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「疲れましたぁああ! もう無理、しんどい。門倉さん、おっぱい揉んでぇええ」
「それ逆パターンあるんやね」
 
 詳細は門倉の知るところではないが、どうやら今回の仕込みというのは、体力的にも精神的にも相当削られるものらしい。
 泥や機械油の跳ねた作業着を玄関先で脱ぎ捨てた梶は、門倉が甲斐甲斐しい様子で「おかえり。大変やったね」と声をかけた途端、へんにょりと眉を曲げてその場で下に着ていたタンクトップまで脱いでしまった。
 季節は冬真っ盛りであり、室内とはいえ廊下より先は暖房も満足に行き届いてはいない。途端に皮膚に鳥肌を立てた梶を門倉は「何しとんの」と腕の中に招き入れ、ボクサーパンツ一枚に靴下という大変扇情的な格好で己にしがみ付く梶に、門倉は体温を分け与えながら自分自身もにわかに発熱した。

「おっぱい揉んでほしいの?」
「うん」
「そら勿論ええけど、それってワシが役得なだけやない? 知っとる? あまり公言することでもないけど、胸筋って鍛えるとけっこう柔こうなるんよ。目ェ瞑って揉めばちょっと小ぶりな胸触っとるくらいの気持ちにはなる。ええの? 門倉さんの乳なら貸したるよ?」

 パッと梶が顔を上げる。それはそれは情けない顔をして、梶は自棄を起こしたようにイーと歯を剥いた。

「ちーがーうーんーでーすー!」
「ち―がーうーのー?」
「違いますっ。僕はですねぇ、いま門倉さんのでっかい手に胸をふにふにされてフワフワした気持ちになりたいんですよ。おっぱいで気持ち良くなるだけで『偉いねぇ♡』って言われたい。乳首こねこねされてね、何にも考えられなくなった頭に可愛いカワイイって刷り込まれると自己肯定感が爆上がりするんですよ。すっごく幸せになるんです。あれをしてもらいたいんですよ今の僕は!」

 言いながら梶が、ぐいぐいと自分の胸を門倉の体に押し付けてくる。ほら揉め! と言わんばかりの行動に思わず門倉が手を差し出すと、梶は門倉の手をひしと掴み、自分の胸元へと持っていった。
 しっかりと鍛えられた門倉の体躯とは違い、梶の体は健康体重にも満たない痩せぎすの体である。胸といっても女性のように豊満な双丘があるわけもなく、うっすらと乗った肉の真ん中辺りに、『ここが頂上ですよ』と目印のような乳首がくっ付いているだけだった。
 便宜上「揉む」とは言っているが、そもそも揉めるほど肉に余分もない。普段なら門倉に見劣りする自身の体を気にして裸さえ見せたがらない梶が、恥もプライドもかなぐり捨てて迫ってくる姿は興奮より先に心配を掻き立てた。
 門倉は手を梶の背中に回し直し、ぎゅぅ、と梶の骨が軋むほど強く抱き締める。

「飯、すぐ食べれるように用意してあるんやけど、先に馬鹿になることしたい?」

 馬鹿になる、というのは事後の梶を揶揄した言葉だった。快感にめっぽう弱い梶は、行為が終わってからもしばらくは呆けたまま使い物にならなくなってしまう。体中の力が抜け、トロンとした表情で舌足らずに喋る梶は、テーブルマナーはおろか箸を使って食事を取ることも時に儘ならなかった。

 思いきり抱き締められ、より間近に門倉の体温を感じたことで、少し梶も落ち着いてきたらしい。トクリとくりと脈打つ門倉の心音に肩の力を抜いた梶は、頭を門倉にすり寄せ、既に半分蕩けている頭で言葉を返した。

「ご飯ありがとうございます。門倉さんの料理は冷たくても美味しいから、後で全部いただきますね」
「冷たいまんまじゃ食わせんよ。全部また火ぃ入れ直すわ」
「へへ……あの、かどくらさん。やっぱり今は、エロいやり方で甘やかしてほしいです。先に気持ちいいことで幸せにしてほしい。ちょっとくらいのしんどいことって、僕はその、門倉さんにさわってもらうとぜんぶ消えるから」

 なんともそそる誘い文句だった。門倉はニヤケ笑いを隠そうともせず、玄関の床に落ちたままの作業着たちを見やる。血の匂いはしなかったが、油と泥と汗と──多分私生活の荒んだ人間が多く居る環境で働いてきたのだろう──その他、おおよそ衛生的ではない人間の臭いが作業服には染みついていた。
 仕込みの日々はまだまだ続くと聞いている。門倉はくるりと体を翻し、梶の背後に立った。足元の作業服は後で片付けておくと伝え、梶の足が自然と前に進むのを見届ける。廊下沿いにある浴室の前でピタリと止まった梶は、気まずそうに「僕今日めちゃくちゃ汚れてて……」と言った。

