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斑目貘失恋ウェブアンソロ おまけ
【タカオミ・フラレターノ】

 
 
 
「好きです。僕。貘さんが。出来たら付き合ってもらえたらなぁなんて、思ってるんですけど……」

 どうですかね、なんて言いながら頭を下げる。相手が生唾をごくりと飲み込む音が聞こえ、床に落とした視線が、隅っこで貘さんの半分脱げたスリッパを捉えていた。
 あー言っちゃったなと思う。最初から隠し通せるとは思ってなかったけど、少なくとも今日言うつもりは無かったのに。何でだろ。何で言っちゃったんだろ。貘さんが今日妙にご機嫌で、るんるんしてるのが可愛かったからかな。
 ホテルに帰ってきた貘さんは鼻歌の合間に「ただいま」を言い、小粋なステップの合間に僕の「おかえりなさい」を聞いた。僕の肩に腕を回し、明日はいい天気らしいよと笑いかけてくる。「明日なにか予定あるんですか?」「んーん、特に。でも晴れってなんか嬉しいじゃん」天気が良いと嬉しいって気持ちは分からなくもないけど、貘さんが晴れを喜んでる場面はあまり見たことがない。マルコとの動物園前日に明日晴れたら良いねーと言ってるくらいで、普段は陽ざしが強すぎると、虚弱体質なこの人は不機嫌そうにしているのが常だった。だから、あ、いますごく機嫌が良いんだな、とハッキリ分かったわけだ。
 僕はご機嫌な貘さんに風呂を勧め、出てきたタイミングでマルコが欲しがっているゲーム機器について相談を持ち掛けた。外でも遊んでほしいからソフトは2,3本に抑えておこうと意見がまとまったところで、貘さんがテーブルに置いた紙袋をニコニコ眺めていることに気付く。そういえば帰ってきたとき、手に荷物を持っていたっけ。
 紙袋にはブランドのロゴが入っていて、詳細は知らないけど、貘さんが同じロゴの入った服を着ている姿は見たことがあった。今回の紙袋は服を入れるにしては小さいから、新しいアクセサリーでも買ったのかもしれない。お気に入りのブランドできっといい買い物が出来たのだろう。
 乾かしたばかりの白い髪がふわふわしていて、寝間着代わりのだぼっとした服は貘さんをよりオフモードに見せていてなんか良かった。僕が何と話しかけても嬉しそうに目を細める貘さんが綺麗で、湯上りってこともあってほんのり上気した頬も綺麗で、ていうか全体的にぽわぽわっとした空気の貘さんはそれだけでマジで綺麗で、だからその、えーと、僕の中で何かが臨界点を突破したらしく。

「貘さん」
「んー?」
「好きです。僕。貘さんが───」

 そこからは冒頭のままなので省略。一時のテンションで突っ走ってしまった感は否めないけど、言ってしまった以上後悔しても遅いので、僕は床を睨んだまま、貘さんの次の行動をひたすらに待っていた。
 視界の端にあったスリッパが小刻みに動き出し、貧乏ゆすりのようなソレを辿って視線を上にあげていくと、全身が小刻みに痙攣している貘さんにたどり着く。さっきまでのぽわぽわっとした空気はどこに行ったのか、貘さんは机の一点を凝視したまま、表情を固めて嘘みたいに動揺していた。

「ば、貘さん…?」

 どう見ても尋常じゃない様子だ。思わず声をかけながら、僕の頭にはこれからやってくるかもしれない最悪の事態が次々と浮かんでは消えていく。拒絶に絶交、同居解消に賭郎出禁……。(いやいや優しい貘さんがまさかそこまでするわけない)と思う一方で、(でも優しかった頃の貘さんは僕の気持ちを知らなかったよね?)と自分で自分に指摘が入る。そうだ。僕は今貘さんに告白をした。一時的な衝動だろうと告白は告白で、無かったことには出来ないし、この瞬間貘さんに強烈な嫌悪感が芽生えていたとしても、それだって過去の親密性が全てチャラにしてくれるハズがなかった。
 やってしまったかもしれない。僕の手が貘さん同様ぶるぶると震えだし、握りしめた拳の中には生温い汗が溜まった。
 どうしよう。どうやって状況を建て直せばいいんだ。途方に暮れている僕の耳に、ボスン、と軽いものが倒れる軽快な音が届く。見れば、机に置いてあった紙袋が横向きになっている。貘さんの肘か何かが当たったんだろう。袋の口から中身がうっすらと確認出来て、小さなビロード生地の箱が一つと、多分証明書が入っているのか、紙袋と同じ色合いの封筒が一通入っていた。

