」と様々な理由で梶に同意するのだ。“良く付き合えるね”と言うわりに、第三者が口にする巳虎の長所はバリエーション豊かである。(それだけ長所がポンポン出てくる人なら僕が付き合っても変じゃないでしょ)と梶は思うのだが、顔が良くても金を持っていても強いは強くても、交際しているというと「良く付き合えるねあの人と」になるのが能輪巳虎だった。
梶はそんな巳虎と付き合い始めてこの秋で一年になる。
幸福だけとは流石に言えないが、思い出を平らに伸ばしてみると『この人を好きになって良かった』が結論になる日々だ。
「はぁ~? なんっ、で! 一年記念日の飯が湯豆腐なんだよ! お前あのとき店連れてったらキレてたじゃねえか!」
梶にペットボトルを手渡した直後、巳虎はそう叫んで盛大に眉を顰めた。
彼の言う“あのとき”とは、おそらく冬の京都旅行のことである。晩冬の二月、寒さの厳しい京都で巳虎は梶を馴染みの料亭へと連れて行った。そこは湯豆腐が有名な店で、更には自分で温めた豆乳から1枚ずつ引き上げて作る『汲み上げ湯葉』が名物だった。自分で作るひと手間が梶にはきっと新鮮だろうと、それなりに梶を喜ばせるつもりで巳虎は店を手配したのだ。
だというのに、梶ときたら値段を知るやいなや「豆腐に二万!? え!? 豆腐ですよ!?」とドン引きして、やれスーパーの豆腐は一丁五八円だの、やれどうせ値段が張るなら胡麻豆腐か卵豆腐みたいな味がついてる奴が良かっただの、好き勝手のたまってきた。ただでさえ短い巳虎の導火線は梶のこのような反応に速攻で燃え尽き、彼は青筋を浮かべてギャーこら文句を言う梶に「てめぇ二度と豆腐食わせねぇからな!」と怒鳴り散らしたわけだ。
結果としてその後の京都旅行はそりゃぁもう散々なものとなり、二人は大喧嘩のすえ縁切りで有名な金毘羅神社に赴き、仲良く肩を並べて隣の恋人と縁が切れるよう祈願した。
霊験あらたかな金毘羅神社は悪縁を断ち切り良縁を結ぶ。
当時結構真剣に参拝した二人だったが、今のところ両者の縁は切れることなくしぶとく繋がり続けている。運命の赤い糸とまではいかなくとも、金毘羅基準でいっても二人の仲は悪縁と呼ばれるほど粗悪なものではないらしかった。
「お前が『畑の肉に二万出すなら牛の肉に二万出してほしかった』っつったの忘れてねぇぞ俺は! ていうかそもそも一年記念で豆腐! 豆腐って! 馬鹿かよお前! 絹豆腐にろうそく刺せってか!?」
梶にパンツを投げつけて巳虎は相変わらず不機嫌を隠さずに言う。行為後はさっさとシャワーを浴びて着替えも済ませてしまう巳虎なので、梶がベッド上で裸体を晒したままな一方、既に巳虎はガウンも脱いで上下部屋着姿だった。
「え、なんでろうそく刺すんですか? 僕の誕生日11月ですよ?」
「ばーーーか!」
とんちきちーな梶に巳虎も思わず幼稚な罵倒を返す。何でそうなるんだよ! と晒されたままの桃尻をひっぱたき、「いったぁ!」と大袈裟に喚いた梶を巳虎はシーツで包むと力任せに抱き締めた。
「メッセージプレートくらい付けるだろ記念日なら!」
シーツを挟んだ向かい側、顔は見えないが巳虎が口を尖らせているだろうことは梶にも分かる。
仲睦まじい両親を間近で見て育ったからか、巳虎は意外にもイベントに細かい人間だった。しかもただ行事をこなすだけでなく、いわゆる『お約束』もしっかりこなしてくれるタイプである。
11月5日の誕生日こそ付き合って間もなかったこともあり控えめに済んでいったが、梶はその後のクリスマスや正月、バレンタインなどのイベント事を、それこそ今思い出しても顔が熱くなるほどにベタベタにデロデロでキザッキザなサプライズをもって祝われた。アンタ普段あんな態度なのにどの面下げてこんなプレゼント用意したんですか!? と驚愕するほどの甘ったるいプレゼントもこれまでに数々いただいた。梶からすれば日常とイベントのギャップには困惑しか抱かないが、巳虎からすれば『そのツラ拝むための普段だろうが』らしい。そんな訳はない。巳虎の傍若無人はナチュラルボーンの標準装備であり、時折イベントの際に磁気の関係か何か知らないが彼の感性がバグるだけだった。
梶はシーツ越しに手探りで巳虎の指を探し、それらしき感触を見つけるときゅ、と掌全体で一本掴む。多分中指である。左右の指がわきわきと梶の手をなぞり、「なんだよ」と他の指も梶に絡みたそうにしていた。
日常の延長にある今日なので巳虎の態度も素っ気ないものだが、梶は慣れた調子で「べつにぃ」と言う。