「シャワー浴びないと、汚いかも」
「ワシ別に気にせんけど」
「本当に?」
「ベッド早く行きたいじゃろ? 良いよ、ちょっと汚いくらい。もう少しすれば梶は自分が汚いか汚くないかもよぉ分からんようになるんやから、忘れりゃええんよ、そんなことは」

 ほらあっち、と門倉がリビングの先を指差す。綺麗に整えられた食卓と梶用のクッションが置かれたリビングを越えて、シーツが取り換えられたばかりの寝室に通されると、先程から赤い顔をしていた梶はいよいよ期待に目を潤ませ、かどくらさん、と残っていた靴下を脱いでいった。
 
 
 ※※※
 
 
 結局梶がボクサーパンツ一枚でベッドに上がったので、夜に入るまでの時間にタイムラグは起きなかった。電気を付けようとする門倉に「消したままで……」と今更恥じらってくる梶が愉快で、門倉は言われた通り薄暗い部屋の中、自身は着込んだまま梶の胸に手を這わせる。

「ふああああ♡」

 待ち望んでいた刺激がやって来ると、梶は喉を反らせ、たまらないとばかりに鳴いた。やわやわと胸を揉む門倉の手はそう性急でも無かったが、梶の声は最初から熱を帯び、積極的に自身を高めようとする。
 人一倍羞恥心の強い梶が快楽を拾うことに躊躇しないのは、日頃の門倉による教育の賜物だった。気持ちええの。良い子やね。そう耳元で囁いてやると、梶は面白いくらいに体を跳ねさせて悦ぶのだ。

「待たせてごめんね。ほら、おっぱい触られると気持ちええね。フワフワするんやっけ? ワシそう加減するのが上手やないから、痛かったら言ってね」

 勿論嘘だ。素手で人が殺せる門倉は、同時にどの程度の力であれば相手が無痛でいられるかも重々承知している。
 肉付きの悪い梶の胸は、少し力を加えるだけで簡単に皮膚が引き攣り抓られたような鈍痛を持った。痛くないように、ただ心地良いだけでいられるように。細心の注意を払って愛撫していると、梶の喉からは甘ったるい声だけが上がってくる。

「んっ♡はぁ、んっ、ン」
「どう?」
「ふあ、きもちぃ、です……♡ん、あたま、どろどろになるっ♡」
「梶はいっぱい頑張っとるもんね。梶がよぉ頭使って一生懸命やっとること、ワシも知っとるよ。専属じゃけぇね。使う時はきちんと使ってもらわな困るが、今の梶はただの隆臣クンやからね。どろどろになってもええよ。一緒に馬鹿になろ」
「ふぁい……♡」

 シーツの上で弛緩する梶に乗り上げ、門倉の両手が梶の胸をすっぽりと覆う。平らな胸に手を置くと、掌の中央だけ感触が違った。興奮で硬くなった乳首が門倉の手を押し上げてくる。気を良くした門倉が突起を転がすように手を動かしてみると、「ひゃああ♡」と梶からまるい悲鳴が上がった。

「あっ♡あンっ♡ちくびっ♡きもちっ♡」
「んー? ころころってされるん気持ち良いの?」
「はいっ♡はいっ♡」
「そっかぁ。もっとする?」
「はい♡」
「触りやすいように馬乗りになるけど、体重はかけんようにするからね。ワシ体がでかいけぇ、乗っかると怖いじゃろ。怖いことなん一つもせんからね。大丈夫」
「はいっ♡」

 聞いているのかいないのか、イマイチ判別が付かないほど良い返事を繰り返す梶は、しかし門倉の言葉に近くのシーツを握りしめてニコリと微笑んだ。塞ぐものの無くなった身体を門倉の前に晒し、好きに触ってくれと行動で示してくる。
 まるで自分から肉食獣の前に飛び出してくる小動物のような振る舞いをする梶に、門倉は喉を鳴らし、部屋着の中で自身を膨張させた。