「あっ」

 貘さんが咄嗟に声を上げる。あっあっ、とあわあわ声を出しながら、貘さんは急いで紙袋を回収して自分の後ろに隠してしまった。
 おや、と思う。自分用のアクセサリーを片付けるにしては挙動がおかしい。

「貘さん?」
「ん? あ、な、なに? 梶ちゃんっ」
「いやあの……その袋、なんかあるんですか?」
「え゛っ!? ふ、袋? なんかあるってなにが?」
「いや分かんないんすけど、こう、僕から隠すみたいにしたから……」
「そ、そうだった!? いやいやそんなこと無いよ。目の錯覚じゃない? うんそう、そういう感じだって」
「えぇ……」

 この人こんなに嘘が下手だったっけ? いっそブラフをかけられてるのかと勘ぐってしまうぐらい、貘さんの不審な動きといったらなかった。逆に察してくれってことなんだろうか。貘さんの後ろに回ってしまった紙袋の特徴を思い出しつつ、僕は顎に手を当ててあれこれと考えてみる。貘さんは視線を右往左往させて、「か、紙袋のことは別に良いじゃない…」と弱弱しい口調で言っていた。いや実際そうなんだ。いまは紙袋のことより、僕は自分が行った告白についての責任を果たした方が良い。貘さんからの返答をきちんと受け入れて、そこから身の振り方を考えるべきだ。
 頭では分かっているのに、僕の目は隠された紙袋に向けられたまま逸らせなかった。ギャンブラーの勘というか、第六感的なやつが、紙袋の謎を解けと僕をしきりに駆り立ててくる。紙袋のサイズからアクセサリーの類だろうってことは分かっていたけど、ちらりと見えた箱のサイズは想定よりも更に小さく、どうも形は真四角で、ちょうど貘さんの手に納まるくらいの大きさだった。ネックレスや時計だったら、もう少し箱は長くなるはずだ。ネクタイピンやカフスボタンなどのもっと小ぶりなアイテムだったら箱自体は小さくなるだろうけど、逆に厚みは出ないだろうし、そもそも貘さんはネクタイピンを最近新調したばかりだった気がする。ということは、中身は指輪やピアス系? いやいや貘さんは耳に穴が空いてないじゃないか。でもアクセサリーってわりと贈り物としてもメジャーじゃない? ということはもしかして、紙袋の中身は自分用じゃなくて贈答用だったり───。

「梶ちゃんあのさ………もしかしてだけど、紙袋のこと色々考えてない?」

 無言が続いてたから、どうも嫌な予感がしたらしい。貘さんは僕の顔を覗き込んで、脳震盪を起こしてるのかってくらい眼振が大変なことになっている目で僕を見た。

「いやまぁ……だってなんか、怪しいし」
「怪しいってなに」
「だって変じゃないですか。妙に僕から隠そうとするし、そのわりに買ってきた当初は目立つところに紙袋を置いて、まるで意識してくれっていうみたいだった。中身それ、多分指輪とかピアスですよね? 自分用ですか? 貘さん指輪も耳に付けるアクセサリーも、ほとんど自分は着けないじゃないですか」
「梶ちゃん……キモ冴えんのは良いけど、TPOは守ってよ……」

 ティーピーオー? とオウム返しをする。あまり想定していなかった言葉に首を傾げる僕の前で、貘さんは観念したようにため息を吐き、紙袋を再び机の上に乗せた。
 はたして取り出された箱は、思った通り真四角で貘さんの手に納まりきる小ぶりなサイズだった。ツヤツヤしたビロード生地が高級感に溢れていて、美形な貘さんが恭しく持っていると、まるで映画のワンシーンみたいに様になる。

「俺……二か月前から計画してたんだけど……?」

 未練がましく言った貘さんは、僕が制止をかける隙も作らずにパカッと箱を開けた。細かいダイヤがみっちり埋まっている高そうな指輪が、リビングの証明に照らされてオーバーなくらいキラキラ輝いている。箱の天井にはブランドのロゴと、わざわざオーダーをかけたのか【B to T】と意味深なメッセージまで刻印されていた。見るからに貘さんから僕への贈り物だし、言うまでもなくガチガチの本命っぽい。えーこれが手に入ったから今日あんなに上機嫌だったんですか? 可愛いとこあるなぁ貘さん~などと考えるより先に、僕は頭にポンっと浮かんだ考えを、特に精査せずそのまま吐き出した。