「ただ巳虎さん、メッセージプレート付けてくれるつもりだったんだなって」
「そりゃ付けるだろ。フツー」
巳虎は当然といった口調で返す。梶はシーツに頬を当て、視界の外にいる巳虎にも分かるように緩く頭を振った。
「普通って、分かんない。僕あなたが始めてですもん」
梶と巳虎はそれほど年齢差があるわけではないが、経歴には明らかな違いがあり、また恋愛経験も雲泥の差だ。
巳虎が当たり前のようにこなすカップルイベントは、梶にとってどれもピンとこない。これだけキチンとこなしてくれるのだから愛されているのだろうとは思うが、もしかしたら巳虎に限らず、世のカップルというのはありとあらゆるイベントをタスクとして粛々とこなすものなのかもしれなかった。
例えばメッセージプレートだって、梶にとってはとんでもなく大盤振る舞いな愛情表現なのだ。けれど巳虎は常識の一環として存在を仄めかす。この程度のことは巳虎にとってサプライズにもなり得ないという。
この一年を通して、梶にとって巳虎はすごく近く、一方でずっとずっと遠い存在になった。何もかも自分とは違うだろうと覚悟した上で付き合い始めて、案の定同じところが無いと思い知ったらもう次には一年記念日だ。
「あのね、湯豆腐っていうのはね、このまえ美年さんに美味しいお豆腐屋さんを教えてもらったんですよ。いつか食べにいくと良いって言われたから、じゃぁ今度の記念日に巳虎さんと行こうかなって」
「そりゃじいちゃんの紹介する店に外れはねぇけど、だからってわざわざ記念日に行く必要あるかよ。じいちゃんもまさか記念日にその店使われるとは思ってねぇぞ」
「いやでも、美年さんゆかりのお店だし。巳虎さん嬉しいかなって」
「何でもじいちゃん出しときゃ俺が喜ぶと思うなよ」
「違うんですか?」
「ばーーーか」
先程より柔らかい、けれどまだ棘のある声で梶は巳虎に怒られる。だめかぁ、とシーツ越しならバレないだろうとクツクツ笑った梶は、勿論巳虎に様子など筒抜けなので、「お前ほんっと、生意気になった。全然可愛くねぇ」と握っていた指を乱暴に振りほどかれてしまった。
一年前なら、この動作だけで終日梶は気落ちして巳虎の表情をオドオドと盗み見ていた。巳虎のご機嫌取りに躍起になって、時に自分を蔑ろにしたり、自身の感情を犠牲にすることもあったかもしれない。
たった一年で自分はどうしてこんなに図太くなったのだろう? 梶は自分のことながら少々不思議に思う。
巳虎になら生意気な態度をとって良いと無意識下で判断したのだろうか。どうして? 年が近いから? 巳虎の性格が悪いから? 自分も性格が悪くなって良いと思った? まさか。悪意ある人間に虐げられてきた経験なんて梶には数え切れないほどある。そのいずれでも梶は悪意に好意で返し、傷付けられても従順を貫いてきた。生意気になれたのは、自分が自分のまま存在しても許されることを知ったからだ。
梶は跳ねのけられても一切めげず、離れていったばかりの手を再び捕え、今度は全ての指を絡めて握り直した。シーツ越しの巳虎が息を呑む音が聞こえ、観念したように彼の手にも力が込められる。きつく結ばれた手は縁の具現化のようであり、これだけ強固なら仮に悪縁でも断ち切れないように思えた。
「じゃぁお店は巳虎さんが決めてくれて良いですよ。その代わり僕に、記念日のプレゼントは決めさせてほしい」
「……なんで貰う前提なんだよ」
「くれないんですか?」
「やるよ。やるけどさ。お前はそういうの、『えー何かくれるんですかー!?』って驚くキャラだろ」
「えーだって。誕生日でしょ、クリスマスでしょ、お正月にバレンタインに、あとこの前は半年記念。毎度何か貰ってるんだから、流石にヤマは張れるっていうか」
「ヤマとか言うな。俺の好意は期末テストか」
「今回の範囲は、どこかな。百本の薔薇の花束からペアリングかな」
「狭いんだよ範囲が。舐めんな。ヤマ張るならエンゲージリングまで網羅しとけよ」
「え……や、それはちょっと。範囲広すぎっていうかそんな範囲出されても困るっていうか」
「この野郎。振るなよ」
「だってまだ、付き合って一年だし。学校でいったら一年生ですよ? その範囲はもう少し後でしょ」
「三年生の範囲ってか?」
「うーん、まぁ?」
「うち飛び級制度あっから。そこんとこヨロシク」
「ひゃー」
シーツ越しに梶が声をあげる。色気のねぇ声、と巳虎の嘲笑が聞こえ、「で、ペアリングの予算上限は?」と早速巳虎らしい質問が口をついていた。