「んっあ♡あぅ、は、ぅ……♡んっ♡」

 ころころと掌の中で乳首を転がされると、じんわりとした快楽が頂点から下に広がり、腰辺りがにわかにむず痒くなっていく。
 平常業務の中では決して手袋を外さない門倉なので、暴として日々を過ごしているにも関わらず、門倉の手には切り傷一つなかった。大きく骨張った手が、梶の胸の上を何度も往復している。なんの引っかかりも感じない滑らかな掌が、興奮でしっとりと汗ばんでいくのも嬉しかった。
 自分は気持ちが良いが、門倉にしてみればマッサージ師が施術を施しているようなもので快楽も何もあったわけでは無いだろう。きっとフェアではない、きっとこんなものが対等な営みとは言えない。梶は僅かに残った理性でそんなことを考えて罪悪感にと心を焦がすが、門倉はすかさず梶の負い目を感じ取り、馬乗りになっている体を梶の方へと倒していった。

「なんか変なこと考えとる?」
「えっ? や、その……」
「ワシいま、梶のこと気持ち良くするので手一杯なんよ。楽しいし可愛いし、目の前の梶に夢中になっとんの。難しいこと考えられても、そこまで手が回らん。梶も協力して」
「んぇ、は、はい……」
「ん。えぇ返事。可愛えねぇ梶は。ちゅーする?」
「す、するっ、する!」
「じゃぁ口、『え』の形にして。息は鼻からね」
「えぅ」

 指示された通りに待っていると、門倉は「良い子」と言って梶の口に吸い付いてくる。上顎をくすぐり、舌を擦り合わせ、鼻から抜ける梶の嬌声ごと取り込むように口内を味わっていった。
 梶は門倉のアドバイスを守ろうと鼻から息を吸ってみるが、それよりも門倉の舌に自身の弱いところをつつかれて声を漏らしてしまうのでなかなか上手くいかない。次第に酸欠になり、頭がぼんやりとしてきた梶は、ずっとシーツを握っていた手で弱弱しく門倉を押し返した。
 筋肉の盛り上がった肩を押し、逞しい二の腕に縋る。ビクともしない。ただでさえ体の大きな男が圧し掛かっていて、そのうえ体も鋼のように鍛え上げられているとあっては、体勢的にも不利な梶に成す術はなかった。
 角度を変えて梶の中を蹂躙する門倉に、梶は快楽と息苦しさで涙の膜が張った目を向ける。気付いてくれるかな、と瞬きをした梶の瞳と、愛しさに細められた門倉の目が瞬間パチンと合った。

「あースマン!」
「ぷはっ! は、はぁー……」
「夢中になってしもうた。すまんのぅ、苦しかったじゃろ? 息継ぎ難しかった?」
「はぁ、はっ、む、むずかしいですよ! あんなの、息無理……!」
「慣れんねぇこればっかりは。何度やっても」
「門倉さんが上手すぎるからこうなるんですよ」
「いや、梶が可愛すぎるのが問題やない?」
「門倉さんです」
「梶じゃって」
「門倉さん!」
「梶」
「もうっ!」
「ゴメンて。機嫌直して」

 門倉が身体を起こす。再び馬乗りの状態になって、梶の汗ばんだ髪に手を差し込んだ。

「仕切り直し。もっかいフワフワしてくれる?」
「し、てくれるって、いうか……しちゃうんです。する気はなくても。門倉さんに触られたら」
「おわ」

 ピクリ、と門倉の手が止まる。グリグリと頭を撫でまわしていた手が梶の頬を滑り、唇をふに、と押した。梶の上にある顔が、耐えきれなかったようでニヨニヨと口元を震わせている。

「なん、えぇ? 本当になぁ、おどれはなんでそう可愛くなれる? そんなん、意地でも優しくしてやろうってなるぞ。はぁー可愛い。誰じゃ、ワシの梶をこんなんにしたのは。ワシか。ワシじゃわ。よぉやった門倉雄大」

 上機嫌に呟き、門倉の手が喉を伝ってそろそろと下に降りていく。指先が喉仏の隆起をなぞると、梶の喉がひくんと無意識に動いた。
 今しがた普段通りの会話をこなしたばかりだというのに、門倉が少しでも性を匂わせると途端に梶の体も快楽を得ようと敏感になる。定位置のように門倉の両手が胸に戻ってきて、今度は掌ではなく指先で突起を弄り始めると、梶はたちまち翻弄され、自然とシーツをまた握りしめていた。

「んっ、ん! ♡ あ、ァ♡ゆびっ、あっ、ゆび好きっ、ン、あぅ、あっ♡」
「また目が蕩けてきたねぇ。すぐ気持ち良くなれて、梶は本当に偉いわ」
「あぅんンっ♡あっ♡ひゃ、ぅ♡ん、アッ、ァ、あ♡」
「偉い、えらい。可愛い。梶。可愛いね。かじ」
「あッ♡、あぅ、ン♡あんっ、ァあッ♡♡」