「貘さん ─────付き合うときに指輪は違くないスか」

 絶対そういうのって思っても言っちゃいけないと思う。なんだったら衝動的な告白より余計言われた側の予後が悪い。
 でも正直言わずにはいられなかったというか、自分から告白しちゃうくらい貘さんが好きな人間だとしても、スタートの段階から目測でウン百万しそうな指輪を渡されるのは流石に常人には重すぎて抱えきれない気がした。いやまぁ僕は全然嬉しいんだけど、だから別に僕としては全然アリなんだけど、あえて世間一般的な話をするならウン百万の指輪贈呈はちょっと付き合う前の人間にかけて良い負荷じゃないと思う。深海に住むチョウチンアンコウだってここまでの重力は知らずに生きてるはずだ。
 僕にそんなことを言われるなんて思っていなかったようで、貘さんは僕をギョッとした顔で見つめ、「えっそれ梶ちゃんが言うの!?」と心底心外です、といった様子で驚いてみせた。俺のカリ梅の殻集めておいて重いとか言う!? みたいなことを続けざまに突っ込んできた気もするが、僕のカリ梅収集はあくまで収集を目的とした個人的な趣味だ。自然に発生したゴミを集めて資源化しているだけなので、内容としてはリサイクルというか、SDGsの活動と紙一重みたいなところがある。指輪とは重さの質が違うんじゃないだろうか。

「いやぁ指輪はちょっと……」
「いやでもっ、俺と梶ちゃんって一緒に住んでるし、マーくんのことも二人で色々考えながら手助けしてあげてるからもう半分子育てみたいなものじゃん!? そういうのを二人で乗り越えてきた俺たちってほとんど家族以上恋人未満っていうか、もう一緒に住んでる俺たちの気持ちが通じ合うってなったらソレってもう条件的には結婚してんのと同じだし、だったら最初から結婚を前提にした? プロポーズで? しかるべきじゃない?」
「いやぁ……?」
「えっなんで!? なんでそこは懐疑的なの!? 梶ちゃんってこれくらい分かりやすいことしなきゃラブな気持ちに気付かない男なんじゃないの!?」

 最終的に悪口を言われた気がする。挽回しようと叫べば叫ぶほど自分が窮地に立たされることに気付いたのか、貘さんの顔には次第に冷や汗が滲み始め、すぼめられた口はパクパク浅い息を繰り返していった。ただ突っ立ってるだけで絵になる人なのに、自発的に頑張るとわりと顔が崩れるから貘さんは面白い。それだけ僕程度を相手に本気で取り組んでくれてたってことなんだろうけど、小さい事にも一生懸命というか、貘さんのそういうちょっと完璧になりきれない所も含めて可愛げがあって好きだと思った。やっぱり貘さんって魅力的だ。やっぱりすごく好き。あれ、そういえば指輪の登場で微妙に流されてるけど、僕の告白って結局どうなったんだ?

「貘さん。あの、それで結局告白は……?」

 おずおずと申し出た僕は、勿論だけど僕が貘さんに行った告白について返答を急かしただけだった。が、貘さんはどうも僕『に』自分が行ったアレコレについて説明を要求されていると勘違いしたらしい。ぶわっと毛穴を逆立て、開けっ放しの指輪ケースをそのまま紙袋に押し込むと、貘さんはその場で勢いよく立ち上がった。

「ごめんあの、一回出直して良い!? 俺仕切り直してくるから! プランBだよ!」
「えっ僕への返事は!?」
「それもちょっと一回聞かなかったことにさせて!」

 サッと踵を返した貘さんは、最後に「あっでも俺も大好きだから幸せになろうね!」と捨て台詞を吐いてドタバタと自分の部屋に戻っていってしまう。ハリケーンが突然起こって、周囲をなぎ倒してさっさと去っていってしまった気分だった。僕は一瞬で荒れ地になった住宅街で呆然としながら「オーマイガー…」と呟くアメリカ人よろしく、一人になったリビングで「えぇ……」と力なく声を漏らす。
 二か月前から準備していた貘さんにとっては、きっと僕のほうこそハリケーンだったんだろう。それは分かる。それは分かったけど、だからって別にやり直す必要なくない?

「えっ何で僕フラれたの? 貘さん? 貘さぁん!?」

 リビングから貘さんの自室へ向け、困惑をそのまま音に乗せてお届けしてみる。返答は一応あった。ぴっちり隙間なく閉まった扉の向こうから、もごもご貘さんの小さな声が聞こえる。台詞自体はよく聞き取れなかったけど、多分「幸せになろうね」とか、そんなことを喋ってるんだろうと思った。