 指先でくにくにと乳首をこねられ、こねられている間も、門倉からは絶えず梶を甘やかす台詞が垂れ流されている。甘言、というのは正しくこれを言うんだろうと梶は思った。甘くて柔らかくて、梶の頭にするりと入り込んだ門倉の言葉は脳みその真ん中でじゅわりと溶けて梶に染み込んでいく。
 脳髄が痺れ、頭の中に淡い色の靄がかかると、梶はいよいよ目の前の門倉しか見えなくなっていった。門倉の片目が細められ、低く耳馴染みの良い声が「可愛い」と梶を褒めそやすとき、梶の体はふわんと宙に浮く気分になって、全部の悩み事が身体の外に排出される気分になる。気持ち良いと心地よいが混じったような不思議な感覚は、門倉の手によって門倉からのみもたらされるものだった。

「あっ、んんっ! ♡あ、らめっ、んあぅ♡♡んっ、も、くにくにしちゃ、ひゃ、ぅ……! ♡」
「なんで? こんなに可愛い梶が見えるのに、くにくにしちゃダメなん?」
「~~~ッ! ♡♡♡はぅっ♡あっんっ。ああぅ、んッ! ♡」
「ちょっとイった? 今の顔も可愛かったよ。きゅぅって目ぇ瞑って、なのに手はシーツ握りしめたまんまで。本当にのぅ。こんなに可愛い子ぉ他に居らんわ。こんな可愛い梶を独り占めしとるやなんて、門倉は幸せもんやね。そう思わん? ねぇ? かじ?」
「ひゃ、……! まっ、まっへ♡♡かどくりゃしゃ♡あぅっ、んんっ♡♡またっ♡イくっ♡いくいくっ♡♡イっちゃう♡♡んぃっ♡~~!! ♡♡」
「お、連続。梶、今日はこれからまだまだ気持ち良いことがいっぱい待っとるんよ? そんな飛ばして大丈夫? あんまり可愛くしとると、手加減もしてもらえんくなるよ?」
「ひぅ♡♡ひゃ、でもっ♡ん、ぁっ、んっんっ♡♡むりっ♡♡きもちぃのっ♡♡とまんな、……♡♡」

 呆れられても、助言を受けても。門倉に触られている限り、彼の目に、声に、甘やかされている限り、梶はどうにも自分を止めることは出来なかった。
 門倉は指で触る時も力をほとんど込めず、少し突起の形を不格好にするだけで、乳首を抓ったり充血させるような荒っぽい真似をしようとはしない。刺激としては、多分決定打に欠ける淡い愛撫だけなのだ。なのに梶は、門倉の指に何時もこれ以上なく善がってしまう。飲み切れない涎が口の端から零れ、今日のようにボクサーパンツを脱がないでいると、下半身は目も当てられないほど濡れぼそって下着をダメにした。
 なんでこんなに気持ちが良いのだろう。こんなに喘いで、乱れて、絶頂に達して。梶自身でさえ『僕の体バクってね?』と疑問に思うほどにはあられもない姿を、毎度門倉に触られるたびに梶は晒してしまっている。良いんだろうか、こんなに気持ち良くなってしまって。梶は思う。思うだけで、特に解決策が湧いてくることはない。
 ぼんやりした頭では今与えられる快楽を処理することさえ出来ず、身体に快感が蓄積して、梶は引かない絶頂の波にあっぷあっぷと溺れかけていた。波は引かない。どころか頭上の門倉はどんどん調子が上がってきているようで、手はそろそろぐしょ濡れのボクサーパンツにかかりそうだし、門倉自身も下半身が限界を迎えそうだった。
 これから梶はもっと直接的な刺激をあらゆる箇所に与えられ、丹念に下ごしらえを施されたのち、門倉自身に体を貫かれるのだ。めりめりミシミシ、身体のナカを杭のような太さのもので穿たれて、そのくせどうせ痛みなんて毛ほども与えられることなく、梶は途方もない快楽に突き落とされて白目を剥いてきっと喘いでしまう。

「梶。かぁじ。可愛いねぇ。愛しとるよ」

 門倉は相変わらず蕩けそうな声と蕩けそうな瞳で蕩けそうな台詞を梶に向けている。今後を思ってゾッとしたりハラハラしたりしていたはずの梶は、やっぱり門倉の甘言を脳に引き入れて、脳みそのド真ん中でその甘言を開封し、甘さを飛散させて、淡い靄がかった思考の中でへにゃんと笑うのだった。

「ぼく、ぼくも♡♡だいすき、かどくらしゃん♡♡♡」